中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

「平和の内に生存する権利を有することを確認する」憲法前文より

2023年12月28日 | お知らせ
                                焦げ茶地藍縞紬着物「木霊」

今年も押し詰まってまいりました。
山積みの染めた糸を整理して棚に戻し、大掃除半分して、(^^ゞ
仕立て上がってきた着物を、お客様へ発送。
そしてブログ更新をして、私の仕事納めです。

お陰様で、一年無事に仕事をさせてもらいました。
紬塾へも奇跡のようにどこからともなく!?ご参集頂き、また作品をご購入下さる方もあり、後半は予定外の半巾帯第2弾をしてしまいました。(^^♪
細々ではありますが生活の糧を得ることができ、関係の皆様に心よりお礼を申し上げます。

今年はついに私も大台に乗り、体力、気力が勝負の染織の仕事、さすがに体力的にきつくなってきました。
腰や肩、あと逆流性食道炎もよくないのですが、うつむき加減の仕事がよくないとの事(そのせいだけではないのですが…)。
でも、気持ちはまだ制作のアイデアが色々浮かんできます。

ただ、いつまでも染織の仕事はできるわけではありませんので、敷地120坪ほどの工房の維持管理のこともあり、どこかコンパクトな住まい兼工房へ移りたいと思っています。
しかし、機の音や振動のこともあり、東京で、私の経済力で物件を探すのは難航しそうです。。

来年はそんなこともあり、どうなるのか全く未定です。
14期続けた紬塾は、一旦閉じようかと思ったり、形を少し変えて行うか・・?などこれから考えたいと思います。

こんな時代になっても、着物や織物と真摯に向き合おうとして下さる方々を目の当たりにしていますので、非力ながら染織文化に貢献したいとは思っています。
3月ごろ、紬塾の開催の有無はお知らせします。

さて、世界が混沌とし、ウクライナとロシアの戦争も終結しません。
また、パレスチナ、ガザ地区では虐殺が止まりません。
暴力と暴力の連鎖が続いています。
12/20現在で、ガザではすでに2万人以上の死者が出て、その内7割以上が女性と子ども、高齢者ということです。
負傷者も病院がほとんど機能していないので、助かる人も助からない。
避難民のキャンプも食料、水、衛生など極悪な環境。
ガザの全人口にあたるおよそ220万人が、深刻な飢餓に直面しているそうです。
罪なき一般市民、子供、赤ちゃんが意味もなく残虐な殺され方が続く状況に、悲しく、苦しく、暴力を心底憎みます!
また人々だけではなく、自然環境、動植物、文化も破壊されています。

戦争が始まれば、世界の為政者も賢者も国連の働きかけも、誰も止めることができません。
私も何もできないけれど、せめて関心を持ち、署名する、デモに参加する、SNSで声を上げる、親イスラエル企業の物は買わない、利用しない、パレスチナの人道支援をする団体などに寄付をするなど、何かできることを探しています。

日本国憲法は日本の戦争放棄を謳っていますが、世界平和も希求するように宣言されています。

憲法前文から一部抜粋
「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。」

この素晴らしい憲法を護り、活かしましょう!
政府は停戦に向け、先頭をきって、日本にしかできない平和的外交努力をもっと毅然と、して欲しいです。

来る年は全ての人に、国境を超えて平和が訪れるよう、こころから祈ります。工房は、明日から1/4までお休みです。
読者のみなさまも、佳いお年をお迎えください。 





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23’紬塾染織実習 小さな布を織る(最終回)

2023年12月22日 | 紬塾’21~’24
糸をつむぐこと、染めること、織り物設計をすること、そして今回最終回の織ることを4回に亘って行いました。

先日の半巾帯を織り上げた経糸が少し残り(予定外でしたが)、それを使って一人2~3寸ずつ織ってもらいました。

自分でつむいだ糸(柿の小枝で染めた白茶)を最大限活かすことと、もう1~4色の色糸(私の方で用意している色糸)を選び、混ぜながら一枚の小さな布を織ってもらうのが実習の趣旨です。

たての縞がはっきりした、凝ったものなので、初心者には難しいかと思いましたが、
多少アドヴァイスもしながらですが、案外いい感じに出来上がりました。
織は初めての方がほとんどでしたが、耳も出来る限り意識して綺麗に織ってもらいました。
良い布になり、私もホッとしています。

