現在、韓国平昌(ピョンチャン)にて開催中の冬季五輪の女子スキージャンプ競技に於いて、銅メダルを獲得した高梨沙羅選手。
未だ女子スキージャンプ競技者が少なかった頃より、御父上が元ジャンプ選手だった影響下で、子どもの頃よりスキージャンプ練習に励み精進してきた人物のようだ。
前回のソチ五輪では金メダルを期待されそれが叶わなかったが、今回の平昌大会では銅メダルを獲得した。
私の記憶によれば、沙羅氏ご本人が「これ(銅メダル)が私の実力です」と冷静にインタビューに応えていたのが印象的だ。
さて、その高梨沙羅氏が、“お顔の大改造” をしてメディアに登場した時には、この私も驚かされた。
ご本人曰く、「マスカラを付けた」との表現だったようだが、明らかに整形顔だ。 どう見ても人工的に目を二重にして、鼻の形を変えたことは確かだろう。
私が高梨氏の“大改造顔”を初めて拝見したのは、朝日新聞別刷り「be」一面トップに掲載された大きな写真にてだ。 飛び入学したとの日本体育大学構内での撮影だったと記憶している。
(随分と思い切ったものだ。)との正直な思いと共に抱いた感想とは。
まあ選手としてオフシーズンだし、女子大生だし、お洒落心があっても当然許されるだろう。 ただ、そこまでやってしまった場合、世間からの反応は避けられない。 それを承知の上であるとしたら、やはりジャンプ台から飛び下りる勇気ある女性だから、世のマイナス反応など一蹴出来るのかもしれないなあ、程度だった。
そもそも私は、女性がお洒落をする事に関して奨励する派だ。
私の場合、整形手術こそ施した経験は一度も無いものの、お洒落をする派だ。 高齢域に達した今現在尚、(親からそんな派手な格好をするな!と非難される程)身繕いをせずして外出しない主義だ。
我が娘に対しても、幼少の頃より“厳しい”までに「お洒落教育」を実施して来ている。 その甲斐あって、娘も日々お洒落をして仕事や趣味に出かけている。
それ故に、高梨沙羅氏が“お顔の大改造”を施した事実自体に対しては、特段非難しようとは思わない。 既に著名人域に達している沙羅氏故に、その行動に整合性はあろう。
そんな私も仰天させられるのは、沙羅氏がジャンプ競技本番時にまで“大改造顔”で出場している事実だ。 今回の平昌五輪にも“あのお顔”で出場していた。
いや、それを施す事によりご本人の精神的ゆとりがもたらされるとの効果があるのかもしれない。 あるいは、あの目はマスカラではなく“まつ毛エクステ”と呼ばれる施術であり、事前にそれを施しておけばまつ毛が生え変わるまでの幾日かは“あの目”で過ごせるのかもしれないし…
それにしても、お洒落女性にとって“人騒がせ”である事には間違いない。 試合観戦に集中する以前の問題として、沙羅氏の“改造お顔”に注目が行ってしまうのは確かだ。
そんな、高梨沙羅氏に関するネット情報を発見した。
以下に “高梨沙羅が「国民」からの「謎の圧力」に勝利した日 マスカラとベンツ、大勝利……と。” と題する文面の一部を以下に紹介しよう。
文春オンライン 女子ジャンプで銅メダルを獲得した高梨沙羅 ©雑誌協会代表
たとえば親が子に、恋人が恋人に、ファンがアイドルに……悲しいかな人は他人に対して勝手に期待をぶつけては、期待が果たされないとなると逆ギレし、その理由をあれやこれやと探りだし、弾劾しようとする、ひとり相撲脳内場所を開催させてしまう生き物。 そしてそれが最も顕著に表れるのが「国民とアスリート」の関係性ではないだろうか。 特に国同士が戦うオリンピックでは、視聴者が「国民」という最強の鎧を身につけたことで、無敵感を発揮してしまう。 アスリートは「国民」の代表→「国民」とはすなわち自分→俺の私の理想のアスリートであれ→壮行会でラップしてはいけない腰パンドレッドしてはいけない俺より先に寝てはいけない俺より先に起きてもいけない飯はうまくつくれいつもキレイでいろ……国民総関白宣言。
「化粧なんかにうつつを抜かしているからだ」
この、ちょっと不可解ともいえる“理想のアスリート像”の犠牲となっていたのが、前述の高梨沙羅選手でした。4年前、ハウス北海道シチューのCMで牛の乳絞ってそうだった高梨選手ももう21歳。そりゃ髪をカラーリングしたり、メイクもするでしょうよ。そうしてどんどんあか抜けていく高梨選手を、なぜか「国民」は許せなかったようだ。 平昌に向けなかなか調子が上がらなかった高梨選手の記事がネットに上がるたびに、コメント欄には「化粧なんかにうつつを抜かしているからだ」などと書き込みが。 もしかして、まつエクしたら空気抵抗が変わるの? 眉毛整えたらテレマーク姿勢乱れるの? と、マジで頭いい人に聞きたくなるほど理不尽なバッシングに見舞われていました。
「永遠に素朴でいてほしい」という謎の圧力
