中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

女わざの会ー森田珪子さん

2014年05月29日 | 女わざの会


女わざの森田珪子さんが来る6月18日に江ノ島のかながわ女性センターで『暮らしを彩る手わざ』と題して1時間ほどの講演をされます。
後半は裂織りワークショップも行われます。

森田さんには2009年に、かたちの会の企画(可喜庵にて)で民話の朗読会をしていただきました。

森田珪子さんは千葉県のご出身ですが、結婚して夫君のご実家の岩手県で暮らし始めます。
そこで暮らしの中の衣食住に関わる様々な手わざや行事と出会い、そのことを実践し、その記録もビデオや冊子にして伝承にも努めてこられました。

東日本大震災後の2012年年6月に特定非営利法人の形をとるようになりましたが、ずっと以前から「女わざの会」のリーダーとして仲間と活動を続けてこられた方です。

岩手での女わざの会の作品展示会を一度訪ねたことがあります。
布の作品も素晴らしかったのですが、メンバーが作ってくれた玉砂糖を使った伝統の蒸し菓子「がんずき」をご馳走になりましたが、それもとても美味しかったです(創刊号にレシピあり)。

お住まいは岩手の内陸ですが3.11の余震で家屋が全壊となりました。
その日は亡き夫君の作業小屋である別棟で休んでおられ、森田さんには怪我はありませんでしたが、お一人でさぞや大変なことだったと推察いたします。
しかし“生かされた”という思いで、勧めてくれる仲間もあり、NPO法人としての女わざの活動に再び取り組み始めました。

以前の活動の記録冊子『女わざ』(1983年~2006年)は本当に素晴らしいです。
かたち21の笹山さんが所蔵していたものを最初に手にした時の感動を今も忘れません。

版画家でもある夫君が記録と編集、活字、挿絵などを手がけています。

私の仕事の根底には暮らしに根ざした衣の文化の上に紬を織りたいという思いがあります。
創ることと使うこと、使うことと作ることが社会にも開かれ、生きてあるという点においては個人作家であろうが家庭内や地域に根ざした活動であれ違いはないわけです。
女わざから学ぶことは多いのです。
女わざとは男わざも含め暮らしのわざのことです。

森田さんは御年81歳では・・と思いますが、お人柄は本当に強くて優しく、時に厳しく温かく、聡明で行動力に富むリーダーです。私などとても足元にも及びませんが尊敬する大先輩の教えを乞いたいと思っています。
わざわざ行く価値があります。

ご希望の方はチラシの問い合わせ先事務局 onnawaza.jimu☆gmail.com (☆を@に変えて送信してください)へFAX,またはメールで6月12日までにお申し込みください。


7~8年ぐらいまえに森田珪子さんが櫻工房で「ミニ女わざの会」のようなことをしてくださったことがあります。
その時の森田さんの話をかたち21の笹山さんが一文にしたためてくれています。
その一部をご紹介します。

[「たとえば昨年は10人ほどが4回ほど集まっては丸1日一緒に過ごし、半纏をお互いに助け合って作ったんですけどね。今思い出すと、ほんとに一人一人、人に話せないこともみんな見えるんですね。見えちゃうというか、付き合わなければ分からないこと、そしてすべてを赦せる、いろんなことがあるじゃないですか、マイナーなこととか、他人には話せないようなこと…。そういったこともお互いに分かってしまって、その上でのお付き合いができるわけです。そういう人間関係を持てるということを改めて感じます。」
 こういう人間関係の在り方を、中世の能の集大成者であった世阿弥の「後見の見」という言葉を引き合いに出して説明された。それは「一人一人、人に話せないこともみんな見える」までに他者との付き合いを深めることによって自分の後姿が見えるようになるということである。そしてそういう段階にまで深めていかれた人間関係を「絆」といい、森田さんは「女わざ」の活動を続けてきたことは、そういった人間の「絆」を求めていくことに他ならなかったというわけです。
 「後見の見」というところまで深められていった人間関係というのは、「公」と「私」という二元論のちょっと硬い印象を超えて、より地上的な「共同性」といったことをイメージさせます。そのような意味で、「公」というよりは「絆」かな、というふうに思えてきはじめたというわけです。
 「工芸」という文化の在り方は、人間の絆ということにも深く関係しているのでは?ということです。]

