水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

春の風景 (第四話) 催花雨

2009年03月26日 00時00分00秒 | #小説
        春の風景       水本爽涼


    (第四話) 催花雨        

 小学生の僕が話すような低次元の内容ではないから話を端折(はしょ)りたいのだが、読者の皆様にサービスするという観点もあり、一応はお話しすることにしたい。
 つい最近、某局のテレビニュースが、いつもの天気予報を流した。その中で、予報官が、「催花雨(さいかう)」という文言(もんごん)について説明した。何でも、花の開花を促す雨だそうで、なんだか日本情緒がヒタヒタと感じられる最高の言葉のように思えた。最高雨(サイコウウ)と僕には聞こえたこともある。
「今年は、もう桜が咲き始めたようですよ」
「…だなあ。次の雨で上手くいくと咲くか」
 テレビを観終わった父さんが台所から居間へやって来て、大一番を指し始めてじいちゃんと話している。最近、二人の将棋は急に駒を並べることで始まり、無言で駒を仕舞い始めて終わることが多い。今夜もその類(たぐ)いで、どうも二人には暗黙の了解とかいう意思の疎通が出来ているようなのである。
「正也! 早く入ってしまいなさい!」
 二度目の催促だから、母さんの声はやや大きさを増した。『催花雨じゃなく、催促湯だな…』と不満に思いつつも僕は風呂場へと向かった。父さんとじいちゃんの横を通り過ぎると、既に大一番は佳境に入ろうとしていて、二人は盤面に釘づけであった。じいちゃんの顔などは、風呂上がりということもあるが、恰(あたか)もすっかり茹(ゆだ)った蛸のように真っ赤で美味そうだった。父さんは? と見ると、いつもの白い顔
が逆に青みを帯びていて、両者の顔は奇妙なコントラストを醸(かも)し出していた。通り過ぎた折りだけの観察だから、その後の二人の様子については分からない。
 風呂番は僕の月だった。去年と変わった点は、母さんも風呂番に加入したことである。そして、最後の者が風呂掃除をする仕組みだ。この議案は僕が提案し、採決の結果、全員一致の承認を得た案件だから、今月の僕は終い湯の後、掃除という労働に汗しているが、某メーカーの風呂用洗剤Yは随分と効果があり優れものなので、この場を借りて付記しておきたい。
 さて、掃除を終えて風呂場を出ると、唯一の楽しみのジュースが僕を待っている。特にこれから暑さが増すと、その味覚は絶妙となる。大人が実に美味いと云うビールを、いつか少し舐めたことがあるが、苦かったので直ぐに口を漱(すす)いだ。どうしてあんなものを大人は飲みたいのか…が、今の僕にとっての大疑問の一つとなっている。
 それはさて置き、居間へジュースを飲みながら戻ると、二人は未だ盤面に釘づけだった。なんでも、一勝一敗となり、これが三番目だと云う。馬鹿馬鹿しい勝負には付き合ってられない…と思え、僕はそのまま自分の部屋へ向かおうとした。その時、背後から、
「おい正也、ビールのツマミを冷蔵庫から…」
 と、父さんの声がし、次に相手を変えると、
「ちょっと、これ…待って下さい」と、じいちゃんに頼み込んだ。
「いや、待てん! 武士なら切腹ものだっ!」
 じいちゃんも、かなり依怙地になっていて、一歩も譲らない。僕はその隙に忍び足で居間を退去した。
                                                 第四話 了
                                      


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