原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者“らしさ”って、一体何?

2014年07月06日 | 自己実現
 昨日(7月5日)の朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、原左都子に言わせて頂くと、一見“理想的な”老後生活を送られている一婦人の「恋愛」に関するご様子が紙面で公開された内容だった。


 それでは、早速「この年で恥ずかしながら」と題する70代女性よりの相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 70歳に足を踏み入れた女性だが、5年前に夫に先立たれ一人暮らし。 2人の息子も家庭を持ち、孫もいる。 貞淑な妻として近所付き合いも円満、友達にも恵まれている。 半年ぐらい前に趣味の会で会った同じく一人暮らしの同年代の男性と茶飲み友達期間を経た後、現在は帰りにホテルに誘われる仲に至っている。 お恥ずかしい話だが最高の満足感にまでは至らずとも、とても幸せな気持ちで相性もいい。
 もちろん、この男性との関係は誰にも話せないし、いつか誰かにバレてしまいそうな不安もある。 何よりも、この年齢でこんな事を続けておかしいんじゃないかとの後ろめたさもある。 相手からはプレゼントも届くし、一泊旅行に連れて行って下さる事もある。 このままではお断りする事ができなくなるようで日夜心配だが、これでいいのか。
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容より一部を要約引用したもの。)


 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 ははあ、この70歳になったばかりのご婦人は、現在何処かの殿方に愛され体を求められている“幸福感”を、何れかの手段によって何処かへ公開したかったものと推測する。
 ところが、まさか周囲のご近所や友人に公開するのは気が引ける。 まさかまさか、息子や孫達にもこんな話を持ち掛けられる訳もない。  そうだ! 新聞投稿でもして我が幸せ感を公開しよう。 それにはこれを「悩み」に位置付けるのが手っ取り早い。 そのためには高齢者であるとの我が身を利用して「自責の念」を持ち出すといいだろう。
 (以上は、原左都子が70代投書女性の裏心理を推測した内容に過ぎないが。)


 今回の“悩みのるつぼ”相談者であられる 経済学者 金子勝氏はとても優しい人物のようだ。
 以下に、金子氏による回答内容の一部を紹介しよう。
 相談女性は「この年齢で」と言いますが、70歳を超えてから恋愛をするのは恥ずかしいことでしょうか。 今は平均寿命が短かった時代とは違います。 高齢者が「老人らしく」生きて行かねばならなかった時代は既に終わっています。  「失楽園」で有名な作家渡辺淳一氏は以下のように述べている。「若くなりたければまず恋愛をすること。 これこそが他の如何なる若返りより薬よりも有効だ。」
 金子氏私論の結論とは、「好きな人が出来て心ときめき、貴方の生きるエネルギーに火が付いたのです。 幸いお子さん達にも迷惑をかける事のないあなたは、何はばかることなく、現在の恋愛関係を楽しまれては如何でしょうか。
 (以上、“悩みのるつぼ”回答より一部を引用。)


 再度、原左都子の私論に入ろう。

 どうやら私は作家の渡辺淳一氏や経済学者の金子勝氏よりも、現在の庶民高齢者の「恋愛」に関してずっと詳しいようだ。

 以下に我が身近な人物の実体験に基づき、上記“悩みのるつぼ”70歳恋愛中女性のその後の事態に関して、原左都子から“悩みのるつぼ”へ再び相談を持ち掛ける内容を想定して記述しよう。

 私ども、70歳の年齢でとある男性と恋愛をした女性です。 恋愛当初は相手方男性と上手くいっていたのですが、合う回数が重なるにつれ双方の関係がギクシャクし始めると同時に違和感を抱いております。 当初相手は我々のセックスに関して最高の満足に至らなくていいと言っていたにもかかわらず、やはり年老いた女の私に対し不満感を訴え始めました。 しかも、相手はどうしても私と同居して自分の世話をして欲しいとも言い始める始末です。 そんなことが私に実行できるすべもありません。 私の方は、立派に育った息子達や孫たちとまみえながら余生を送りたい思いです。
 私にとって現在に至っては恋愛相手が大きなお荷物状態なのですが、今後如何なる方策を採ればいいのでしょうか??
 (以上、原左都子の推測に頼ってその後の女性よりの悩みの相談を提案したもの。) 

 “老いらくの恋”の顛末とは所詮こんなものだろう。
 高齢者達の恋愛とは、高齢であるが故の数多くの“しがらみ”を抱えて成り立っていると私は推測する。
 恋愛初期段階で上手くいっている時期は「花」だろうが、若き世代間の恋愛同様、その段階が進むにつれお互いに越えねばならないハードルが待ち構えているのが実情ではなかろうか。
 それでも、若き世代間ではいくらでも恋愛のやり直しがきくであろう。 ところが、これが一旦高齢者同士の恋愛ともなれば、そのハードルの大きさを慮った場合「やり直し」との言葉が死語として私の心に響くのだ…。

 それでも尚、高齢域に達して「この人と添い遂げたい!」なる感情を相手に対して抱けたならば、短い期間でも相手と会いまみえそれを堪能すれば済む話だ。

 ただ私論としては、高齢者とは“体関係”ではなく“高齢者なりの恋愛形態”を楽しめる方が関係が長続きするのではないか、なる若輩者にしての今後の展望を抱いているのだが…


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私など今尚若気の至り範疇人物であり、「ヤングジェネレーション」に位置していると自分自身では判断している。
 それでも、家族という“しがらみ”を抱えている自分の立場を十分に客観視出来てもいる。
 そんな現状ではあるが冒頭の朝日新聞相談者のように、突然見知らぬ相手と恋愛関係に陥る場面も何となく想像可能でもある。
 ただ私の場合は未だ家族と言う“しがらみ”がある故に、とりあえずその“しがらみ”を優先して生きる事が得策である事など計算済みだ。


 それでも高齢域に近づきつつある私は、「高齢者らしさ、って何?」と時々問いたく思う事がある。

 いろんな高齢者が存在していいだろう。
 ただ、自分の生き様には出来得る限り自分自身で生涯責任を持つことを信条にしたいものだ。
 その覚悟が出来ていて初めて、何歳に至ろうが恋愛にうつつを抜かす事が許されるのではあるまいか。

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