中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

上質をコンパクトに

2020年12月28日 | コロナの時代を生きる
今年も押し詰まってまいりましたが、工房は今日が仕事納めとなります。

今年もいろいろとお世話になりありがとうございました。

コロナ禍の大変な年となりましたが、そんな中でもみなさんが紬きもの塾へ参加してくださったり、工房展へお出かけいただいたり、半巾帯プロジェクトへ参加してくださったり、着ることや、作ることに関心を寄せていただき心強く仕事をさせて頂きました。心より感謝を申し上げます。

コロナの時代を生きる中で、‟上質をコンパクトに”という言葉が浮かんできました。
半巾帯連作プロジェクトのパンフレットの副題として使いました。

名古屋帯の装いももちろんいいのですが、日々あわただしく、心落ち着かない中、コンパクトな装いとして半巾帯も見直したいところです。でも質は落とさずに。
また結び方や、手と垂れを替えられるなど、使い手にゆだねられた‟創造性”が半巾帯にはプラスされます。

創造性と言えば、外出の自粛が強いられた中、私は出会った何点かのアート作品を買いました。高価なものは買えませんが、気持ちは十分に満足できる作品たちです。
もともとアートは好きで、時折ブログでも紹介していますが、心の置き場所としての床の間スペースにも、必ず何かしら飾り、また植物を添え、眺めてきました。


狭い住宅事情であっても、どこかにスペースを作ります。これもコンパクトでもいいと思います。
もちろん立派な床の間のある方は、そちらを活用してもいいのですが、自分の仕事場や、居間の中にもコンパクトな飾る場があるといいですね。チェストの上でも十分です。

上の作品は北海道在住の井上まさじさんから頂いたもので、小学生と一緒にワークショップを開いた時の作品で、ボール紙をカッターで削って彩色されていますす。12月の間、掛けていました。暖かな気持ちになります。
今までに何点か作品は購入させて頂き、よく床の間の方に掛けているのですが、こんな小さな作品も上質なコンパクト作品です。

井上さんは今年の秋、公私ともにパートナーだった方を亡くし、お辛いことと思います。
まだ私よりも若い方で、お優しい方でした。かける言葉も見つかりませんが、こうして作品を見ながらお二人のことを思うしかできません。
安らかに。 合掌


冬枯れの庭のに、小菊がまだ咲き残っていました。ビオラと取り合わせて。

花器は洋白素材の今は亡き濱口惠作。
少し斜めにひしゃげたように加工された箱。磨くと光るのですが、そのままにしています。

紬のマットは修業時代に織らせて頂いた布を母がコースターに縫ってくれたもの。定番の柄の着物で、何反か織らせて頂きました。

今年はアート作品に安らぎや愛おしさ、心の拠り所をより強く感じたように思います。
アートとは広い意味合いを持っていて、ジャンルやプロ、アマの区別もなく、自分の腹に落ちるよきものかどうかだけ。
また、床の間には飾れませんが、身を飾る着物関連も私の場合はアートに入れてます。

見るだけでもいいのですが、買うとなると人は真剣勝負、もっと自分を追い詰めて見ていくものです。
身銭を切るというのはとても大事なことです。自分を見つめることになります。また、手元に置くことで鑑賞を深められます。
自分とは何者かをアートを通して探っていけると思います。

先日アシスタントがある人形を買いました。決して高額なものではありませんが、経済的弱者にとってはそれなりに高価です。
でも、そうやって思いつめながら作品と向き合い、自分や暮らしと向き合い生きていくことは、選ぶこと自体がとても大きな財産になるのだと思います。
「もの買ってくる、自分買ってくる」河井寛次郎

世界が色々な意味で縮小しなければならない時代に入っています。
以前と同じ暮らしに戻ることはできないし、そうしてはいけないのです。
変わらなければならない大きな時代の転換点だと思います。
今はコンパクトな暮らしが必要だと思います。でも心は豊かにありたいです。

人は自然の摂理を無視し過ぎました。今後生き延びられるかどうかは足元や身近の自然、人間関係をもう一度見直し、再構築することではないかと思うのです。
コロナに打ち勝つ!ではなく、コロナの教訓に学び、新たな生き方、暮らし方を模索する時です。またコロナ禍ゆえの再発見の生き方、暮らし方もあると思います。

来年も厳しい年になりそうですが、感染しない、させないよう気を付け、自分にできること、そして人に喜んでもらえる仕事を工夫していくことが大事だとつくづく思います。


上の写真は櫻工房の大きくなった桜を今年はかなり切り詰めました。
コンパクトになりましたが、冬芽をたくさんつけていますので、また来年枝葉を広げて伸びていくでしょう。

