夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去った日々、自分に優しく、甘くなれる、と私は独り微苦笑して・・。

2019-03-14 12:52:48 | ささやかな古稀からの思い

私は都心の郊外の調布市に住む年金生活の15年生の74歳の身であるが、
このサイトには、ほぼ毎日投稿しているが、
ときおり過ぎ年の今頃は、どのような思いで過ごしていたのかしら、
と古き手紙を読むように過ぎ去った日々の投稿分を読むことがある。

先程、こうした心情になり、読みながら独り思わず微苦笑したりした。

2007年3月15日に於いては、投稿文のひとつとして、
【 過ぎ去った日々は、自分にやさしくなれる・・♪ 】
と題し、投稿していたので、あえて再掲載をする。

              

           
 


10時半過ぎに、散髪屋(理髪店)に行き、樹木の花の話などをした。

梅の花が散った今、マンサク、コブシ、沈丁花が何処は咲いている、
なとどの他愛のない話である。

帰宅後、家内と昼食をすますと、これといって特に用事がなく、
ぼんやりとこのサイトに綴ったのを見たりしていた・・。

このサイトに綴りはじめて2年4ヶ月過ぎているが、
ほぼ毎日数通は投稿しているので、少なくとも2000通は越えている。

定年退職後の一ヶ月後から投稿しているので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりした。
そして綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしている時もある。

私は過ぎ去った日々の綴りを読むと、何よりも自分に優しく、甘くなれるのに驚いたりしている。

              

日本酒に詳しい研究家の太田和彦・氏の言葉をお借りすれば、

人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。

確か総合月刊誌の『文藝春秋』2004年の12月号に於いて、寄稿文の中の一章だった、
と遠い記憶を思い出している。

コメント
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