そのほか関連のブログもお時間あります時にご覧ください。

関連ブログ

かたち21の森田珪子さん関連ブログ
http://blog.goo.ne.jp/katachi21/e/7c4a526670900578a92de7997413b25e
http://blog.goo.ne.jp/katachi21/e/133c73dd7fee6f00a3e78809ab17efa3
http://blog.goo.ne.jp/katachi21/e/e50ae1c0866ce3a0aaf7a3d6e69c39c8
http://blog.goo.ne.jp/katachi21/e/8e332e99d040bb0365dcb914b44a640d

可喜庵のブログ(朗読会の記事)http://kakian.exblog.jp/8371611/



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技を手渡す

2014年05月16日 | 制作工程

初心者が帯用の整経をしています。
綾をとっているところです。大事な箇所です。
正確に早く・・・

細かいことを手とり足取り指導し、私が今まで培ってきたことの全てを伝えます。
私もそうであったように、昔であれば細かいことは言わずに「師匠や先輩のやることを盗んで(見て)覚えろ」と言ったのでしょうが、今は丁寧に事細かに説明し、手本を示さなければならない時代にあります。
指導者のエネルギーと忍耐力がむしろ試させれるところです。


テンションを如何に揃えるかの工夫を実際にやってみせます。
棒をターンするときも無駄に大回りをしないよう中指と薬指の間から糸束を密着させ回します。

手延べ整経は狭い場所でもできますし、私のような一反整経には向いていますが、テンションを揃えるのには技量を要します。毎回が工夫の連続です。


整経を終えると仮筬通しです。4本ずつ荒筬に糸を引き込みます。
糸を綾のところでパッと見て4本取ります。数えてはいけません。
昔、お金や紙の枚数を数えるのに扇状に広げ4枚ずつパッと左手の親指で数えていくのを銀行マンなどがしているのを見てカッコイいいなぁと思いましたが、アレです(最近は見かけませんが)。
一瞬にして綾竹の手前と向こうに糸が2本ずつあることを確認します。

ただ私が使う糸は生糸ではないので糸同士がくっついていてなかなか難しいのです。
筬通しという真鍮製の平べったいシンプルな道具の上下を使い分けてやります。単純な作業のようですが、私はこの仕事が好きです。微妙な加減で4本を1度で取れると気持ちがいいですし、取れなくてもそこからいかに早く余分な糸を離すかが楽しいのです。飽きることはありません。


簡単な仕掛け(木っ端に釘を打っただけのもの。34年前にハンズで20円で買いました。)で綾竹と筬を固定して反物の幅分を出します。
このあとは以前の記事でも紹介した「経巻き」へ進みます。

しかし手技を身に付けるということはノウハウさえわかればできるというものではなく、手渡された技を後は自分のものとして身につけるにはやはり一生をかけて熟練させていくものだとは思います(続けられればの話ですが)。
学び手の素直さ(とても大事です)、真摯な姿勢を抜きには到達できることではないと思います。その学ぶ姿勢に指導する側も動かされるようなところがあります。指導しながら今でも当たり前と思っていた事の中に気付きがあります。

古い友人が「あなたの感性は受け継げないけれど、技術と精神を受け継ぐ人が出てくれるといいのだけれど・・」と言ってくれるのですが、私もいつの間にか歳を取ってしまいました。もう時間がたくさんあるわけではありません。
プロとしてモノを作って食べていく覚悟の上に成り立つ手業の世界が無くならないでいてほしいと思います。










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 紬きもの塾'14 第2回「糸の力、色の神秘」

2014年05月06日 | 紬塾 '13~'14
石楠花の赤い花が咲き始めました。

さわやかな薫風の吹きぬける中での第2回紬きもの塾、今回も熱く盛り上がりました。

糸についての話は蚕が吐き出す糸の形をトックと見てもらい、色についても工房の新緑を見ながら「なぜ緑色は草木から容易くは染まらないのか?」など、色とは何か?
固定された色サンプルの記号のような色のイメージから一度離れて自然を見つめてみることが大切などと話しました。
また毎回テキストに使っている幸田文『きもの』から興味深かった箇所をお一人から発表してもらいました。
Mさんが指摘した箇所は――

