多山は今年で35になる町役場の中堅職員だ。税務課に配属され、幸か不幸かその人当たりのよさを買われ、税金未納の徴収を一手に引き受けている。全職員が嫌がる仕事の3本の指に入るその1つの仕事だ。多山は払えない貧しい家庭には自腹を切って当てていた。これは無論、多山にとっては経済的に大損失で身を切る辛(つら)い決断だった。決してゆとりがある給料はもらっていない多山だったから、それも当然といえば当然だった。
「どうしても、無理ですか?」
「…」
やつれた外見の中年女に多山は小声で訊(たず)ねたが返答はなかった。この家へ足を運んでいるのは、今日で5度目だった。家の中の荒れようからして、これは無理だな・・・とは思えていた多山だったのだが、一応、訊ねたのだ。
「いいでしょう! …ここに、これだけあります!」
多山は背広のポケットから財布を取り出すと、中から札を数枚抜き取った。すでに、払ってもらえないな…と、ほぼ推断していた多山はその額よりやや多めの札(さつ)を財布に入れて家を出たのだ。そのときの気分は自分が正義の味方になったいい気分と、今月は月半分か…という生活費半減の憂いだった。
多山が札を女に手渡すと、女は、よよ・・と泣き崩(くず)れた。ここで言っておくが、なにも多山は慈善でそうしたのではなかった。彼は5度足を運ぶ間、極秘裏に未納のこうした家々の生活状況を探っていたのだ。恰(あたか)もそれは、刑事の張り込みか探偵のような情報収集によるもので、勤務の公休はほぼ全(すべ)て、実態調査のために使われていた。そして、その探った結果が今日の多山の行動に繋(つな)がっていた。女の夫と子は事故死していた。生きがいを失った女は廃人同様になっていたのである。そんな身の上の女だったが、多山にも生活があった。神仏でない以上、食べねば飢え死(じ)ぬことくらいは多山も分かっていた。正義の味方も弱かったのである。これは恐ろしいこの世のサスペンスである。正義の味方は、残念ながらドラマのように格好よくも強くもなかったのだ。
完