原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「お・も・て・な・し」 にもてあそばれ…

2014年03月27日 | 人間関係
 「おもてなし」 なる言葉自体に関しては、私は元々嫌いではなかった。

 ところが、昨年(2013年)9月アルゼンチン ブエノスアイレスにて実施された「2020東京五輪開催決定」発表場面での安倍首相を筆頭とする日本五輪開催委員達の馬鹿騒ぎ以降、私にとっては聞くだけで「反吐が出そう」な程に“気持ち悪い”言葉と成り下がってしまったのだ… 

 「おもてなし」には本来、「お客様を歓待すること。お客様の世話をすること。」等の意味合いがあろう。 そして、当時東京五輪招致委員だった某タレント女性は、東京五輪に世界の皆様がお越し下さる事を歓迎するとの意味合いで、ブエノスアイレス会場にて「お・も・て・な・し」なるプレゼンテーションを繰り広げたのであろう。

 ところが、あのプレゼンテーションの仕方が私にとっては実に“気持ち悪かった”のだ。 素直に「おもてなしをしたい」と英語で言えば済むものを、手振りを付けて「お・も・て・な・し」なるへんちくりんなパフォーマンスを世界中へ公開した事実こそが、実に不快な場面として我が脳裏に刻みつけられる事となったのだ。
 しかもその後年末に至って、あの「お・も・て・な・し」が流行語大賞にノミネートされた事態には辟易とさせられ、我が“気持ち悪さ”に拍車がかかったものだ。
 (恐らくあのパフォーマンスを喜んだのは日本国内2020東京五輪開催賛同者のみであり、全世界の皆さんにとっては単に日本に住むハーフ女性が何かやっているのみで訳が分からない内容だったことであろう。


 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、朝日新聞3月23日付コラム 「おもてなしが止まらない」なる記事を見たことによる。
 イラストレーターであられる女性氏が現在コラムを担当しておられるようだが、そのイラスト内に記載されている文章に同意する私だ。
 そのイラスト内文章とは、「もてなすのも もてなされるのも むずかしいものです」


 ここで原左都子の私事に入らせていただくが、「おもてなし」に於ける上記イラストレーター氏がおっしゃる通りの現実を私自身もよく味わっている。

 そもそも人をもてなす事が苦手な私であり、それを実行する事がほとんどない。
 片や「もてなされる」場面に際しては、意外と図々しくも足繁く出かけるタイプかもしれない。 
 いや、ただ、「もてなされる」身も様々な意味合いで結構大変なものだ。 「おもてなし」主体者側の歓待趣旨に添うべく行動せねばならないのが基本であろう。 ご招待下さった側が訪問客に何を求めているのかを探りつつその要望に合致した「もてなされぶり」を披露して、「よき会合だった」事を伝えて場を去る義務が招待された側にあるのは当然だ。

 実はつい最近、昨年癌闘病の末壮絶死を遂げた義理姉の配偶者である一人暮らしのご亭主宅に、我々一家がお邪魔する事と相成った。 そもそも訪問を辞退するべきとも考えつつ、本人が「是非お越し下さい」との事でお茶をご馳走になる目的で短時間のみお邪魔した。 
 義理姉の死後9か月程が経過していることが幸いしているのか、ご亭主は随分と落ち着いた態度で我々を歓待して下さるのだ。 元々陶芸が趣味である人物なのだが、最近作成した作品の数々を観賞させてもらったりと有意義な時間を共有できた思いだ。 特に私と娘には「女性が訪問下さったのは久しぶりです」と本音を少し覗かせてくれた事に、せっかくのおもてなしに応えてよかったとの思いで帰宅路に着いたものである。 
 

 そして昨日など、原左都子が訪問客を“もてなす”べく立場に回ったのだ。

 その訪問客とは、我が所有賃貸借物件改修工事依頼に際し契約事務的要件で訪れてくれる担当者に他ならなかった。 
 その担当者氏のために、私は「お茶」を振る舞うか否か大いに迷った。 と言うのも今現在の社会的慣行として、そういう場面に於いては「お茶等の振る舞いを辞退する」事業所が常識となっているためだ。
 そんな中、私はその担当者に「お茶」を出すことを決行した。 と言うのも、この担当者氏には時間によらずこちらから幾度となく携帯電話に連絡する等の手段で既に大いにご迷惑をかけていたためだ。
 さてさて、初対面で我が家にやってきた男性担当者が何ともまあ若き“イケメン”ではないか! (不謹慎は承知の上で、この事態に感激する程に我が身が年老いていることを実感させられるというものだが。
 しかもこの男性担当者は、私がおもてなしした「お茶」を快く飲んでくれたのだ! 
 それだけでも感激なのに、契約終結の帰り際「ご質問等ございましたらいつでも私の携帯にご連絡下さい」との事だ。 すかさず、「じゃあ、そうさせて頂きます!」との我が返答に「お待ちしております。」との回答で我が家を去っていかれた。
 いや~~。 こんな爽やかな青年にはいくらでも工事費用を差し出したい思いだ。 (単なる冗談ですけどね。
 

 最後に、原左都子の私論結論に入ろう。

 「おもてなし」とは、する側、される側共々実に困難な概念と心得る。
 
 本日放映されたNHKドラマ「ごちそうさん」に於いても、「おもてなし」が命題だったと認識している。
 今週末で終わりゆく「ごちそうさん」が如何なる結末を導くのか注視していたところ、本日は米軍GHQ幹部へのめ以子の「おもてなし」により両者が“戦争とは愚かなもの”との結論合意に達したと私は理解した。

 今現在我が国が果たすべき「おもてなし」とは、その時代よりもずっと進化を遂げているべくはずだ。

 「お・も・て・な・し」 なる、大袈裟なパフォーマンスを国際場面で展開するよりも、もっと身近な人間関係に於いて個々が有意義な関係を築ける“真のおもてなし”を実行しつつ、人間関係を紡いで行くべきだろう。
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