工房は12/29~1/3まで冬休みです。
HPの華かさね帯の着姿集、 
Instagramも更新しています。

読者のみなさまもそれぞれのよいお年をお迎えくださいませ。




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「糸」――中島みゆき

2020年11月08日 | コロナの時代を生きる


コロナ禍で様々な仕事が休業や廃業などを余儀なくされ、痛手を負い、苦境に立たされました。
私自身も秋に予定されていた個展は延期になり、経済活動もままならなくなりました。
しかし、この時代と向き合い、振り返り、様々な工夫があり、そして前を向いて歩き始めています。多くの方が、そうされていると思います。

そんな中、以前「ドレミから始めよう」でお世話になったソプラノ歌手の名倉亜矢子先生から、久々の連絡がありました。コンサートも中止になり、合唱の指導もできなくなり、オンライン講座を開くとのことでした。

歳を重ねると声帯も老化して、高い音も低い音も声がかすれたり、出なくなり歌うことからは遠ざかっていましたが、この6月からイギリスの古い曲を中心に歌う講座を、恐る恐る、受講させてもらっています。(^-^;

合唱ではないので、歌いやすい自分のキーで歌えるということでしたので、参加を決意しました。
楽譜も読めない私ではありますが、先生の指導の良さは、レベルは高いのですが、その人に寄り添うような無理のない指導です。
また選曲も素晴らしくて、、それなりに、、楽しく続けています。

興味のある方は是非HP覗いてください。
童謡、唱歌のクラスや、個人レッスンもあります。
参加方法なども詳しく書かれていますし、不明な点は名倉先生にご相談ください。

さて、その講座でご一緒させていただいている方が、富士通川崎合唱団に所属されているとのことで、「神奈川県リモート合唱コンクール2020」で優秀賞に選ばれたそうです。

富士通川崎合唱団は、富士通およびその関連会社に所属している、または所属していたメンバーで構成されているそうです。

コンクール参加曲は中島みゆき作詞・作曲「糸」です。
ホームページでその演奏を聴くことができます。→

リモート合唱というのはとても難しいようです。また、みなさんそれぞれの録画をズレのないよう編集するというのも大変なご苦労があったようです。
でもピタリと息が合っているようにみえます。
\(^O^)/  (^O^)(^O^)(^O^)

離れ離れの環境の中で、一人一人が心を一つにして目標に向かわれたのだと思います。

ぜひ、ご視聴頂きたいと思います。優しい歌声です。
みなさんもビデオと一緒に合せて歌ってみてはいかがでしょうか?

さて、この「糸」という歌詞はカップルの出会いを歌ったものと思われますが、織り物で生きてきた立場からみても、良くできた詩だと思います。
下記の歌詞引用にもありますが、出会うべき糸や色とめぐり合うまでが大変なのです、、。(-.-)

よく、紡ぐとか織りなすという言葉は歌の文句に使われますが、言葉のイメージだけで作られたものではないと思います。
この曲が、不朽の名曲になるというのも、糸というもの、織り物というものが持つ、原始から続いている、たてとよこが交互に交じわるだけのシンプルな技でありながら、人になくてはならないものとしての合理、普遍性と重ね合わせているからでしょう。

【織りなす布は いつか誰かを  暖めうるかもしれない
 織りなす布は いつか誰かの  傷をかばうかもしれない
 逢うべき糸に 出逢えることを人は 仕合わせと呼びます】
                    (歌詞一部引用)

このコロナの時代にこの曲を選ばれたのも良かったと思います。
歌っている方々の表情も自然体でいいですね。(^o^♪
私も自然体で自然な織り物を織り続けたいと思います。





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第12期/第1回紬塾染織コース―糸をつむぐ&レクチャー「“侘び”の文化」

2020年07月11日 | コロナの時代を生きる




7月からのスタートとなってしまいましたが、紬塾染織コースも第1回目をスタートさせることができました。
初回は、「糸をつむぐ」です。

1時間半弱で3.5gの真綿から糸をつむぎました。今回の3名の方は、細くなったり…太くなったりでしたが、それなりにまあ安定し、貫禄のある糸でした。。(^^ゞ

上の画像は、着尺の糸の太さの2~4倍ぐらいの太さですが、この太さにつむぐことは案外難しいのです。でも味のある、ダイナミックな糸が引き出されました。


綛揚してみても、ほんの僅かな糸量ですが(1反織るには緯糸だけで380gほど必要です)、この体験で、真綿の糸と繭から引き出す糸の感触の違いを体感しておくことは着るうえでも役に立つことだと思います。
この糸はこのあと、草木で染めてみなさんの織り糸として使います。

