原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私は既に「永代供養墓」を予約している

2022年10月22日 | 自己実現
 話題が突如と「死後」に移行するが。


 ただこれ、年齢が離れた一人娘のみを持つ身としては切実な課題だったものだ。

 親の死後、ほぼ40年の年月を一人でこの世を渡って行かねばならない娘に、親の死後のことなど依存できるはずもない。 

 
 10数年程前の事だったか、原家のお墓に関して今は亡き(63歳の若さで膵臓癌にて壮絶死した)義理姉から話題が持ち出され、「原家のお墓改革をしたい」との意向が告げられた。

 私など、素晴らしい提案と同意して義理姉の話に耳を傾けたものだ。

 と言うのも元々原家は伊東市に起源があり、その地のお寺を菩提寺としてそこにお墓を持っていた。
 義母に関しては自身と先に亡くなった義父は当然その墓に入るものと考えていた様子で、毎年一度は我が家の3人を伴ってその菩提寺へあいさつに連れて行ってくれたものだ。
 後で聞いて驚いた話だが、その都度義母は菩提寺にお布施として100万円単位の金銭を手渡していたようだ。

 そんな(正直言って大いなる無駄でしかない)金銭出費の現状を打ち破る判断をした義理姉の大改革案に、私は内心大いに賛同した。
 ところが、義母は全く違った。
 義母曰く、「私が死んだ後のお布施代金は私がきちんと残しておくから、貴方たちの代までは菩提寺にお布施を続けて欲しい」
 それを、特に嫁の立場の私に再三再四告げたものだ。 実際問題、その返答に困惑した私が。
 義理姉の実行力により原家の伊東の墓はその後まもなく寺へ返納となり。 その後都内の大規模墓地(谷中墓地だが)に5名(義母の先代と義母と義父、そして義理姉)は永代供養の措置を採った。


 さてそうなると、我々夫婦以降は原家とは一切関係なく自由に墓を選択可能な身となった!

 これは実にラッキーないきさつであり、私と亭主に関してはその後すぐに自分たちの「永代供養墓」を見つけることとした。
 これまた幸運にも、我が家に程近い場所に“国家公務員がらみの社会福祉法人が運営する葬儀場があり、そこで比較的安価にて「永代供養墓」を予約可能となり早速予約をした。

 毎年2度当該葬儀場よりパンフレットが送付されてくるため、確かにその予約は有効のようだ。

 ただ私はやはり一度、如何なる「永代供養墓」であるのかを確認しておきたく平日昼間に現地へ見学に訪れてみた。

 その感想を一言でまとめると。

 「ははあ、そういう事か。」であるのが現実だが。


 端折って説明すると、葬儀場の敷地内に「永代供養墓」専門の建物がある。
 そこの内部に入ると “ロッカー式”の墓が所狭しと並んでいて、そのロッカーに「お骨」が保存されているようだ。

 人の骨は時間が経つと“臭く”なることを実感させられつつ、内部を見学した後に受付辺りに掲示されている「説明書き」を読むと。
 この「ロッカー墓」に入れてもらえるのは、数年であるらしい。
 その後は都内辺鄙の場に骨は移されて、そこで皆一緒に大地に帰るとのシステムのようだ。

 この説明書きを読んだ直後は、「だから“永代供養”は安価なんだなあ」なる身勝手な感想を抱いたものだが。


 その後年月が経過した今、思うに。

 私の場合、元より親族に依存して生きるなどとの思想が一切無い人間である。
 だからこそ早くも家族を捨てて単身上京し、都会暮らしをエンジョイして来ている身だ。

 今思えばそんな立場にして、親族の墓に入れられるなどとの窮屈な事態こそ勘弁して欲しいものだ。



 「永代供養」もいろんなバージョンがあるのだろうが。

 私など、最終的に見知らぬ人々との骨にまみえられる「永代供養」に未来性すら感じる。
 死後の世界でも決して親族のみに囚われることなく、自分が好きな骨と相まみえつつ。(その選択は無理だろうが、少なくとも親族の枠からは飛び出せそうだ。)

 永久に土として植物などに栄養を与えつつ素晴らしく次の世に変身したいものだ!


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