さらに。 もしかしたらこちらのほうが根は深いかもしれない、「素朴な女の子は永遠に素朴な女の子のままでいてほしい」という、謎の圧力もあるように思われます。『木綿のハンカチーフ症候群』とでも言ったらいいのか。 自分を捨てた恋人に金銭ではなくハンカチを要求する女性であってほしい。高梨選手はこうした「あたしアスリートだから」幻想と「都会の絵の具に染まらないで帰って」圧力を、ダブルで背負わされてしまったように思う。
愛車のベンツもとやかく言われ。
メイクのみならず、愛車の「メルセデス AMG G 63」にまでとやかく言われていたのも解せない。
高梨氏とすれば、なんでこっちのカネでやってることなのに、てめぇに口出しされんだよと、きっと校舎の窓ガラスのひとつも割りたくなるに違いない。 それが分かっているのに、私たちは「国民」「視聴者」「ファン」などデカめの主語を与えられると、いともたやすく対象者にそれをぶつけるようになるのだ。 ナショナリズムの怖さって、こういうとこにもあるね。
(以上、ネット情報より一部を引用したもの。)
最後に、私見でまとめよう。
いやはや、低レベルなネット情報を引用してしまったことをまずはお詫びしておこう。
後半部分の“ベンツ”に関してだが。
沙羅氏がご自身のベンツの前で“改造お顔”にてポーズを取っている写真がこのネット情報に掲載されている。
スキージャンプ競技の場合、練習時にその機材を運搬するにはこれ程の大型車が必要なのであろうと察する。 それはそうだろうが、確かに沙羅氏本人がメディア取材に応じてご自身所有のベンツの前で笑顔写真を撮る必要はなかったのかとも推測出来よう。
それもそうとして。
今の時代、世に名を売っているヒーロー・ヒロイン達に傍観者がそれ程までに“ジェラシー”を抱いているとは到底思えないのだが。
私が若かりし頃の昭和高度経済成長期頃とは、確かにヒーロー・ヒロインが輝ける時代背景だった。
その後、確実に時代は大きく移ろいでいる。
高梨沙羅氏とて、おそらく国民からはご自身の“お顔大改造”になど触れずに放っておいて欲しいのが本音だろう。
ご本人が平昌五輪で銅メダル獲得後にメディアを通じ発言した通り、今後も沙羅氏は次なる大会に向け精進されるつもりなのであろう。
その実行に際し、実際問題“まつ毛エクステ”の手間が負担になれば、ご本人自身が“五輪勝利とまつ毛エクステどちらが重要か” との今後の処置の見直しを考慮し選択する時期が訪れるのであろうかと、高齢域に達していている私などは思うのだが……
未だ女子スキージャンプ競技者が少なかった頃より、御父上が元ジャンプ選手だった影響下で、子どもの頃よりスキージャンプ練習に励み精進してきた人物のようだ。
前回のソチ五輪では金メダルを期待されそれが叶わなかったが、今回の平昌大会では銅メダルを獲得した。
私の記憶によれば、沙羅氏ご本人が「これ(銅メダル)が私の実力です」と冷静にインタビューに応えていたのが印象的だ。
さて、その高梨沙羅氏が、“お顔の大改造” をしてメディアに登場した時には、この私も驚かされた。
ご本人曰く、「マスカラを付けた」との表現だったようだが、明らかに整形顔だ。 どう見ても人工的に目を二重にして、鼻の形を変えたことは確かだろう。
私が高梨氏の“大改造顔”を初めて拝見したのは、朝日新聞別刷り「be」一面トップに掲載された大きな写真にてだ。 飛び入学したとの日本体育大学構内での撮影だったと記憶している。
(随分と思い切ったものだ。)との正直な思いと共に抱いた感想とは。
まあ選手としてオフシーズンだし、女子大生だし、お洒落心があっても当然許されるだろう。 ただ、そこまでやってしまった場合、世間からの反応は避けられない。 それを承知の上であるとしたら、やはりジャンプ台から飛び下りる勇気ある女性だから、世のマイナス反応など一蹴出来るのかもしれないなあ、程度だった。
そもそも私は、女性がお洒落をする事に関して奨励する派だ。
私の場合、整形手術こそ施した経験は一度も無いものの、お洒落をする派だ。 高齢域に達した今現在尚、(親からそんな派手な格好をするな!と非難される程)身繕いをせずして外出しない主義だ。
我が娘に対しても、幼少の頃より“厳しい”までに「お洒落教育」を実施して来ている。 その甲斐あって、娘も日々お洒落をして仕事や趣味に出かけている。
それ故に、高梨沙羅氏が“お顔の大改造”を施した事実自体に対しては、特段非難しようとは思わない。 既に著名人域に達している沙羅氏故に、その行動に整合性はあろう。
そんな私も仰天させられるのは、沙羅氏がジャンプ競技本番時にまで“大改造顔”で出場している事実だ。 今回の平昌五輪にも“あのお顔”で出場していた。
いや、それを施す事によりご本人の精神的ゆとりがもたらされるとの効果があるのかもしれない。 あるいは、あの目はマスカラではなく“まつ毛エクステ”と呼ばれる施術であり、事前にそれを施しておけばまつ毛が生え変わるまでの幾日かは“あの目”で過ごせるのかもしれないし…
