原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

非日常の日々が通り過ぎつつある中で…

2011年03月20日 | 時事論評
 歴史的大震災が東日本を襲った悪夢の3月11日から9日間の日時が経過した。


 福島第一原発の原子炉爆発事故は、自衛隊や警視庁消防隊による懸命の放水活動にもかかわらず現場付近の放射線量に目立った変化はなく、未だ危機状態を脱出できない状況である。
 一方、東日本各地における放射線量のデータがネット上等で容易に入手できるようになる等、市民への“情報公開面”での進捗が大いに見られる今日この頃である。
 東京に住居を構えている原左都子の場合も、日々刻々と発表される東京地方の放射線量や風向き等をチェックしては、「今日は何時から何時頃まで洗濯物と布団をベランダに干そう」「今日はのびのびと外出できるぞ」等々、自己管理しつつの日々である。 
 参考のため、福島から200kmの距離がある東京地方の放射線量は昨日IAEAによっても測定報告された通り、その測定値は今のところ人体にほとんど影響を及ぼさないデータである。 申し訳ないことに当然ながら福島に距離が近い程放射線量値が高くなっているため、その地方の皆さんは引き続き我が身を守るべく行動されますように。


 前回の本エッセイ集の記事 「大震災被害者支援強化に向けての一提案」 の中でも訴えたが、大震災被災者に対する被災地ではない(あるいは被災の程度が軽い)遠隔地の避難支援の動きがここにきて著しい進展を見せていることに、大いに安堵する原左都子である。
 昨日(3月19日)の段階で、日本全国47都道府県が被災者受け入れのための避難所や公営住宅の提供、あるいはホームステイの実施等何らかの方策を提供したことにより、既に1万5千人を超える避難者が県外に移動した模様である。
 当然ながら医療弱者やお年寄り等の県外避難が最優先された様子だが、それら遠隔地避難者の中には家族や近親者と離れて不安感を募らせている人々もいるとの報道である。精神的ダメージを重々理解申し上げつつ、今はどうか医療環境が整った中でご自身の体調を復活することを優先いただきたい思いである。
 昨日(3月19日)の朝日新聞朝刊報道を原左都子が集計してみると、全国の自治体において総計16万人を超える避難者を受け入れる体制が整っているとのことだ。 特に隣県の神奈川県など6万3千人もの大量避難者を受け入れるとのことで、個人的立場ながら頭が下がる思いだ。
 (一方、東京都は昨日の報道によると都営住宅600戸のみの提供に過ぎないとは、日本の首都の立場としてその支援対策が貧弱過ぎるのではなかろうか? もしかしたら、都知事選出馬の準備で多忙な“某年老いた現知事”の頭が回っていないのではあるまいか??)

 とにもかくにも、今回の歴史的大震災の復興には、過去における我が国の震災被害とは比較対象にならないレベルの多大な時間を要することは明白であろう。

 被災地域では義務教育小中学校をはじめ高校、大学等の校舎が全半壊したり、あるいは地域住民の避難所としての役割を果すべく機能している地域も多い。
 4月の新学期に至るまでさほどの時間的余裕がない現状であるが、当然ながら文科省はその対策に追われていることであろうと推察する。 どうか、特に義務教育課程である被災地の小中学生全員が4月から何らかの手段で学校に通える方策を急いで欲しい思いだ。 (3月下旬に至ろうとしている今尚、文科省大臣よりその方策を一切聞けない状況であるのが一国民として辛いものである。)


 ここで原左都子自身の現在の日常に話を移させていただくことにしよう。

 本日もつい先ほど午後3時前後に「緊急地震速報」が発令される等未だ余震が続く中ではあるが、上記のごとく福島原発の放射能の影響に関して客観的データが得られる現状において、既に“非日常の日々”が遠ざかったのかとの安堵感もある。

 来年度(この4月)高3に進学する我が娘の“お抱え家庭教師”の役割を我が子が生まれて以降担っている原左都子であるが、今後娘が大学受験を目指すための本格的役割が強化される中、新たな予備校への新規登録等を開始する精神力が我が内面に復活しているのはありがたいことである。 子を持つ母である私に課せられている任務を冷静に捉え既にその活動に戻り、その処理を随時進めている段階である。

 話を変えて、前回の記事でも首都圏における食糧不足について綴ったのだが、この状態を作り出している元凶とはやはり心無い人々による“買占め”行動であることが裏付けされているようだ。
 私が大震災発生3日後に初めて近くのスーパーマーケットに行った時には、既にスーパー内の食料品がほとんど無いに等しい状況だった。 当時の私は「これはこの店舗が地震災害地の避難民にボランティアで食糧を届けたため、ここには食料品がないのだ」と解釈したものだ。 ところがそうではないことは直ぐに判明した。交通網が遮断されている中、そんな輸送が叶うはずもないのだ。 
 結局、大した被害を被っていない首都圏の市民が“買占め”行動に走った結果であることはその後直ぐに把握できた。
 それにしても不思議なのは、震災発生後9日が経過した今尚カップラーメンやレトルト食品、缶詰、そして冷凍食品等の保存食が大型スーパーにおいて未だにすべて売り切れている現状である。 元々これらの食品愛好家がその種の食品を買占めしているならばある程度話は分かる。ところがそうではなくて、一般市民がこの種の食品の“買占め”に今尚走っているとの報道にはほとほと呆れるばかりである。
 食べもしないものを買い込んで一体どうするつもりだ?? としか思えない原左都子とて、日頃多少の保存食にお世話になっていることは否めない。 ところが何も保存食を買い占めずとて、現状の首都圏における食糧配給量で十分栄養バランスを考慮した食事が可能なのである。
 一時、枝野官房長官がこのむやみな“買占め行動”が収束しないならば“法案を成立”させてでも買占め状態を制限する!と発言していた。 どうか国民(少なくとも大震災の被害が少ない地方の市民)の皆さんには愚かな消費行動を控えて欲しい思いである。 自宅内に買い溜めて賞味期限が切れたらゴミとして捨てるつもりならば、今現在食糧がなくて難儀している被災地に少しでも多くの食糧が届くことに思いを馳せよう。


 福島第一原発事故の危機的状況は今後も予断を許さない。
 そして東京地方に於いても余震や若干の食糧不足のごとくの多少の不自由が続行するとは言えども、震災発生後9日目にして、原左都子にとっては既に“非日常の日々が通り過ぎた”と表現できる段階に入っている。

 まだまだ“非日常”の続行を余儀なくされている被災者の皆さんの過酷な日常を慮ると共に、日本を挙げての援助活動により、少しでも早く“非日常”から脱出できる日が到来することを望んでおります。
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