るつ子の母親が病いに臥し、看病のためるつ子は傍らで本を読んでいる。しかし、そのあいだに静かに息を引き取ってしまいます。単行本ではP.211~218あたり(文庫ではP.213~220)です。

ここに書かれている、人が最後に着る着物のことや、見送る側は何を着れば良いのかについて祖母、二人の姉、るつ子の間で交わされる“着るもの”についてのやり取りが、現代の私たちにも考えさせられることがたくさんあるのです。Mさんは何度もここを読み返したということでした。時に涙して・・

自分の身に置き換えてみんなで活発に意見が交わされました。
喪服の話、またそれに代わるものについて、少し前の時代には結婚のときには親がひと揃えを持たせたけれど、実はそれはそれで合理的な考えのもとではなかったのではないか。

健康なときに揃えておかないとタイミングを失してしまうこともあります。
もちろんそのまま今に適用できるということでもないのですが、必ず訪れる死に向き合いその上で生きていく覚悟を若い時から親が自然に導いていく。
避けて通れるものではないので、タブー視せずに自分の最後の着るもののこと、見送る時の着るもののことも考えておきたいと思います。

るつ子の母の最後の着物は祖母が見立てた秋草の柄の浴衣、るつ子が母が着るのに糊は嫌だろうと糊抜きをし、仕立てたものだった。その日の朝着替えさせてあげたものだった。
大正生まれの私の母はタンスに父の分と最後の浴衣(寝巻き)を早くから用意してありました。

参加のもうお一人から「食育という言葉はよく聴かれますが、衣服に関して私たちは教えられもせず、また子供に教えることもなく生きている。そういうこともこの本は気付かせてくれている」という感想も出ました。
核家族になり暮らしの中の衣食住、大切なことが伝承されにくくなってしまいました。

紬の着物に限らず人が着るということ、装うということは、自分のためでもありますが他者のため、他者との関係性を築いていくことでもあります。

布や着ることの大切さをこの塾で回を重ねるごとに深めていきたいです。

今日の私の出で立ちは・・藍の小格子単衣に灰桜色の絞りの半幅帯で、帯締めも使わずに軽やかに・・(*゜▽゜*) 色の褪色も進んできましたが、藍染の浅葱色の褪色についても実作で見てもらい説明しました。
帯板は最近購入したものですが跡が出てしまいますね。。やはり今まで通りボール紙の方が良さそうです。





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アート鑑賞塾のお知らせ

2014年05月04日 | かたち塾、アート鑑賞いろは塾

筍の地鰹煮とわらびの煮浸し、春大根の皮のぬか漬け。


ここ町田市の蕗のとうも筍も蕨も今シーズンは終了です。明日は立夏ですものね。。。

いつも有機野菜の配達をしてもらっているTさんが筍や蕨は茹でて持ってきてくださるのであとはさっと煮るだけで助かります。春を楽しませてもらいました。

ただ、山菜を採ることもできなくなってしまった地域もある福島を思うと手放しで喜べない複雑な気持ちになります。

さて、来週の11日の日曜日は第11回のアート鑑賞塾今年度の始まりです。
「絵画の観方・中級編(20世紀の絵画)」です。

初めての方も参加いただけます。
紬塾からも5~6人が参加してくださってます。

全回は無理でも都合の良い時だけの参加でも大丈夫ですのでお気軽に話を聴きに来てください。
笹山さんはわかりやすくどんな些細な質問にも答えてくれます。

知識やお教養・・・といったことを目的にしている塾ではありません。
自分の中からモノを見つめる目や発見を養い、そのことを日々の暮らしに役立てていただければと思っています。着物を着ていく上での参考にもなります。

新規の方も募集中です!

お申し込みはブログ「モノ・語り」からどうぞ。

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