原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“アイロニーへのノスタルジー” 岡本太郎氏が「太陽の塔」内部に紡いだ哲学

2018年04月01日 | 芸術
 (写真は、我が娘中学生の頃に連れて行った “岡本太郎特別展” ミュージアムショップにて買い求めた岡本太郎氏作品のレプリカ・キーホルダー。)


 今回のエッセイは、ちょうど1週間前の2018.03.25 午後8時よりNHK・Eテレにて放映された「日曜美術館『岡本太郎“太陽の塔”~井浦新が見た生命(いのち)の根源~』」を視聴しての我が感想であることを、最初にお断りしておく。


 冒頭より、NHK番組ネット情報より当該番組に関する解説文を以下に紹介しよう。

 今春、高度成長期の日本を象徴する巨大な“アート”がよみがえる。 1970年の大阪万博会場に突如現れた「太陽の塔」。 岡本太郎がこめた思いとは? 井浦新が体感する!
 1970年日本中が熱狂した大阪万博。 「進歩と調和」という未来志向のテーマの中、異様な存在感を放ったのが、岡本太郎の「太陽の塔」だった。 世界的建築家・丹下健三の大屋根を突き破り、両手を広げてきつ立する巨大な姿。 実は塔の内部は人々が移動しながら体験できる展示となっていた。 今春、いのちの根源を伝える「生命の樹」が、半世紀の時を越えて再生。 岡本太郎を愛する井浦新が太陽の塔を訪ね、太郎の思いと向き合う。
 (以上、NHKネット情報より引用したもの。)


 私自身、1970年に大阪にて開催された「大阪万博」は母と姉と共に訪れている。
 当時未だ中学生だった記憶があるが、学校の夏休み中に大阪の宿を予約し、丸一日万博会場で過ごしたのは良かったが…
 何分、(今程では無いにしろ)猛暑の時期だ。 そして会場内はゲロ混み。 母は疲れてどこかで休んでいたのだろうか??、記憶が薄いのだが、姉と二人で会場を回ろうとしたものの…

 何処のパビリオンも1~2時間待ちのゲロ混み状態。 これじゃあ、直ぐに一日が経ってしまうと判断し、比較的空いているアフリカ等々発展途上国のパビリオンを中心に回ったものだ。 それはそれでインパクトがあったのだが。
 困った事には暑さ対策で摂取し過ぎた冷たい飲み物に私がやられてしまい、下痢を繰り返す始末だ。
 何とか持ち直した後、姉と相談して、午後は“エキスポランド”で遊ぶスケジュールとした。


 今回のエッセイを公開するに当たり、手元に「太陽の塔」の写真が無いものかと一応探してみた。
  
 1970年に大阪万博会場を訪れた際、確かに「太陽の塔」近くで写真を撮った記憶はあるものの、何せ大阪万博のメイン会場にしてとてつもなくゲロ混み状態で、近づけもしなかったのではなかろうか??
 (そもそも郷里時代の過去の写真のほとんどは郷里に置いたまま見る機会も無く、昨年実母の施設入居に際してすべてを廃棄処分としている。)

 それではと、娘が高校生時代に一緒に行った「江戸・東京博物館」にて、金属で作られた「太陽の塔」顔部分のみの特別展示があったことを思い出した。
 近くで見ると、予想をはるかに超えて巨大だった記憶のみは鮮明だが。 その写真も探したのだが、おそらく携帯で撮影したのだろう。 既に当該ガラケー自体を廃棄処分にしていて残念ながら手元になかった。

 そんな時、娘が「レプリカのキーホルダーならあるよ」と差し出してくれたのだ! 
 この作品の詳細に関しては既に忘却しているが、「太陽の塔」の顔部分と類似したシリーズの展示を特別展会場にて観賞した記憶はある。


 話題を、NHKの日曜美術館に戻そう。
 
 この番組をずっと以前より好んで視聴している。 
 俳優の井浦新氏がレポーターになった5年前から、その力強いレポート力と共にバージョンアップした感がある。
 井浦氏最後のレポートが「太陽の塔」とのこと。 つい最近、太陽の塔の内部展示「生命の樹」がリニューアルオープンしたことに連動しての番組であることは間違いない。

 内部展示「生命の樹」に関する井浦氏レポートを一言でまとめるならば。
 「アイロニーへのノスタルジー 原生生物が人類へ繋げた生命」 との結論だろう。

 ここで、「アイロニー」との言葉の意味に関するネット情報を紹介しておこう。
 反語。 単語または文章において,表面の意味とは逆の意味が裏にこめられている用法。 多くは嘲笑や軽蔑を表わす。 ソクラテスが議論において意図的に無知を装ったのはその典型で,これを「ソクラテス的アイロニー」と呼ぶ。 他方,語り手がみずからのおかれている状況を十分に認識していないために,その言葉に他人からみれば意図せざる意味が加わる場合,これを「悲劇的アイロニー」または「ソフォクレス的アイロニー」と呼び,悲劇的人物のせりふにしばしば認められる。

 我が娘が中学生の頃、娘を引き連れて「岡本太郎特別展」を訪れた際、私は岡本太郎氏のその辺の思想に既に触れている。
 (敢えて失礼な表現をするなら)あの派手過ぎるまでの狂気すら感じる物凄い作品群とは裏腹に、岡本太郎氏の思想とは実に理路整然としていることを、私はあの特別展に於いて初めて認識させて頂いたものだ。

 その認識があるからこそ、岡本太郎氏が「太陽の塔」内部展示「生命の樹」に賭けた「アイロニーへのノスタルジー」とのテーマが我が心に通じるのだ。

 岡本太郎氏は「原生生物が人類へ繋げた生命」を太陽の塔の内部展示で表現するに当たり、敢えて「原生生物」こそを主役に奉ったその思いに私も同感したい感覚がある。 
 そして、「太陽の塔」内部にその“終末”とも言える我々人類”を岡本太郎氏が一切描いていない事実こそが圧巻であるような気もする。


 「アイロニーへのノスタルジー」。

 何だか “天邪鬼” のこの私も、その道程を追い求めてこの世を彷徨っている気すらし始めた。
 いえいえ、私の場合そんな大それた人生を歩んでいる訳ではないことは自己分析出来ているが。

 いつか大阪を訪れた折には、旧万博会場へ足を運び、是非とも「太陽の塔」内部の展示を観賞してみたいものだ。

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