「亭主元気で留守がいい」 との“名言”とも表現可能な流行語が世の奥様方を唸らせたのは、1986年の事だった。
その後もこの“名言”の勢いは衰えるばかりか、今となっては“ことわざ”の地位にまで上り詰めているようだ。
特にこれが亭主定年退職後ともなると、奥方にとっては「粗大ゴミ」そして「濡れ落ち葉」にまで化す末恐ろしさである。
原左都子の身近にも、定年退職したご亭主の「粗大ゴミ」化あるいは「濡れ落ち葉」化を阻止するべく、涙ぐましいまでの対策を練っておられる奥方が数多く存在する。
某セレブ知人女性など、ご亭主の定年退職に先立ち財源を注ぎ込んで東京銀座にご亭主のアトリエ兼店舗を設けられ、そこへご亭主を日々通わせるべく方策を打ち立てられた。 これが大成功で、定年後数年が経過した今に至って尚ご亭主留守中に奥方ご自身の活動にエネルギッシュに集中出来ておられるご様子だ。
また某女性は、ご自身が現役時代に培った医学分野の専門力を活かし自ら再就職をして昼間家を留守にする事により、定年退職後のご亭主と距離を置かれているようだ。
私は週に一度のペースでスポーツジムに通っているが、昼間の時間帯に毎週欠かさず来ているメンバーとは男性高齢者がほとんどである。(もちろん少数ながら女性高齢者もお見かけするが。) おそらく皆さん、ジムでは健康維持目的でトレーニングされているのであろうが、もしかしたら奥方にジムで長時間過ごすように指南されているのやも知れない。 今時の民間スポーツジムとは何処も月極料金制を採用して、それが低価格設定であるのが特徴だ。 昼間の顧客層として定年退職後の高齢者こそが主たるターゲットであろう事に想像がつく。 (参考のため、公的機関運営のスポーツジムなど高齢者無料との特典もあるようだ。)
最近では若い世代女性の昼間の来訪をターゲットとして特別待遇しているらしき民間ジムの広告が目立つ。 要するに、お年寄り男性にとって若い女性の姿を見るだけでも“目の保養”になるとの論理ではなかろうか?? 若い女性を引き込む事により更なる高齢者男性の来館を意図していると捉えるのは、原左都子の歪んだ視線だろうか?
いずれにせよ理由や方策の如何によらず、定年後のご亭主とは距離を置き自分らしく活動したい奥方が量産されている今の時代背景ではあるまいか?
ここで原左都子自身の私事を語ろう。
私の場合は双方40歳前後にしての見合い晩婚、かつ婚姻後まもなく高齢出産で一女を設けていることが最大の理由と推し量るが、我が亭主と二人の時間を共有した記憶すらほとんどなければ、お互いにその希望もさほどなかったものだ。
我が子誕生直後には、もちろん亭主も育児に“少しばかり”は協力してくれた。 その後娘3歳頃に既にその協力もほとんど終焉し、母親の私一人で娘の教育指導を遂行して来たといっても過言ではない。
それでも娘の成長を願う目的で親子3人旅行のスケジュールを私が頻繁に計画し、実行してきた。 娘中学2年生の夏に一家3人で10日間程度の海外旅行に出かけたのを最後にその関係も修了し、後は私と娘との二人旅等のレジャーを楽しんでいる現状である。
晩婚当初より多少特異的とも言える我が家の場合、亭主が定年退職に至ろうと特段の変化や不都合は無かったともいえる。
亭主定年退職後1年7ヶ月が経過した今現在、我が家にほぼ毎日在宅している亭主であるが、一番ストレスフルで困惑するのは「料理嫌い」で名高い原左都子としては“亭主の昼飯を作る事”と自己分析している。 (参考のため、亭主の朝飯に関しては起床時間帯が一定していないため自主的にお願いしている。) 夕飯については母の立場で娘の分も作成するべきノルマがある事ぐらいは承知している故、これに関してもさほどの抵抗感はない。
いや昼飯に関しても、我が家の亭主も私から「今日は作れない事情」を前もって伝えておけばそれを承諾してくれる程度のキャパはある。 だが、何で私がいちいち亭主の昼飯を作れない事を“申請せねばならないのか”自体が理不尽であり、一番のストレスである事には間違いない!
