原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私自身の免疫関連学会講演抄録を発見しました!

2018年10月03日 | 学問・研究
 (写真は、1978年に東京都にて開催された「日本臨床免疫学会総会」内の講演抄録の一ページ。)


 一昨日(10月1日)の夜NHKニュースにて、京都大学特別教授 本庶佑氏が今年のノーベル医学生理学賞受賞決定との速報を受け、私は当エッセイ内で以下の記述をした。

 <明日以降、再び我が「免疫学」関連学会抄録を詳細に紐解き、本庶佑先生の過去の業績の程を我が視点から紹介させて頂けるならば、こんなに嬉しいことはない。>


 その後暇を見つけては、書棚から過去に私が訪れた免疫関連学会の抄録群を取り出し、当時の本庶先生の業績を辿ろうとしたのだが…
 どういう訳か、どうしても本庶先生のご氏名が発見不能だ。 
 1970年代後期より1980年代前半期にかけ私は足繁く全国津々浦々で開催される免疫関連学会へ通い、本庶先生の学会でのシンポジウムや一般発表等を拝見している事実には絶対間違いない。 だからこそ今尚本庶先生のお名前をメディアで見聞すると、「あの方だ!」と驚嘆させていただけるのだ。

 まあただ今回の本庶先生のノーベル医学生理学賞受賞とは、「オプジーボ」等免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる薬剤開発に結びついた業績が評価されてのことである。
 要するに私が過去に知る本庶先生とは、おそらく30代前半頃のお若さだったのではあるまいか? その頃の免疫学とは未だ“分子生物学”の恩恵が一切ない時代背景だ。
 それでも私の認識では、まさに「免疫学」が “self or not self" 概念の画期的転換により、目覚ましく発展を遂げた時代だったことには間違いないだろう。


 さて、残念ながら本庶先生のお名前を発見出来なかったものの…
 
 1978年(昭和53年)に東京都千代田区 経団連会館にて開催された、「第6回 日本臨床免疫学会総会 講演抄録」にて、自分の名前(原左都子の旧姓本名だが)を先ほど発見した! (写真の黒塗り部分は私の旧姓と当時の所属会社であるが、個人情報保護目的で黒塗り処理をさせて頂いた。)
 いやはや驚いた。

 確かにこの頃私は民間医学関連企業の研究室に所属し、我が社と顧問契約を締結していた自治医科大学臨床病理学教室と大いなる係わりがあった。
 上記「臨床免疫学会」に於ける一般発表演目内容のうち、私は“抹消リンパ球subpopulation”のサンプル実験を担当した。 当時若気の至りにして栃木県僻地(失礼!)に存在する自治医科大学へ駆り出され、大学の寮に寝泊まりし、臨床病理学教室にて日夜その膨大なサンプリング実験に励んだものだ。
 その我が業績(というより“ひたむきな頑張り力”)を評価して下さった故に、共同研究者の末尾に我が名を連名してくれたに過ぎないのだが…

 いや、それでも嬉しいなあ。
 当時こうやって日本に名立たる免疫学全国学会発表に加われた実績がこの私にも残されている事実が、過去に少しでも医学発展に加担出来た実績でもあろうし、何となく心躍る気分だ。 (参考だが、私自身が発表者となった“さほどメジャーではない”別医学学会発表も複数存在する。)


 本庶先生の業績であられる「オプジーボ」だが。
 実は癌患者の2割程にしか効かず、メディアが騒ぐ程の有効性が無いとの報道も見聞する……

 癌も、それに罹患した患者の特質もそれぞれなのであろう。
 と同時に。

 医学の発展と庶民患者間の専門力の大いなる格差を埋める作業も、医学従事者に永遠に求められる課題かとも再確認させられる…… 

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