中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

生まれ来るものへのメッセージ―――「塩香」ワークショップを終えて

2016年09月24日 | かたち塾、アート鑑賞いろは塾


コメント欄もご覧ください。9/25追記
かたち塾第8回「塩香を作り、愉しむ」、造形作家でアロマセラピストの栃木美保さんを講師にお招きしたワークショップはとても学びのある会となりました。今回のワークショップでの学びの興奮がなかなか冷めずにいますが、その一端を書かせてもらいます。

栃木さんが足利のご自宅の庭などで育て、摘み、干して下さった植物を中心に11種類と、ちょうど咲き始めた菊の生花を用意して下さいました。あとは各自持ち寄った植物も使いながら作りました。香りの植物を探していく過程もとても面白かったです。
今年採集して干したフジバカマを嗅ぐ。

香りはたとえ植物性のものでも、人によって合う合わないがあり、強すぎるのもかえって良くない点もあるとのことです。
まずは1種類づつ単品で嗅ぎ分けていきます。特に好むものをチェックしておき、相性のよさそうなものを組み合わせますが、強いにおいのものを下に詰めていきます。
参加者に妊婦さんもいらしたのですが、この時期は香りに特に敏感になるそうです。妊娠初期、後期でも違うそうです。
自分に合う香りを身近な植物から作る塩香は、くつろいだり、呼吸を深くしたり、リフレッシュしたり、時間をかけて楽しめるのがいいです。
粗塩と植物を交互に詰めていきます。楽しそうです。。。

18年前に栃木さんが作られた塩香を嗅がせて貰いましたが、まだとても良い香りで、熟成している感じなのでしょうか。香りはどれくらい持つのでしょう?


今回は私は2回目でしたので、欲を出さず、ごくシンプルな塩香を作りました。
一本は(左)工房の桜葉と月桂樹、桜の花の干したものも詰めました。トップには桜の新芽を乗せて「秋麗」と銘をつけました。
もう一本はベースにヒノキの鉋屑、次がフジバカマ、次がレモンの皮、上にはスダチの枝葉、トップにはスダチの葉と菊の花(生)を飾りました。スダチは今まさに果汁を蓄えた青い実をつけていますので、銘は「秋の露」です。
5日置いただけで桜やスダチの生葉の青臭さに変化が出てきました。桜は桜餅の匂いがかすかに聞こえてきます。
時々瓶の蓋を開けて愉しみたいと思います。器も素敵なものに入れたくなりました。
瓶には日付と使った植物を下から順番に記したラベルを貼っておくとよいです。


男性の参加者で、花などにあまり関心がないとおっしゃる方が、作った2本を会社のデスクに置きます!とおっしゃられてとても気に入られたようです。塾長の笹山さんは「一家に一瓶」とスローガンを掲げていました!

季節と向き合いながら、時間を掛けて発酵させる香りを現代の暮らしに生かしたいです。
人の五感(栃木さんは人には第六感もあるとおっしゃられていましたが)の嗅覚は心地よさ、あるいは危険など生きる上で必要な匂いを嗅ぎ分けるためにあると思います。人の野性としての嗅覚も磨き、自然体であることを大切にしたい。

香りといえば、強い人工香料に悩まされている方も多いですが、過剰な香料に健康を害することもあるようです。芳香剤など何日でも押し付けがましく残るカオリとは一体何なのでしょう?幼い子供たちはそれから逃げることもできません。

人がものを作り、使い生きていくことは、過去、現在、未来へと一直線でつながっているわけです。分断されたもの作りやその場しのぎのものは何も生み出さないのです。文化を形成することもないのです。安価さを売りに、人の本来の感覚を壊していくものたちに私たちは“No!”と言わなければなりません。

栃木さんは美術表現で創ることは未来への責任がある、という趣旨のこともおっしゃられていました。
自然素材から糸を取り、植物から色を抽きだし、人の手わざでと労力で布を織り、使うことも同じことです。未来への責任があります。過去を知り、未来へのメッセージも視野に入れ、現在とかかわり作り、使う。

着物文化ももう本物が残らない、残せない時代になってきましたが、私たちはその場しのぎのものに迷わされず、本当の安らぎにつながる道を迷わずに行くことだと思います。
それは生まれ来るものへのメッセージにつながります。

栃木美保さんの指導と話の中で、植物の香りが語りかけてくるものに触れさせて頂きました。植物(生物)は香りでコミュニケーションをとっているという話もされていましたが、自然の神秘、合理に、鼻も六感も磨きたいと思います!