後半は工芸評論・かたちの笹山央さんのレクチャーでした。
テーマは[〝侘び〟の文化――WABismについて]

“侘び”というと千利休やお茶の特別な世界のように思われるかもしれませんが、そのルーツは一般庶民を顧客とする「一服一銭」の茶屋のもてなしあたりがルーツではないかという説もあるようです。市井のサブカルチャーのような。

立派な道具を持たない粗末な道具で催された茶会を〈侘び数寄〉と呼んでいたとのことです。
名のあるもので人を納得させるのではなく、創意工夫で渡り合うということは、ものや自然を観る力がなければできないことです。
また、心を高めていく“止観”や“禅”の精神文化が、侘びのバックボーンにあると言います。
利休の侘茶はこの〈侘び数寄〉に基づき、高められていったものだという話を伺いました。

みなさんとても熱心に話に耳を傾けてくださいました。
「こんな話を聴ける機会はないので…」という声もありました。

私の創作のルーツも“侘び”だと思っています。
素材も自分も自然体である中で、創意工夫しながら、極限まで高め、なおかつ愉しめたら本望だと思います。

「花は野にあるように」は利休の教えとされていますが、紬もそうありたいのです。
ただ自然風ならいいわけでもなく、その先をめざしたいです。 
着ることも同じだと思います。
特に紬は、これ見よがしな着方ではなく、でもそのまんまでもなく、少しの工夫と、季節感や気持ちのありようも添えて、楽に、自然体で、でも凛と着ることが一番良いと思います。

笹山さんはポストコロナに向けて、「WABismの提案」ということを考えています。
“WABism”は笹山さんの造語です。

1.簡素である  
2.艶(華)がある 
3.足るを知る 
4.差別がない    
5.造化に随う   

この内容の詳しいことはまた、機会を持てたらと思いますが、今後の社会や人の生き方を考えるうえでのキーワードは「WABism(ワビズム)」だと、私も思います。

レクチャーも1時間半ほどの短い時間でしたが、ものを創るうえでも、観るうえでも、使う上でも大事な話を聞かせてもらいました。
更に、自分に引き寄せて深められるといいと思います。

Zoomを使ってWABismの講座をやれるといいなぁと検討中です。
その時はブログでお知らせします。









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#うちで美しいキモノ―― コロナ時代を生きるため

2020年05月23日 | コロナの時代を生きる
外出自粛以来、久し振りに工房内で着物を着ました。インスタグラムにも投稿しました。ノーメーク、美容院にも長らく行けず、、ボサボサ髪(いつものことですが、、)で失礼いたします。。。(^-^;;


夏紬「柿の花」と藍縞紬半幅帯。節のあるざっくりした紬です。縞に縞の取り合わせ。
今、小さなとても地味な花を咲かせている柿。秋にはあんなにおいしい実になり、私たちや、鳥や虫たちに恵みを与えてくれる。生命の営みに感謝しつつこの銘を付けました。

きもの専門誌『美しいキモノ』が、「#うちで美しいキモノ」インスタグラムキャンペーンをされているということで、私も#うちで美しいキモノのタグを付けて投稿してみました。
インスタをされている方は応募してみてはいかがでしょうか?
応募の締め切りは今月31日までです。
詳しくは「美しいキモノ」のインスタグラムをご覧ください。


機にも座ってみました。母が銘仙の着物地から作った腰紐がありましたので、それで襷掛けをして、やってる感を出してみました!!(^^)/ 
襷掛けは久々にしましたが、どうやるんだっけ、、?という感じでしたが、いいものですね。紐も自分で縫いたいところです。。

そういえば、昔の人は着物に襷掛け、姉さん被りの手拭いで掃除をしてました。私の母も洋服でも姉さん被りで家事をしていました。手拭い一枚で頭にかぶればホコリ除けや日よけになり、首に巻いたり、汗を拭いたり、労働する人には欠かせない便利なもの。晒し生地は不滅の布ですね。