さて、今回のエッセイを綴るきっかけになった朝日新聞10月26日付“悩みのるつぼ”の 「退職した夫が束縛します」 なる64歳女性の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
64歳女性だが、結婚40年、夫が退職するまでは多少の波風があったものの何とか折り合ってきた。 私は健康なうちはお互い自立した生活をすることが理想で、共働き中も現在も生活費は一部を除き基本的に別会計だ。 人間は一人では生きていけないことは理解しているが、夫は私を愛していると確信しているようだ。 この先介護するかされるかの人生は覚悟している。 とは言え、子育てと仕事から解放された今をもっと自由に謳歌したい。 夫は組織のトップ近くまで昇進したので、趣味どころではなく燃え尽きたのかもしれない。 人とは変わらないものだ。 いいストレス解消法をご伝授いただきたい。
今回の回答者は社会学者の上野千鶴子氏であるが、その回答表題は「夫を地域デビューさせる努力を」とあり、その実例を挙げて論評されている。
原左都子若かりし時代より尊敬申し上げている上野千鶴子氏であるが、今回の私の回答は上野氏の回答とは大幅に異なる。
最後に、我が私論を述べよう。
(私論展開の前に、相談者の人生と我が未熟な人生とでは大幅に異質である事をあらかじめお断りしておきたい。)
相談者女性は、定年退職されたご亭主に「愛されている」との記述を相談内でされている。 これぞ、素晴らしい!と私など感じざるを得ない。 (そうなんだ、60代半ばにして定年退職後の夫に愛されている??)
その思いを大事にされては如何かと、若輩の私からアドバイス申し上げたい思いだ。 加えて相談者女性ご自身にも経済力があり、この先ご亭主との相互介護に関してもご理解があられるならば、このままのご関係を続ければそれが必要十分ではないのだろうか。
原左都子にとっては何だか羨ましい類の相談内容なのだが…
その上で私が推測するには、(失礼は承知の上で)組織のトップまで昇進したとの相談者のご亭主は、実は現実世界での人生経験が不足しているのではないかとの事だ。
組織に勤務中の現役時代にもう少し別方面でも人生経験が積めていたならば、このご亭主の定年退職後の生き様が違って、奥方への迷惑が縮小できたのではないかと私は想像するのだ。
結局、ご亭主の人生をそのように操ってきた責任は奥方にもあると私は結論付ける。
今の時代に於いて長い老後をお互い生き抜く運命にある夫婦とは、退職前から二人してそれぞれの“真の自立”を目指しておくべきでなかっただろうか。
その後もこの“名言”の勢いは衰えるばかりか、今となっては“ことわざ”の地位にまで上り詰めているようだ。
特にこれが亭主定年退職後ともなると、奥方にとっては「粗大ゴミ」そして「濡れ落ち葉」にまで化す末恐ろしさである。
原左都子の身近にも、定年退職したご亭主の「粗大ゴミ」化あるいは「濡れ落ち葉」化を阻止するべく、涙ぐましいまでの対策を練っておられる奥方が数多く存在する。
某セレブ知人女性など、ご亭主の定年退職に先立ち財源を注ぎ込んで東京銀座にご亭主のアトリエ兼店舗を設けられ、そこへご亭主を日々通わせるべく方策を打ち立てられた。 これが大成功で、定年後数年が経過した今に至って尚ご亭主留守中に奥方ご自身の活動にエネルギッシュに集中出来ておられるご様子だ。
また某女性は、ご自身が現役時代に培った医学分野の専門力を活かし自ら再就職をして昼間家を留守にする事により、定年退職後のご亭主と距離を置かれているようだ。
私は週に一度のペースでスポーツジムに通っているが、昼間の時間帯に毎週欠かさず来ているメンバーとは男性高齢者がほとんどである。(もちろん少数ながら女性高齢者もお見かけするが。) おそらく皆さん、ジムでは健康維持目的でトレーニングされているのであろうが、もしかしたら奥方にジムで長時間過ごすように指南されているのやも知れない。 今時の民間スポーツジムとは何処も月極料金制を採用して、それが低価格設定であるのが特徴だ。 昼間の顧客層として定年退職後の高齢者こそが主たるターゲットであろう事に想像がつく。 (参考のため、公的機関運営のスポーツジムなど高齢者無料との特典もあるようだ。)
最近では若い世代女性の昼間の来訪をターゲットとして特別待遇しているらしき民間ジムの広告が目立つ。 要するに、お年寄り男性にとって若い女性の姿を見るだけでも“目の保養”になるとの論理ではなかろうか?? 若い女性を引き込む事により更なる高齢者男性の来館を意図していると捉えるのは、原左都子の歪んだ視線だろうか?
