(冒頭写真は、朝日新聞2022.08.23付教育関連記事「新聞読む子の平均正答率 高い傾向」より転載したもの。)
早速、上記朝日新聞記事を以下に要約引用しよう。
新聞を読む頻度が高い子の方が読まない子よりも全国学力調査の平均正答率が高い。 文部科学省が7月に発表した学力調査の結果から、そんな傾向が浮かんだ。
調査は4月、小学6年生と中学3年生に実施。教科別のテストのほか、子どもの生活などもついてん尋ねるアンケートも行った。
このうち「新聞を読んでいますか」という質問について頻度を4択で答えてもらったところ、「ほぼ毎日」と答えた子の国語平均正答率は、小6で75.4%,
中3で74.9%だったのに対し、「ほとんど、または全く読まない」と答えた子の平均正答率は小6で63.9%、中3で68.3%だった。
ただ、文科省は新聞を読む頻度と正答率の相関関係が弱いとして、「新聞を読むほど正答率が高まる、とまでは言えない」と慎重な見方をしている。
一方、新聞を読む頻度は年々減っている。 例えば小6の「ほとんど、または、全く読まない」は、22年度には72.7%に増えた。
(以上、朝日新聞記事より要約引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
私が育った生家では、昔から“地方新聞”を一筋に購読していた。
それを私が読み始めた(というより“見始めた”の方がより正解だが)のは、小学校高学年頃からだろうか? 今となっては、特段の記憶が何も無いのだが。
中高生時代以降は、さすがに興味を持てる記事を読み始めたが、新聞を読むためにまとまった時間を取る程でもなかった。
そんな私が本格的に新聞を読み始めたのは、医学業務に従事していた20代半ば頃からだった。
当時はとにかく女が25歳頃を過ぎると、「売れ残り」「行き遅れ」と後ろ指をさされる時代だった。
私が勤務していた医学関係企業でもその例外ではなく、医学専門職女性であれ、結婚退職が後を絶たなかった。
周りを見回すと、女子社員は新卒で入社後2,3年の若手ばかり。
特に困惑したのは、昼休みに社員食堂へ一緒に行く女友達が結婚退職してほぼいなくなった事態だ。
いや元々昼食など一人でとっとと食べたい主義の私だったことが効を奏して、これは好都合だった。
そして余った昼休みタイムを何に当てたかというと、「新聞熟読」だった。
元々どちらかというと“左思想”の私は迷いなく「朝日新聞」を購読し始めたのだが、毎朝自宅の郵便受けに投函されている朝刊を鞄にねじこんで会社へ持参して。
昼休みの残り時間にそれをむさぼり読んだものだ。
その姿は、おそらく課内で有名だったことだろう。 誰も近付けない集中力で、新聞を読み漁ったものだ。
その後30過ぎて入学した2度目の大学入学後も、この習慣は続いた。 幸い我が大学には一人部屋の自習室が充実していて、そこにこもって朝日新聞を日々熟読したものだ。
その後の就職先でも、これ(昼飯後新聞熟読タイム)は続いた。
この習慣は確かに私を“情報通”に仕立ててくれたし、“もの言える”人間として生きていく人生を形作ってくれたと、自己評価している。
その集大成が、当該「原左都子エッセイ集」であると結論づけられよう。
最後に、話題を冒頭の「新聞読む子の平均正答率 高い傾向」に戻そう。
このグラフをよく見ると、「ほぼ毎日読む子」と一番下の「ほとんどまたは全く読まない子」間に、驚くほどの大差は無い。
この記事は朝日新聞社の記載であり、“身贔屓”記事であるとも言えよう。
それ程の大差が出ない理由として、「新聞は読まないが本好きの子」も多く存在するであろうし、今時それこそテレビやスマホ類を通して情報収集が得意な子ども達も多いことであろう。
(それ故に、この記事の扱いは朝日新聞の片隅に小さく掲載されていたに過ぎない。)
それにしても、あくまでも「新聞好き」の原左都子としての一番の情報源は、高齢域に入って久しい未だにこの新聞(朝日新聞に限定されているが)である。
“20代半ばにとった杵柄”とでもいうのか、原左都子にとって「新聞購読」とは今後一生に渡り続行する“楽しみ・生き甲斐”でもあることだろう。
近い過去に何度か「電子版新聞」への乗り換えを検討したことがあるが。
それをすると、日がな一日中パソコンに向かっていなければならない光景を思い浮かべてしまい。
毎月古紙回収に必ずや協力しつつの「紙面新聞購読」を、今後しばらく続行することとしている。
最後に参考だが、私は自宅食卓にての「新聞の立ち読み」の習慣がある。
これ、私にとって大きな効用があるのだが。
立ち読みをすると、まず紙面を一覧可能だ。
その中から自分が読みたい記事をピックアップして、その記事に集中したり、スクラップできるメリットがある。
スクラップした記事を、後にじっくりと読み直すことも可能だ。
そうやって、我が「原左都子エッセイ集」記事は完成・公開しているとも言えるでしょう。