緊急事態宣言下にあっても、着物は外出着だけではなく、家で着ている方もいますし、仕事で着る方もいらっしゃいます。

先日、ある女性の国会議員が、自宅から、政治の意見交換の動画サイトに出演され、グレーのお召しのような着物を着ていらっしゃるのを見て、場が和んでいいなぁと思っていたのですが、「この緊急事態の大変な時に、着物とは、、??」というような投書があったそうですが、着物が特別なものとしてしか見られないことが、悲しく、情けない、と思いました。相当低次元の話ですが、、。

普通に衣服の一種として、着物でも洋服でも、その場の状況さえわきまえていれば、何を着ても自由です。「贅沢は敵」のような、戦時中の統制があってはならない。

つらい時でも美しい布や着物は心の支えにもなります。
着物だけでなく、文化・芸術は人が人らしく生きるために必要不可欠のものです。どんな状況下にあっても大事なことに変わりはないです。

美術手帖の Magazineのドイツ・メルケル首相が5/9に国民に語りかけたという「コロナと文化」から、最後のところだけ抜粋しておきます。

「 親愛なる芸術家の皆さん、あなた⽅にとっていまがとても、とても困難な時期であることを承知しています。私たちの誰もが寂しい思いをし、どれほど多くの市⺠たちが再びライブであなた⽅の芸術を体験できることを待ちわびているかを承知しています。そのときまで、私たちはできるかぎり、あなた⽅を連邦政府の救援プログラムを通して⽀援するように努めます。また、どれほどあなた⽅が私たちにとって⼤切であるかをお伝えすることも⽀援となりますように。」

4月の緊急事態宣言後に、お客様から、在宅勤務になったことで、着物を着て仕事をしているとメールを頂きました。
今までは、週末の外出着だけだったけれど、「普段着としての着物生活を楽しんでいます」とのことでした。いろいろ発見もあると思います。

私も6畳一間のアパートで一人暮らしの若いころ、染織の仕事を終えると浴衣や弓浜絣の着物に着替えて、一汁三菜の食事の支度をし、一人晩酌していたことを思い出します。(#^^#)
着物を着ることの練習もありましたが、着物という形態が、気分を変え、布の風合いが、心落ち着かせ、自分を支えてくれていたように思います。
染織の仕事と、自分に向き合っていたころを懐かしく、おうちで着物は思い出させてくれました。
最近、昔のことばかり思い出していますが、3日前のことは思い出せなくなってきました、、。(;^_^A

若いということは、挑戦するエネルギーがあって、本当に素晴らしいことだと、若いうちにいろいろ自分を試し、鍛えておくことがあとあと生きてきます。外出自粛の中でもたくましく生きていきましょう!

東京、神奈川、埼玉、千葉もそろそろ緊急事態宣言の解除になりそうですが、コロナウイルスがなくなったわけではないので、引き続き感染予防対策を続けなければならないですね。

夏場は感染拡大は湿度や紫外線の関係もあり、抑えられてくるであろうとも言われていますが、秋から冬の第2波が懸念されます。国には、検査と隔離の準備体制を最優先に整えてほしいです。「接触するな、外出するな」だけでは経済も人のこころも持ちません。

今期の紬塾も延期しておりましたが、6月からスタートする予定です。今できる限りの予防対策をしますが、感染拡大の状況を見ながら、無理をせず、慎重に進めていこうと考えています。





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こころの置き場所〈小さな床の間〉―――コロナの時代を生きるために

2020年05月10日 | コロナの時代を生きる

外出自粛で、着物で装う愉しみが減り、寂しいですね。。。

家の中で過ごす時間が多くなり、部屋の片付けをされている方も多いと聞きます。
スッキリして気持ちよくなったことと思います。
そこで、部屋のどこか一角、チェストの上でも、本棚のどこか一箇所でも、花瓶に野草を活けたり、気に入ったオブジェや、壁面に一枚の絵を飾ったりしてみませんか?
そこを小さな床の間スペースとして、単なる置き場所ではなくこころを置いてみませんか?

