原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“緊急事態宣言”発令後の小中学校登校は 保護者や学校現場との更なる議論に期待したい

2021年04月22日 | 教育・学校
 冒頭から、本「原左都子エッセイ集」2020.03.26付バックナンバー「子どもって、学校が好きなんだねえ」の一部を以下に引用させていただこう。


 バックナンバーにて再三記載しているが、とにかく徹底して「学校嫌い」の原左都子だ! (いえいえ「学問の府」である大学・大学院は嫌いではなかった。 特に2度目の大学・大学院では積極的に自分でカリキュラムを組み、専攻外の学問分野までにも視野を広げ、学び倒したものだ。)

 もしもこの私が未だ子どもで、今回の“新型コロナウィルス措置”に遭遇し学校休校に直面していたならば、如何に転んだだろう??
 何分、幼稚園時代から「集団嫌い」だった。 幼稚園も義務感で通った記憶しかない私(幼い頃より真面目で律儀な性分であるため、とにかく自分を押し殺して嫌でも通った。)にして、もしも休園になったとしても何ら困惑しなかっただろう。
 その当時から父母が共働きだったため、帰宅後は一人で過ごしたのだろうか? 今となっては記憶が定かではないが、家にはしっかり者で頼りになる“おばあちゃん”が居てくれたため、何不自由なく安心して日々を送ったことしか思い出せない。 
 (参考だが私には姉がいるのだが、その当時から仲が良かった記憶が一切無い。 おそらく別々に過ごしたのだろう。)

 小学生になっても、似たようなものだ。
 とにかく帰宅後は誰に指示されるでもなく、一番に学校の“宿題”を片付けた。 そんなの“お茶の子さいさい”ですぐに出来上がってしまい、その後は近所の子達と遊んだり(自己の自由意思でそれをする分には問題なかった。 お上からの命令で“仲良くせよ”と言われるのに大いなる抵抗感があった、と自己分析する。)、近所の駄菓子屋へ一人で行って小遣いから好きなものを買った記憶がある。 (その小遣いを“貯める”ということを幼少の頃から志向し、実行していた事実もバックナンバーにて披露している。)
 加えて、私は子どもの頃より“一人遊び”(と言うよりも、“一人創作”“一人思考”)を愛好していた記憶もある。  例えば、当時「紙で作る“着せ替え人形”」が流行っていた。 学習机の引出しの一つをその“着せ替え人形部屋”にして、洋服やバッグ等の小物類はもちろんのこと、ベッドや机等の家具まで手作りして楽しんでいた。 あるいは小学校中学年頃には“家屋の部屋のレイアウト”に凝ったこともあり、一人で間取りを考えてはある程度正確に作図して遊んだりもした。 さすがにいつも子どもを放ったらかしの我が親どもも、その作図を見て「この子、将来建築士にでも成りたいのだろうか??」と思ったようだ。 

 中学生時代は、様相が大きく変化した。
 部活動としてブラスバンド部(過去に全国優勝を果たしている程歴史ある部活だった)を選択した私は、放課後は毎日、土日にもその活動を頑張った。 そのため平日は親どもよりも帰宅が遅かったし、ほとんど家を留守にしていた。
 もしもその頃に学校が休校措置を執ったとしても、おそらく高校受験に向けて主体的に頑張っていた時期のため、さほどの弊害は無かった事であろう。
 高校も遠距離通学だったのに加え、大学受験のためたとえ休校措置が執られても、何ら変わらぬ日々だったことだろう。


 さて、話題を本日2021.04.22付け朝日新聞記事に変えよう。

 大阪市の小中学校 “緊急事態宣言”発令後「午前オンライン 登校後に給食」

 と題する記事があったが、この記事を読んでこの私も中途半端なスケジュールの提案だなあ、と不可解に感じた。 (参考だが、大阪市の松井市長は“一斉授業を否定しつつも「授業はオンラインが基本」としつつ登校か在宅かに関しては「保護者のみなさんが判断してほしい」と述べたらしい。)
 
 そうしたところ、やはり学校現場の教職員や保護者から疑問視の声が上がっているようだ。
 「授業の時よりもマスクを外す給食時の感染リスクが高いため、通常授業にして給食をお弁当にして持ち帰る方が良いのではないか。」
 「オンラインの端末は一人一台配備されたが、家庭で充電するためのアダプターが1学年分しか無い。3月に全校生徒一斉にオンラインに繋ぐテストをしたが、一部の生徒は接続が不安定だった。」
 「スパッと休校するならわかるが、中途半端な対応で感染防止策の意味があるのか。」

 (以上、本日付朝日新聞記事より一部を引用したもの。)



 原左都子の私見だが。

 保護者や現場教職員の指摘通りであろう。

 いや、「登校後に給食」なる大阪市教委の思いは十分に伝わる。
 今時は各種家庭事情により子どもの発育・発達を学校給食に期待・依存している家庭が少なくない、と見聞している。(極端な発言をするならば、悲しいかな現在の義務教育が果たす役割の第一義が栄養バランスのとれた“学校給食”にあるのかもしれないかも!、とこの私も想像出来る気もする。)
 子どもの発育・発達のために「給食」だけは学校で準備したい! その大阪市の意気込みは是非共評価したいものだが…。


 それにしても、確かに義務教育が果たす役割とは多大であろう。

 ここはまさに緊急事態宣言が発令されようとしている大阪市に於いて。 
 その原案を温めながら、保護者の皆様共々更なる議論を積み重ねつつ。
 緊急事態宣言下の義務教育課程教育を安泰に乗り越えられることに期待申し上げたい。 
 

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