水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

それでもユーモア短編集 (14)一日

2019年03月24日 00時00分00秒 | #小説

 何が起こるか分からないから楽しみがあり、それでいて安心できない怖(こわ)さを含んでいるのが日々の生活(くらし)である。私達はそれでも、そんな一日を繰り返して生き続けている訳だが、出来れば満足がいく充実した一日にしたいと考える。とかなんとか偉(えら)そうに書いてはいるが、その実、グデェ~~ンとしたり寛(くつろ)いでいたい…と思っているのが私の本音(ほんね)である。^^
 とある時代のとある小学校で運動会が行われようとしている。予行演習、今風に言えばリハーサルの連続で、一日一日が瞬(またた)く間に過ぎ去ろうとしていた。そして本番当日が巡り、呆気(あっけ)なく終ってしまった。
 生徒達が学校から姿を消し、あと片づけを終えた二人の教師がジィ~~っと放心したかのようにグラウンドを見渡している。
「終わりましたねっ、先生!」
「そうですねっ、先生!」
 まあ、どちらも先生だから先生と相手を呼び合う訳だが、ネームバリューのある先生の肩書(かたが)きを呼び合いたい節(ふし)がなくもなかった。
「ここまでの一日一日は長かったですが、今日の一日は短かかったですねっ! 先生」
「はい! 確かに…。お疲れさまでした、先生!」
「いやいや、先生こそっ!」
「いやいやいや、先生こそっ!」
 二人は傷ついた獣(けもの)がお互(たが)いを労(いた)わり合うかのように、それでも相手を先生先生と呼び合い、慰め合った。
 ここで問題である。皆さんは、この二人の先生方が、やれやれ無事終った…と安堵(あんど)されているとお思いだろうか? 事実は、そうではなかった。二人は運動会までの日々を、快適な気分で送っていたのである。終った今となっては、それでも巡る明日からの教壇の日々が心苦しく思えた訳だ。
 素晴らしい一日は意外と短いから大事にしたいものである。^^

                                  


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする