夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

左眼の特殊な手術日は決定したが、待ちわびる私としては、少し長く感じて微苦笑をして・・。

2019-03-13 13:54:11 | ささやかな古稀からの思い

昨日、私たち夫婦は東京の西葛西地域にあるI眼科専門病院にを行く為に、
我が家を10時過ぎに出た。

私は東京の調布市に住む74歳の年金生活の身であるが、
3年半前に白内障の手術を受けて、酷い近眼であつたが、手術後は0.8前後の視力となり、
高校生よりメガネを愛用してきたが、メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。

この清く正しく美しくになっている左眼が、10日前の頃に、
何かしら酷い白内障になったように視力が激変し、
私は困苦しながら最寄りの眼科専門医院に通ったりしてきた。

この眼科専門医院は、私は3年半前に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、数10回通院してきたので、医院長をはじめ10数名のスタッフとも、
顔なじみとなり、男の癖におしゃべりな私でも、少し遠慮しながらも談笑したりしている。

このように信愛できる
医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『御茶ノ水』にあるI専門病院を
紹介されたりした。

そして3月下旬に、この『御茶ノ水』にあるI眼科専門病院に行く予定であったが、
8日、この顔なじみとなっている眼科専門医院で診察を受けた結果、
医院長が想定より悪化しているので、同じI眼科専門病院でも『西葛西』にある病院は、
この特殊な手術ができる医師宛てに、紹介状を書いて下さった。

何かしら瞳を支えている眼球の周囲にある緬膜(めんまく)の大半が、
離脱して、視力が不安定で、低下され特殊な手術が必要と教えられたりした。

こうした結果、9日、『西葛西』にあるI専門病院に8時に訪ねることとなった・・。

やがて受付で、紹介状を提出したが、何かしら紹介状の宛名の御方は、副医院長だったが、本日はお休みと知り、
多彩な眼の検査を受診した後、代理の医師より診察を受けたりした。

この後、副医院長の診察を受ける13日の日時を指定して、予約をした後、私は我が家に帰宅した。


              

この後、11日の日中、『西葛西』にあるI専門病院より、私は電話を頂いたりした。
私が予約している13日を一日早い12日では・・と尋ねてきた。

こうした関連で、前回の時に手術した後は入院と教示させられたので、
今回は私たち夫婦で間違いないように、私たちはふたりで、『西葛西』にあるI専門病院を訪ねた。

そして眼の多彩な診察を受けた後、紹介状の副医院長に私は診察を受けた。

やはり瞳を支えている眼球の周囲にある緬膜(めんまく)の大半が、
離脱して、視力が不安定で、低下され特殊な手術が必要と教えられ、
硝子体手術を行うこととなった。

難しい専門用語なので、下記のホームページをお借り致します。

http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_hakuri.jsp

☆日本眼科学会ホームページ:網膜・硝子体の病気☆

そして手術日は早くても4月2日、手術後は一週間入院と教えられ、私たち夫婦は了解した。
この後、手術前の幾つかの精密検査、注意事項を受けたりした。

              

やがて帰路の中で、私は今後は、手術を受けて回復するまで、左眼はブレた視界、右眼は正常な0.9、
少し不自由な生活を過ごすので、少し家内にボヤいたりした。

『手術日は3週間後になるが・・もっと早くならないのかなぁ・・』と私は家内に言ったりした。

『副医院長の先生・・私たちの前で見えるように手術スケジュール予定表を調整して・・
出来る限り早めにして下さった結果ょ・・ありがたいわ』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『そうだよねぇ・・』と私は瞬時に応じたりした。

しかしながら待ちわびる私としては、少し長く感じたりした。
さわやかな春到来の日々、少し視界が不良の中で、散策するのは、
春の憂いのようだねぇ、と微苦笑をしたりした。

コメント (5)
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