いずれにせよ理由や方策の如何によらず、定年後のご亭主とは距離を置き自分らしく活動したい奥方が量産されている今の時代背景ではあるまいか?
ここで原左都子自身の私事を語ろう。
私の場合は双方40歳前後にしての見合い晩婚、かつ婚姻後まもなく高齢出産で一女を設けていることが最大の理由と推し量るが、我が亭主と二人の時間を共有した記憶すらほとんどなければ、お互いにその希望もさほどなかったものだ。
我が子誕生直後には、もちろん亭主も育児に“少しばかり”は協力してくれた。 その後娘3歳頃に既にその協力もほとんど終焉し、母親の私一人で娘の教育指導を遂行して来たといっても過言ではない。
それでも娘の成長を願う目的で親子3人旅行のスケジュールを私が頻繁に計画し、実行してきた。 娘中学2年生の夏に一家3人で10日間程度の海外旅行に出かけたのを最後にその関係も修了し、後は私と娘との二人旅等のレジャーを楽しんでいる現状である。
晩婚当初より多少特異的とも言える我が家の場合、亭主が定年退職に至ろうと特段の変化や不都合は無かったともいえる。
亭主定年退職後1年7ヶ月が経過した今現在、我が家にほぼ毎日在宅している亭主であるが、一番ストレスフルで困惑するのは「料理嫌い」で名高い原左都子としては“亭主の昼飯を作る事”と自己分析している。 (参考のため、亭主の朝飯に関しては起床時間帯が一定していないため自主的にお願いしている。) 夕飯については母の立場で娘の分も作成するべきノルマがある事ぐらいは承知している故、これに関してもさほどの抵抗感はない。
いや昼飯に関しても、我が家の亭主も私から「今日は作れない事情」を前もって伝えておけばそれを承諾してくれる程度のキャパはある。 だが、何で私がいちいち亭主の昼飯を作れない事を“申請せねばならないのか”自体が理不尽であり、一番のストレスである事には間違いない!
さて、今回のエッセイを綴るきっかけになった朝日新聞10月26日付“悩みのるつぼ”の 「退職した夫が束縛します」 なる64歳女性の相談内容を以下に要約して紹介しよう。
64歳女性だが、結婚40年、夫が退職するまでは多少の波風があったものの何とか折り合ってきた。 私は健康なうちはお互い自立した生活をすることが理想で、共働き中も現在も生活費は一部を除き基本的に別会計だ。 人間は一人では生きていけないことは理解しているが、夫は私を愛していると確信しているようだ。 この先介護するかされるかの人生は覚悟している。 とは言え、子育てと仕事から解放された今をもっと自由に謳歌したい。 夫は組織のトップ近くまで昇進したので、趣味どころではなく燃え尽きたのかもしれない。 人とは変わらないものだ。 いいストレス解消法をご伝授いただきたい。
今回の回答者は社会学者の上野千鶴子氏であるが、その回答表題は「夫を地域デビューさせる努力を」とあり、その実例を挙げて論評されている。
原左都子若かりし時代より尊敬申し上げている上野千鶴子氏であるが、今回の私の回答は上野氏の回答とは大幅に異なる。
最後に、我が私論を述べよう。
(私論展開の前に、相談者の人生と我が未熟な人生とでは大幅に異質である事をあらかじめお断りしておきたい。)
相談者女性は、定年退職されたご亭主に「愛されている」との記述を相談内でされている。 これぞ、素晴らしい!と私など感じざるを得ない。 (そうなんだ、60代半ばにして定年退職後の夫に愛されている??)
その思いを大事にされては如何かと、若輩の私からアドバイス申し上げたい思いだ。 加えて相談者女性ご自身にも経済力があり、この先ご亭主との相互介護に関してもご理解があられるならば、このままのご関係を続ければそれが必要十分ではないのだろうか。
原左都子にとっては何だか羨ましい類の相談内容なのだが…
その上で私が推測するには、(失礼は承知の上で)組織のトップまで昇進したとの相談者のご亭主は、実は現実世界での人生経験が不足しているのではないかとの事だ。
組織に勤務中の現役時代にもう少し別方面でも人生経験が積めていたならば、このご亭主の定年退職後の生き様が違って、奥方への迷惑が縮小できたのではないかと私は想像するのだ。
結局、ご亭主の人生をそのように操ってきた責任は奥方にもあると私は結論付ける。
今の時代に於いて長い老後をお互い生き抜く運命にある夫婦とは、退職前から二人してそれぞれの“真の自立”を目指しておくべきでなかっただろうか。