私はアートや草花が好きで、普段から工房内にちょっとしたものを飾って愉しんでいます。
大げさでなくても、自分の好きなもの、よいとおもうものは何なのかを考えてみることは目を養う上でも大事だと思います。

美術館で作品を1点ずつ見るようにではなく、数点の取り合わせを同時に見ます。
着物の取り合わせにも似て、それぞれの力のあるものをどう取り合せるか。
何をメインに置き、そしてサブの役割も考えます。
いくら高価な絵画でも、一枚だけ壁に掛けっぱなしでは取り合わせの愉しみがありません。

着物と帯、あるいはアクセントの帯締めや帯揚げ、帯留めを決めるように、異なる素材、異なる色、異なる技法、異なる大きさなど、異なるもので一つの世界を作る。
まず目に飛び込んでくるのは何でしょうか?
面積が大きいのは着物ですが、意外と帯の柄や帯締めの色、草履の鼻緒などに目がいきませんでしょうか?
着物も床の間飾りも変わらないと思います。晴れの日にはそれらしく、季節の行事にはテーマをそえて、何気ない日々には庭の草花や道端の草をそえて、気軽に装う。

観ることの重要性ということを、紬塾でもしばしば話します。そして、ただ観るだけではなく、そこに創造性が加味できるか、クリエイティブな見立てが出来るかということが、人間に大事な精神活動をさせてくれるのです。
それはものの本質、根源を求める見方をしなければならず、表層に惑わされてしまいがちですが、そのことに気付こうという気持ちさえあれば、一生をかけて、目利きにたどり着いていけばよいのだと、私も修業中で、難しくもありますが、歓びもあります。着物の取り合わせと一緒です。

よく茶の湯の侘びが語られますが、日本人は特に見立ての面白味、美意識を大事にしてきました。
お茶の神髄は、あれがなきゃこれがなきゃの世界ではなく、ものの本質を備えたものであれば、見立てでより深い世界へ入っていけるということではないでしょうか。入っていくのは自分で、受け身の世界ではなく能動的なクリエイティブな世界です。

工房内の小さな床の間スペースに、2点の額装に、数点のオブジェを組み合わせてサンプル的に飾ってみました。私の卓布や袱紗を添えています。


額装は、ローシルクの極薄の布で、1820年フランスのジャガード織の見本帳から額装したものです。以前からある画廊で気になっていましたが、縁あって昨年入手。とても気に入っています。垢ぬけた雰囲気が好きです。
いつの間にか庭の片隅で、バラが満開になっていました。ワイングラス(大村俊二作)に一枝、活けて見ました。
卓布は一応、名称を『卓布』としていますが、仕覆にしたり、額装にしたり、この網代は小袱紗を作れるサイズがありますので、いろいろに工夫できます。
帯地の織り付け部分です。袱紗や卓布用に経糸が余った時に織ることもありますが、それよりも織り付け部分が断然面白いものができます。唯一無二の切り取られて生まれてくる面白さ。


若かりし頃、気に入って買った青森県の下川原焼き土人形の鳩笛を合わせてみました。工房の庭にも鳩のつがいが来て、餌をついばんでいます。


こちらはキビソ糸のざっくりしたランチョンマットとして織った布。残った1枚を卓布として使っています。子供のころ着ていた着物地を裂き糸として使っています。石は母の故郷の熊野川の河原で母の亡くなった年に拾ったもの。


小さな花瓶には、庭の草々を。
スイバ、スギナ、スズメのカタビラ、コオニタビラコ、ジシバリ、ハハコグサ。
花瓶は三十年近く前に、一人でオランダを訪ねた時、デルフト陶器を販売している店で購入したもの。ガラスケースにしまわれ、私には高価なものでしたが、伊万里焼の影響も受けた焼きものですし、旅の記念に買いました。


このコーナーが私の心の置き場所。
30㎝の奥行きの小さな整理棚の上です。右の額装は私の初期の作品。


鉄の彫刻は岸野承作『人』。ものの本質をつかむ造形力が素晴らしい方です。


底の凸凹が気に入って伊勢現代美術館のミュージアムショップで買った若い作家のガラス瓶。
葉の虫食いも涼し気で美しい!

絵画は北海道の井上まさじ作。子供たちと一緒に、ワークショップで作られた小品。

花瓶をメタリックな陶器に変えてみました。不思議な魅力を持つ林みちよ作。
木蔭で休む鳩のように。

先ほどの彫刻を出し袱紗に置いてみました。作品に重みが出ます。


お茶席で拝見する時はこんな感じです。
ランダムな網代。永遠の網代織。

こちらも出し袱紗に香合を置いてみました。
輪島の角好司作。職人であり、アーティストでもある大好きな作家です。


『花明かり』と題した着物の織り付け部分で仕立てました。開いていくと表情が大きく変わります。お茶席での拝見は楽しいと思います。
オンラインショップで中身拝見できます。

布を見極めるのは、難しくもありますが、布のある暮らしは、こころの豊かさやにも通じます。細部と全体を見て、目を養いたいです。

断捨離という言葉を私は好きではありません。たくさん捨てられるモノたち。
消費の奴隷になって大量に買い、捨て、環境を汚す。目の前から不用品は捨てられても、その先の行き場のことを想像しているだろうか。。

モノにも命があり、選んだ時の思いやその時の情景まで、こうして飾ってみるとよみがえってきます。
人はいつか終わっていくけれど、モノは捨てられずに、もし人へ受け継がれていくなら幸せなことです。
コロナのこの危機に身の回りを見つめて、改めて心の置き場所としての何かを探してみませんか。

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櫻工房のオンラインショップでも、袱紗、卓布を扱っています。
ブログで紹介した網代の卓布はまだ掲載していませんが、近日中に追加します。
オンラインショップはリニューアルしていますので、こちらも是非ご覧ください。→
絽目の帯揚も少しですが上げています。ヘンプのステテコもこれからのシーズンご活用ください。
クレジット決済もできるようになりました。
また、郵便振替、代引き(一定の条件があります)などがご希望の方はメールでご注文くださっても大丈夫です。




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小さき草の花――コロナの時代を生きるために

2020年04月26日 | コロナの時代を生きる



緯糸を干しに庭に出てみると、芝生の中にいつの間にか草々がかなり伸びていました。それぞれの小さな花を咲かせて懸命に生きようとしています。
思わずしゃがみ込んで見詰めてしまいました。
トップの花はタツナミソウ。波立つ形に似ています。若かりし頃、野草の寄せ植えを男性からプレゼントされたことがあり、その中の一種で、初めてその名を知りました。この花を見るたびに、ほろ苦き恋を思い出します。

子供のころから植物は好きでしたが、特に草の花が好きでした。大輪の花ももちろんよいのですが、東京の住宅地でも空き地や道端には雑草と呼ばれる草々はたくさんあります。買い物の道すがら、また散歩しながらでもいつも道端の草を見ています。しばし安らぎます。
小さな子供に草の名を教えてあげながら一緒に歩いたら楽しいでしょうね。。道端の草花を部屋の片隅に活けるのもいいですね。


分かりづらいですが、スズメノヤリ。上の方に茶色の花が咲いています。草の名も上手く付けられています。奥に見えている細長い葉はヒメヒオウギズイセン。夏にオレンジ色の花を付けます。


建物の際に生き場所を見つけたカタバミ。

アカカタバミは葉が少し赤茶色。

ハハコグサが並んで咲いています。

おなじみのタンポポ。
他にもオニタビラコ、キュウリグサ、ハコベ、カラスノエンドウ、スイバなど繁茂し始めてます。一応庭なので、、、草むしりの季節に入ります。(^-^;

TVもネットも明けても暮れても「コロナ、コロナ」で気持ちも滅入りますが、医療従事者の方々を始め、ライフラインに関わる様々な仕事をされている方のご苦労はいかばかりかと思います。せめて一般の者は外出を控え、感染しないよう最大限の努力をしなければいけないと思います。

政策も報道もなかなか不安を払拭してはくれません。。というか政策も疑問符多く、本当に不安になります。困難な時こそ動きをしっかり見ていきたいと思っています。

コロナ後の暮らし方を考えています。紬塾も再開は数か月後なのか、来年か再来年か、、。新たな道を模索します。

先日、国立環境研究所の五箇公一さんのビデオ「新型コロナウイルス発生の裏にある“自然からの警告”」を見ました。
17分ほどですが、とても早口で、難聴気味の私は聴き取りがかなり難しいのですが、、 キーワードが文字で表示されますので、大丈夫でした。。(^-^@
最後の方に「地産地消」、「Zoning」という言葉が出てきます。この考え方も今に始まったことではありませんが、この機会にもう一度考え直したいと思います。

経済が最優先され過ぎ、森を壊し過ぎ、大量にモノや人が行き交い過ぎ、プラごみを出し過ぎ、地球温暖化は進み過ぎました。野生の生き物は住処を奪われ人里へ下りて来ざるを得なくなりました。人との距離が保たれなくなりました。

私たちも海外製品を安価に、簡単に手に入れ、使い捨てる暮らしを当たり前のようにしてきました。このことも感染症と無縁ではありません。

自然と人との関係も、国と国との関係も人と人との関係も節度を持って、ゆるやかなつながりを大切にして、ほどよい距離感を保つことを大切にしていきたいです。それが深くつながることだと思います。

