水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

隠れたユーモア短編集-96- 可処分所得

2017年10月23日 00時00分00秒 | #小説

 可処分所得・・難(むずか)しい言葉だが、分かりやすく言えば[手取り額]ということになる。この可処分所得の仕組みには、実に狡猾(こうかつ)な騙(だま)しテクニックが潜(ひそ)んでいるのだ。金額の貰(もら)い手である働く人々からは、そのマジックのような騙しテクニックが見えない。たとえば年金は、65才になれば確かに満額の年金額が貰えるようになり、手元に入る金額は増える・・と誰も試算する訳だ。ところが、どっこい、そうは問屋が卸(おろ)さない。年金額が増えた以上に介護保険料が年金から差っ引(び)かれてチャンチャン! ・・という恐ろしいシステムなのだ。結果、年金を受け取ったときの可処分所得は、65才以前より下がるという最悪の老後を迎(むか)える・・ということになる。これは、いわば国家による弱い国民への苛(いじ)めだ。
 そんなこととは露(つゆ)ほども知らず、鹿馬本(かばもと)は、振り込まれた通帳を手に喜んでいた。
「んっ? 少し少ないな…。まっ! いいかっ。ははは…貰えるだけ有り難いと思わにゃなっ!」
 鹿馬本は通帳を両手で天に仰(あお)ぎ、軽く頭を下げた。
 このように、軽く考えれば幸せな気分となり、可処分所得! などと欲深く考えれば不幸せな気分になるということかも知れない。要は、隠れた罠には素直に引っかかった方がいいということになるだろう。まあ、もらえる額が多いほどいいことは確かだが…。^^

                              


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