織った順番に、それぞれ紹介します。布の手前が、織り始めです。


T.K.
設計通りに焦げ茶でスタートしましたが、途中色の変更や混ぜ方を臨機応変に変え、進めました。力強い温かみのある布になりました。




I.M.
柔らかな色を選び、やはり予定を少し変更しながら織り上げました。
ピンクとグリーンをランダムな段で織りましたが、薄い色の段なので、たての縞が生きた優しい布になりました。




K.M.
暖色系の中に寒色のグレーが生きています。互いの糸がハーモニーを醸して洗練された大人可愛い布になりました。




O.Y.
規則的なグラデーションはほぼ最初の設計通り、迷わず織り進めていました。
色糸を2段に分けて、スッキリしたグラフィック的な布になりました。




I.K.
機の最後で経糸が短くなり、織りにくかったのですが、不平不満も漏らさずに黙々と織ってくださいました。
今回の趣旨と少し外れましたが、ご自分の好きな色を入れたいという強いご希望があり、色を中心にした元気な布になりました。中程は白糸で七子織も入れました。

終わって、バスの時間まで少しあったので、「織る時に大事にしていることは何か」という質問を受けましたので、お答えしました。
「自分の表現は最後でいい、まず素材を観ること」と答えました。
目をまるくされていました。°_° 

この実習を通して、真綿の糸の感触や糸を混ぜながら奥行きを出していく紬織物の世界を少しでも体感して頂ければと思います。
また、経糸に複雑な節のある糸を使っていることで、布の深味が増すことも知ってもらえたらと思います。

紬というものが曖昧になってしまった昨近ですが、たて糸に節があり、柔らかな真綿の糸の風合いを活かしたものが野趣のある本来の紬だと思います。

みなさん基礎コースもしっかり受講し、更に実践でも紬の世界を深めてもらったと思います。
私も実のあることをしてもらいたいと、採算は度返しで務めたつもりです。
技術は拙いながら、こんなに高度な布はそうはないと、自信を持って言えます。

来年は紬塾が出来るか否か、全く未定です。
3月初めには開催の有無を決めますが、検討中の方はHPの「問い合わせ」よりメールでご連絡をいただければ、開催の有無が分かり次第ご連絡します。




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作品集「樹の滴」の感想をいただきました

2023年12月08日 | 作品集『樹の滴』
半巾帯連作も無事織り上がりました。
ブログ更新も出来ませんでしたが、気持ちを集中させるためには他のことは全て置いておかなければなりませんでした。
まだこれから湯通し、検反、仕立依頼などで気は抜けないのですが、、。

さて、拙著、作品集「樹の滴」をお読みくださった方からメールを頂きました。
50代の和裁士さんだそうですが、ご自身の仕事と重ね合わせ感想を綴ってくださいました。
仕事のジャンルを超えて、何か共感して頂けたなら嬉しく思います。
私も改めて11年前、原稿を夢中で書いた日のことを思い起こしました。
手書きで、ペンを持つ指が痛くなるほど一気に書き上げました。

和服の仕立も大変な仕事と思います。
お洒落着の華やかさの陰で、縁の下の力持ちのように目立たない存在ですが、いい仕立てでなければいい着姿も作れません。
他人様の新しい反物に鋏を入れることはどんなに気を使うでしょう。
また古い着物の仕立て替えは生地の傷みや汚れ、用布のやりくりなど、これも細やかな気配りが必要です。
それぞれの体格に合わせた寸法の相談や、柄合わせ、縫うだけではない時間も相当掛かります。
工房でお願いしている和裁士さんにもいつも感謝しています。

許可を頂き、頂いた感想をほぼ全文、下記に掲載させてもらいます。


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『樹の滴』拝読しました。
糸の選定、染めの草木の準備、糸の寝かし、デザインの設計・・・と想像以上の多くの工程があることを知り驚きました。
若い頃に染織工房を見学しましたが、糸を紡いで機を織る工程しか記憶に残っておらず今回、興味深く作品集を読ませて頂きました。