朝の雨現の証拠の小花にも

芽吹く木の騒騒と一山をなす

永劫と瞬時をここに滝しぶき

花の下ひとときという大事かな

振り返ること渾身に夏蚕かな


宇多喜代子句集『森へ』から自然を題材の句を選びました。



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メルケル首相のスピーチから――コロナの時代を生きるために

2020年04月14日 | コロナの時代を生きる


ドイツのメルケル首相が自宅隔離から4/3に復帰、その後テレビを通しての復活のスピーチ「“その後”は必ず訪れます」をクーリエ・ジャポンの4/9付けの記事で読みました。
前回(3/18)の国民への呼びかけと同様、心に響く内容でした。慈愛を感じます。感染者数は12万人以上で大変なことですが、医療崩壊は起こさず、致死率も日本より低く、また補償などもスムーズに行われ、最近の首相の支持率は64%に上がっているようです。

「私がみなさんにお約束できるのは、連邦政府を頼ってくださいということです。私も昼夜問わず、どうすればみなさんの健康を守りながら、元の生活を取り戻すことができるかを考えています」と。

連邦政府を信頼してくれと言い切れるリーダーは、国民を信じ、また国民から信頼されているということでしょう。
イースター休暇を前に、国民に語りかけたメルケル首相のスピーチから、特に共有できるところをピックアップしてみました。

「この2週間の自粛ルールを守りながらも、イースター中に散歩をすることはできるでしょう。ただ、それは同居する家族とのみ、あるいは家族以外の1人とのみ可能です。短くても1.5m、できれば2m間隔をつねに空けなければいけません。頻繁な手洗いも忘れないようにしましょう。ソーシャルディスタンスを保つことは最も効果的な予防法なのです。」

「マスクを着けていたとしても、ソーシャルディスタンスを保つことをつねに心がけてください。ウイルスに対するワクチンや治療薬がない限り、ソーシャルディスタンスを保つことは最も効果的な予防法なのです。」

「重症の方々を含め、まだみなさんに必要な治療をできる状態にあります。私たちは人間社会に生きています。数字ではなく、一人ひとりの尊厳が守られるべきです。」

「私たち国民全員が、このパンデミックからほぼ毎日学んでいます。科学者も、政治家も同じです。みなさんの忍耐に感謝します。」

「ルールを守り、人との接触を控えてできるだけ家にいるみなさんは、それだけで能動的にいいことをしているのです。この状況下で、どうしたらほかの人の力になれるかと考えを巡らせている人も同じです。」

ドイツ国民に呼びかけたこのスピーチをよく理解して、この困難な時を乗り越えたいと思います。

布マスク2枚(466億円の税金で)もツイッターで炎上したコラボ動画も、国にやってもらわなくとも、とりあえず不要不急です。。
国民は飛沫感染予防のための布マスクぐらいなら自分で調達できます。日本国民は幸いにも手仕事、布仕事は得意な方も多いですし、縫わずにバンダナを畳むだけでもできます。素敵な布、可愛い布、タオル、手拭い、ソックスなど、あるものでいろいろ工夫して作るぐらいの情報と感性はあります。信頼してください。

私は普段から一人、またはアシスタントとの仕事ですので、いつもと変わらず仕事をしています。人との接触は少なく、自宅兼工房ですので通勤もありません。
アシスタントは、近いとはいえ電車に乗りますので、現在は自宅で仕事をしてもらっています。二人でやらないとできない仕事もありますが、その時はマスク、距離を保つ、換気、お茶の時間は設けない(水分補給は各自で)、時短など、最大限の注意をしています。

紬塾の開催だけは延期を考えていますが、実際の糸や色や風合いを見てもらう内容ですので、テレワークともいかず、、、。
しかし、今しっかり感染拡大を防げば必ず収束に向かい、スタートできると思います。  
初回を6月に延期の予定。 4/19追記

免疫力を落とさないよう、食事の栄養バランス、睡眠、運動、笑い(*‘∀‘)を心がけ、元気に紬塾をスタートさせられるよう、その時を待ちましょう。コロナだけでなく、今は病気にかからないよう、ケガしないよう、病院にかからなくていいようお互いに気を付けましょう。私は歯医者にかかっていましたが、緊急的な痛みとかではないのでしばらくお休みにしています。

感染症関連の最新情報を集めながらも、一般の私たちに今できることは、人と人との直接的接触を避けること。政府の動きも複数の情報メディアを注視しなければなりません。結構時間とってます。。。(^-^;