栃木美保さんのご協力にこころよりお礼を申し上げます。参加して下さいました皆様もありがとうございました。

次回かたち塾 10月16日(日)「茶の湯の中の光と音 」です。
茶道の心得の有無に関係なくどなたでもご参加いただけます。
次回は聴覚、視覚と向き合います。
詳細は後日お知らせいたします。







コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第5回紬きもの塾――  桜、... | トップ | 第6回紬きもの塾―― 織物設計 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
身体感覚をたがやすこと (Unknown)
2016-09-24 23:47:21
同じ日に仕事の勉強会で、同じように感じておりました。
とても驚きましたので、勝手ながら私の気づきをメモでお送りさせていただきますね。思い込みで読みづらいかもしれませんが、どうかお許しください。
私が参加した勉強会は、終末期の医療におけるスピリチャルケアという専門分野でのやや重い話、亡くなっていく方への寄り添い方です。患者さんが抱えている辛さや痛み、苦しさに向き合うには、理屈での解決ではなく、どこまでこちらが自分の身体感覚で受け止めることができるか、共感しながらもしかし飲み込まれない、安易に一体化しないことが大事ということを学びました。
そのためには、自身の五感に聞きながら、自分の身体と対話すること。どこかで俯瞰する感覚を持ちながら、ドッシリとする身体感覚を耕す努力が必要だということでした。
ドッシリとした身体感覚を耕すためには、自分自身の錨アンカー、重石にあたるものを見つけること。一人一人違うその人なりの重石を自分で見つけること、それは過剰な理性信仰から自由になるプロセスであるとも言えます。今の日本には、この身体感覚を耕して、アンカーを定着させることを妨げる、ネガティブな気が社会に蔓延しているのでは、という話にまで発展していきました。
一人一人の人間が、自分の身体の声を注意深く聴くこと、身体と心と五感と皮膚と(鼻もですね!)を開いて、謙虚に生きていくべきであることなどを考えておりました。
ぜひ一度香りを聴いてみたいと思います。
機会がありましたら、ぜひよろしくお願いいたします。
返信する
返し (中野みどり)
2016-09-25 16:00:41
重たいコメントありがとうございます。^^;
でも、介護の現場でなくとも必ず自分の身や家族に終末はおとずれます。
「どこまでこちらが自分の身体感覚で受け止めることができるか、共感しながらもしかし飲み込まれない、安易に一体化しないことが大事」という学びを参考にさせてもらいます。

自分のこころや身体としっかりと向き合うことは辛いこともありますが、むしろ受け入れ、受け止めることが自分を前向きにしていくことなのでしょう。
昨日、以前紬塾に参加されていた方が、病気で手術を受け、良くなってきたということで訪ねて来られたのですが、自分の取り除かれた臓器を画像で見て、無理をして痛めてしまった身体に申し訳なさと、今までの感謝、そしてこれからは自分を愛し、大切に生きていくと心から思ったようです。おっしゃられるように、どこか自分を俯瞰して話している感じもありました。

硬くなった身体感覚を耕し、五感を磨くことは安定、安らぎにつながるでしょう。
現代の暮らし、社会の状況は身体やこころを硬くすることばかりのように思います。

栃木さんは「第六感のはたらきを信じるために五感を研ぎ澄ますのです。香りは内なる意識を覚醒し、豊かなインスピレーションを運んでくれるのです」と。
塩香は時間をかけて変化を楽しむことができます。
違いを嗅ぎ分けられるような訓練にもなります。何かが広がる感じがあります。
精油の香りを楽しむのとも違う点は、自分で植物に直接触れ、香りと出会っていく過程がより五感を刺激します。

香りだけでなく、着物を着るということも皮膚感覚(触覚)や所作による身体感覚を磨くこともできます。布に触れることも触覚を磨きます。
季節の移ろいの光や温度の微妙な差を感じ取り、取り合わる色や素材も変えます。
料理や、自然物とのかかわりも五感を開きます。
一昔前の暮らし方にそのヒントも多いと思います。
自然なものや人との直接的な出会い、触れ合いが正に五感を開くことになるのでしょう。
身体感覚を耕し、五感を開くと六感がはたらいて、柔らかで豊かな発想が生まれてくるのでしょう。
機会がありましたらまたかたち塾などへもご参加下さい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

かたち塾、アート鑑賞いろは塾」カテゴリの最新記事