お陰様で紬に対しての知識が深まりより親しみを感じるとともに、中野様の作り手としての熱意に強く感銘を受けました。
これまで当たり前のように下前に配置していた大きめの節も自然の織りなす美しさと捉え、愛情を持って配置していきたいと考えを改めたところです。

文中に「これまで三十数年の間に自分用に着物を作ったことはありません」とありました。この文は後に作り手としての着ることの重要性を書かれています。それには私も同感です。
ただ、私はその「自分用に着物を作ったことがない」という言葉にすごく共感と言いますか感じるものがありました。
私は国検1級を取得した27歳からの25年間、私も自分の着物を一枚も縫っておりません。
休日は家族や身内の着物を縫う、身内の着付けは私がするので自分はどうしても洋装になってしまうなど、いつも自分以外の人のために和裁をしてまいりました。
これまではさほど気になってはおりませんでしたが、50歳を過ぎた頃から和裁との向き合い方、着物との向き合い方についてなんとなく違和感を感じるようになりました。

もう少しゆったりとした気持ちで着物を楽しみたいなぁ。せっかく好きな着物に携わる仕事をしているのにいつもクタクタで思うように着物と向き合えていないなぁ。お客様の着物を縫いながらただただ「私もいつかこんな着物を着てみたいなぁ」と羨んでばかりでした。

そんな折、「樹の滴」を読んで、これまで「やらなきゃ」という使命感でお仕立てをしておりましたが、中野様が美しい布をめざしてこられたように私も手探りながら和裁の技術を磨き、そして多くを望まない私なりの和裁士をめざしたいと思うようになりました。

今後、和裁士としてそして次世代へと着物を伝えていく者として、行き詰まった時には「樹の滴」を手引きとさせて頂きます。  
              
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技術の基礎、基本はどんな仕事でも変わらないと思いますが、その後、何を大切にして仕事するかは一人ひとり違ってきます。和裁もただ綺麗に細かく、寸法通り早く縫いました――だけではない、その着物、素材が持つ特性や、人が着るという一番大切なことを俯瞰できなければならないのだと思います。
紬も人が着るもの、という大前提の中で、それでも美やアート性も存在させたいと思っています。

上の感想にもありますが、プロとしてこの仕事で食べていくと決めて、修業に臨んだことですので、自分用や、よくできたと思うものを先に自分のものにしたことは、帯揚げ一枚とてありません。
ただ、最後の一反くらい自分を意識し、自分とは何かを探るために織るかのも良いかもしれません・・。

トップの写真「灰緑地縞着物」は作品集に収められているものですが、カメラマンにここを撮ってくださいと、私からお願いした写真です。この節がまさに自然と人のなせる技なのです。私の使う赤城の節糸ならではのものですし、たまに出てくるここを取り除いてはいけないのです。織りキズとして扱われることもありますが、それは、人工的な、機械的なモノだけを良しとする現代の貧しさです。
上手く景色になるように織り込むのが人の技です。



赤城の節糸に接した時の感動や、真綿の糸を初めてつむいだ時の蚕が持つ原糸のウェーブを今も鮮明に記憶しています。
帯回りの上の写真は、ヤマモモ染めのベージュの帯、薄いピンクの帯揚げも私の作ですが、ご本人がとても気に入って選ばれ、この取り合わせになりました。

着物は着物だけでは成り立たず、他の物との取り合わせで、成立する高度な美の世界だと思います。
「着ること」が作ることにつながります。作家の思いだけを込めてはいけないのです。着る人や帯、小物類を想像できるかできないかは大きな違いです。

また、和裁の方も自分が着ることで、いろいろ寸法や素材の違いなど、細かな発見があるのではないかと思います。

こんな着物文化の高度で豊かな世界を残さない訳にはいきません。
着物という形だけでなく、上質なもの同士を取り合わせる文化を残さないといけないのです。

私は単に、織物好きとか、紬好き、着物好きなわけではなく、自然と人が一体となり、そこに双方のいのちを再現しているものに関心があるだけです。それはジャンルなど関係ないことです。

作品集「樹の滴」には「着物」、「紬」、「染織」などのジャンルに関係なく読んでいただけるように意識して書いてあるつもりです。ある意味過激です。!(^^)!
宜しければご一読ください。



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