原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人に褒められて嬉しいうちは人間として未熟な証拠

2015年09月14日 | 自己実現
 辛口論評エッセイを8年来公開し続けている原左都子だが、こう見えて現実世界では意外や意外「褒め上手」を自覚している。
 特に自分よりも年少者に対しては、まず「褒める」事を常に心がけている。


 その最たる存在が我が娘だ。
 娘のお抱え家庭教師を幼少の頃より貫いて来ている私は、「サリバン先生」の立場でとにもかくにも幼少の頃より、娘が出来なかった事が出来るようになったなら“絶対評価”にて何が何でも褒めちぎったものだ。 
 「○○ちゃん、凄~~~い!」と言って娘と抱き合いつつ、拍手と万歳!そして二人で飛び跳ねて喜んだものだ。
 今現在尚、形を変えつつ娘を“絶対評価”にて褒める習慣は揺るぎなく続いている。 大学4年生にして就活「内定」が未だ貰えずとも、「貴女には貴方なりに培ってきた素晴らしい能力が備わっていて、それを母の私は十分承知・評価している。結果とは必ずついて来るものだ!」と褒める日々だ。

 そんな我が経験からもの申すならば、人を「褒める」事が「褒められる」相手に有効に作用可能な原点とは、褒める側のポリシーこそが確固としている事に尽きるであろう。
 要するに褒める側が褒められる側の“同意の実感”を呼び起こせると確信した上で褒め言葉を発してこそ、褒められる側の成長に繋がるとの事ではあるまいか。

 そもそも私が年少者の“褒め上手”になったきっかけとは、高校教員を経験したからに他ならない。 
 何分私が勤務したのは「底辺高校」(幾度もの失礼な表現を心よりお詫びしますが)。 だが、キラキラ輝く目とハートを持ち合わせている子供達と日々触れ合えた経験こそが、私を“褒め上手”大人に仕立て上げてくれたと感謝している。 
 あの時代の経験が無ければ、その後も私はいつまでも褒められる側に位置するつまらない人生を歩んだ事だろう。 単に他者に褒められ有頂天になり人生をまっとうする“単純馬鹿”かつ“世間知らずのみっともない”人生を重ねていたような気もする。 (そういう輩って悲しかな現世に溢れているよねえ。)


 ここで話題を大幅に変えよう。

 朝日新聞9月12日別刷「be」“RANKING”のテーマは、「こんな言葉でほめられたい」 だった。

 早速そのランキングを、1位から20位まで紹介しよう。 
  ① 「頭がいい」  ② 「思いやりがある」  ③ 「笑顔がいい」  ④ 「気が利く」
  ⑤ 「センスがいい」  ⑥ 「教養がある」  ⑦ 「アイデア豊富」  ⑧ 「優しい」
  ⑨ 「落ち着いている」  ⑩ 「品がある」  ⑩ 「若く見える」  ⑫ 「誠実」
  ⑬ 「意志が強い」  ⑭ 「頼りがいがある」 ⑮ 「行動力がある」 ⑯ 「聞き上手」
  ⑰ 「しっかりしている」  ⑱ 「おもしろい」  ⑲ 「おしゃれ」 ⑳ 「おおらか」

 この朝日新聞“RANKING"宛に事前回答を寄せたのは、当然ながら朝日新聞の読者である。 
 その年齢層を本文を読んで推測した我が予想を公開するならば、おおよそ40代から70代の年代に偏っている様子だ。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 40代から70代の朝日新聞読者にして、今更ながら「頭がいい」と他者から評価して欲しいとの願望が燦然と一位に輝いている事態に驚かされると共に、大いなる違和感を抱かされる。
 「頭がいい」と褒められる事実など、ご自身の人生初期段階の当の昔にとっとと自己証明して自己満足を達成すれば済んでいる話ではなかろうか??

 同様に、40代から70代にして、「教養がある」と褒めて欲しいだと??? 
 いやはや、笑い話としか捉えようがない。  むしろ場をわきまえずにそんな事を表ざたにしたならば、「教養無き人物」として嫌われる対象と私は心得るのだが…。
 ご自身の教養の程に関しては、高齢に達してはそれこそブログ等にでも綴り公開して、狭き世間よりの評価に期待し自己満足してりゃ済む話であろう。


 私自身が今尚世間からよく頂戴する「褒め言葉」がある。

 年齢よりも「若く見える」がその最たるものだが、これに関してマイナーな感情を抱いている事実についてはバックナンバーにて散々公開している。(2011.1.18 「『お若いですね』は今や褒め言葉ではない」等を参照下さい。) 

 「頭がいい」に関しても、今となっては“誰にもの言ってるんだ!!”なるマイナーな感覚を抱こうとて、プラスのイメージは全くない。
 同様に「教養がある」 に関しても、“どんな立場で人にもの言ってるんだ!”と言いたくなるが、幸いながら最近はこんな発言をされた経験はないかもしれない。


 最後にまとめると、自分自身が褒められていると自覚出来ない言葉を「褒め言葉」として他者から発せらるのが誰しも一番不本意なのではなかろうか。

 原左都子としてそれを列挙するならば、以下の項目に於いて、私は生涯それには属さない人材である事を自覚している。
  ② 「思いやりがある」   
  ⑧ 「優しい」
  ⑨ 「落ち着いている」 
  ⑩ 「品がある」  
  ⑫ 「誠実」
  ⑳ 「おおらか」

 
 ただ、人間関係とは多様性がある事も十分に心得ている。
 もしも信頼している人物より「貴方にはこういう側面もあるよ」 などと優しくささやかれたならば、身勝手にもそれを自分の魅力として再認識させられるのかもしれないね。 

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