それにしても、お洒落女性にとって“人騒がせ”である事には間違いない。 試合観戦に集中する以前の問題として、沙羅氏の“改造お顔”に注目が行ってしまうのは確かだ。
そんな、高梨沙羅氏に関するネット情報を発見した。
以下に “高梨沙羅が「国民」からの「謎の圧力」に勝利した日 マスカラとベンツ、大勝利……と。” と題する文面の一部を以下に紹介しよう。
文春オンライン 女子ジャンプで銅メダルを獲得した高梨沙羅 ©雑誌協会代表
たとえば親が子に、恋人が恋人に、ファンがアイドルに……悲しいかな人は他人に対して勝手に期待をぶつけては、期待が果たされないとなると逆ギレし、その理由をあれやこれやと探りだし、弾劾しようとする、ひとり相撲脳内場所を開催させてしまう生き物。 そしてそれが最も顕著に表れるのが「国民とアスリート」の関係性ではないだろうか。 特に国同士が戦うオリンピックでは、視聴者が「国民」という最強の鎧を身につけたことで、無敵感を発揮してしまう。 アスリートは「国民」の代表→「国民」とはすなわち自分→俺の私の理想のアスリートであれ→壮行会でラップしてはいけない腰パンドレッドしてはいけない俺より先に寝てはいけない俺より先に起きてもいけない飯はうまくつくれいつもキレイでいろ……国民総関白宣言。
「化粧なんかにうつつを抜かしているからだ」
この、ちょっと不可解ともいえる“理想のアスリート像”の犠牲となっていたのが、前述の高梨沙羅選手でした。4年前、ハウス北海道シチューのCMで牛の乳絞ってそうだった高梨選手ももう21歳。そりゃ髪をカラーリングしたり、メイクもするでしょうよ。そうしてどんどんあか抜けていく高梨選手を、なぜか「国民」は許せなかったようだ。 平昌に向けなかなか調子が上がらなかった高梨選手の記事がネットに上がるたびに、コメント欄には「化粧なんかにうつつを抜かしているからだ」などと書き込みが。 もしかして、まつエクしたら空気抵抗が変わるの? 眉毛整えたらテレマーク姿勢乱れるの? と、マジで頭いい人に聞きたくなるほど理不尽なバッシングに見舞われていました。
「永遠に素朴でいてほしい」という謎の圧力
さらに。 もしかしたらこちらのほうが根は深いかもしれない、「素朴な女の子は永遠に素朴な女の子のままでいてほしい」という、謎の圧力もあるように思われます。『木綿のハンカチーフ症候群』とでも言ったらいいのか。 自分を捨てた恋人に金銭ではなくハンカチを要求する女性であってほしい。高梨選手はこうした「あたしアスリートだから」幻想と「都会の絵の具に染まらないで帰って」圧力を、ダブルで背負わされてしまったように思う。
愛車のベンツもとやかく言われ。
メイクのみならず、愛車の「メルセデス AMG G 63」にまでとやかく言われていたのも解せない。
高梨氏とすれば、なんでこっちのカネでやってることなのに、てめぇに口出しされんだよと、きっと校舎の窓ガラスのひとつも割りたくなるに違いない。 それが分かっているのに、私たちは「国民」「視聴者」「ファン」などデカめの主語を与えられると、いともたやすく対象者にそれをぶつけるようになるのだ。 ナショナリズムの怖さって、こういうとこにもあるね。
(以上、ネット情報より一部を引用したもの。)
最後に、私見でまとめよう。
いやはや、低レベルなネット情報を引用してしまったことをまずはお詫びしておこう。
後半部分の“ベンツ”に関してだが。
沙羅氏がご自身のベンツの前で“改造お顔”にてポーズを取っている写真がこのネット情報に掲載されている。
スキージャンプ競技の場合、練習時にその機材を運搬するにはこれ程の大型車が必要なのであろうと察する。 それはそうだろうが、確かに沙羅氏本人がメディア取材に応じてご自身所有のベンツの前で笑顔写真を撮る必要はなかったのかとも推測出来よう。
それもそうとして。
今の時代、世に名を売っているヒーロー・ヒロイン達に傍観者がそれ程までに“ジェラシー”を抱いているとは到底思えないのだが。
私が若かりし頃の昭和高度経済成長期頃とは、確かにヒーロー・ヒロインが輝ける時代背景だった。
その後、確実に時代は大きく移ろいでいる。
高梨沙羅氏とて、おそらく国民からはご自身の“お顔大改造”になど触れずに放っておいて欲しいのが本音だろう。
ご本人が平昌五輪で銅メダル獲得後にメディアを通じ発言した通り、今後も沙羅氏は次なる大会に向け精進されるつもりなのであろう。
その実行に際し、実際問題“まつ毛エクステ”の手間が負担になれば、ご本人自身が“五輪勝利とまつ毛エクステどちらが重要か” との今後の処置の見直しを考慮し選択する時期が訪れるのであろうかと、高齢域に達していている私などは思うのだが……