そしてこの外出自粛の機会に、なぜこういう事態になったのか。今後もこういう感染の世界的流行がないとは言えません。その時にどうすればよいか備えておきたいですし、今考え、今までと同じ行動、同じ暮らしをすることはできないということを学ばなければ地球は、人類はもたないでしょう。
コロナの時代を迎えてしまった私たちがやるべきことを考えます。

メルケル首相の言う「元の暮らし」は自由や民主主義、自然との共生を大事にした暮らしと受け止めます。





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櫻工房の春と「ウイルスVS人類~未知なる敵と闘うために~」—コロナの時代を生きるために

2020年04月01日 | コロナの時代を生きる

この日曜日は花と雪のコラボレーションを楽しませてもらいました。


庭の桜は5分咲きぐらいになっていましたが、花は雪の重みによく耐えていました。雪持ち桜です。

午前中から牡丹雪が降りだし、午後2時ごろには上がりましたが、これは花見と雪見が同時にできる!と夕方少し早目から酒の肴をいそいそ作り、(^^♪部屋の灯りは消し、雪明り、花明りで、ひと時コロナ禍を忘れて風情を楽しみました。


木瓜はこちらを見ている。。。


庭の木瓜やブルーベリーも花をつけています。ブルーベリーの花の蜜は本当においしいので、ヒヨドリがムシャムシャ食べる気持ちもわかります。でも今年は桜と同時に花を付けたことで、まだ食べられていません。(^^)/


ヒヨは桜が二分咲きの内からきて、蜜を吸うのに余念がないようです。部屋の中から撮ったのでわかりづらいですが、ヒヨ止まってます。。。


数日前には若芽を膨らませている柿の枝で染色をしていました。


糸や帯揚げを染めていました。
上の写真は真綿紬糸に鉄媒染をしているところ。


染めは煮染め後、火は消してからも、すぐに取り出しません。
留め釜といって、染液中の色素を吸収させています。温度が下がる時によく吸収します。糸染めの大事な工程です。


淡いピンクベージュと透明感のあるグレーを染めました。この時期は澄んだ色が染まるように思います。
淡々と日々仕事をするしかできませんが、作品をまたご覧頂ける日がくると思います。

さて、19日のNHKBS1スペシャル 「ウイルスVS人類~未知なる敵と闘うために~」をご覧になった方もあるかもしれませんが、本日(4月1日午後9時から)再放送があるようです。私はNHKオンデマンドで購入して見ました。購入期限は2021年3月16日までです。

「我々に何ができるのか?3人の専門家が徹底的に語り合う」ということで、とても分かりやすく、こういう話を聴きたかった、、という内容でした。
総合TVでも夜中でない時間で放送してもらいたいです。特に、五箇公一さん(国立環境研究所)のお話は本当に同感です。

今回の新型コロナウイルスも森林破壊、自然破壊による地球温暖化、グローバル化の加速と関わりがあるようです。自分たちの過剰にしてきたことのツケが回ってくる。

国は「ウイルスに打ち勝つ!」とか、わけのわからない精神論を唱えている場合ではなく、自然との共生の道を世界中で今、探っていかなければもう地球は、人類は終わってしまう。

ただ、日本でも広がってしまった新型ウイルスに、今は感染しないよう、新薬の開発まで、爆発的感染にならないようにみんなで様々な感染予防対策、協力をする。
国民の健康と安全を真に思うなら、戦闘機より、感染症対策に、経済的救済補償に当ててもらいたい。

芸術、文化(着物も含め)などは真っ先に“不要不急”にされてしまいますが、アートも自然も一つのもので、人に必要不可欠のものです。私たちのやるべきことは、今の暮らし方を少し変えて、健康に安心して暮らせる地球になるよう、この機会によく考えなければならないことだと思います。

着物を織ることも着ることも自然と共になければ成り立たない。
紬塾の受講資格のところに「自然を大切にする方」を入れています。
自然の摂理に従い、地球温暖化を食い止められなければ着物を愉しむことも、作ることもできなくなります。環境問題も含めそういうことにも関心を寄せてほしいと思います。
人の許容量を超えたことは、何事に付け弊害が必ず起こる。

工房の桜も曇り空の中ですが、満開に近づいてきました。美しい桜に勇気づけられます。

さて、20年度の「紬きもの塾」のお申込みありがとうございました。
開催の延期の可能性も出てきましたが、またメールでご連絡します。
感染予防に努めながら、慎ましくも、一日一日を大切に過ごしていきましょう。
みなさんと一緒に学びあえる日を楽しみに今は仕事に集中しながら待ちます。










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