夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『彼岸入り』、東京の郊外は小雨降る日となり、私は秘かに喜び・・。

2011-09-20 12:47:22 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、玄関の軒下に下り立つと、昨夜から降りだした雨が降り続き、
何かしら半袖のスポーツシャツだと肌寒く感じたりした。

その後、居間に戻り、ネットで地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は18度、昼下りは23度前後、夜の6時は20度前後、
小雨が降ったり止んだりする一日で、平年の10月中旬の気温となります。

明日の21日は台風15号が近づいてきますので、風が伴う強い雨が予測されますので、
注意しましょう。

このような意味合いの言葉が解説していた。


私の住む地域は、昨日までの一週間ぐらい昼下りには、
30数度の残暑厳しい日が続いていたので、暑さに苦手な私は、
どうしてなの、と戸惑ったりしていた。

今朝も習性として半袖のスポーツシャツを着ていたが、
残暑の時節から急激に秋の訪れのような10月中旬のような気温になったので、
肌寒く感じたのは、ボケていない証拠だ、と微苦笑させられたのである。


この後、確か本日の20日は『彼岸入り』だよねぇ、とカレンダーに近づき、確認したれした。

もとより古来より太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる『秋分の日』、
この日の前後3日の計7日間を『秋の彼岸』と称して、
この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられている。

そして20日は『彼岸入り』、23日は『お中日』の秋分の日となり、お墓参り、
26日は『彼岸明け』となり、
このようなことは、私の幼年期は農家の児として育てられたので、
心の片隅に残っているのである。

私が何よりも嬉しいのは、暑さ寒さ彼岸まで、と古来から伝えられているので、
苦手な熱い夏を過ぎ、秋に向う時節を待ち焦がれていたのである。

小雨が舞い降る庭の情景を私は眺めながら、
心の中で、いよいよ秋ですねぇ、と呟〈つぶや〉きなから、
万歳三唱をしたくなるような心情である。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『長月』の9月、つたない私は改めて時候を思い馳せれば・・。

2011-09-19 22:20:24 | 定年後の思い
春、夏、秋、冬の季節に恵まれた日本の各地に於いて、
古来より、その時節に応じた時候が育(はぐく)まれてきたが、
それぞれの人の思い重ねた感性で、
封書に入れた手紙や簡略な葉書が認(したた)められてきた・・。

私は齢ばかり重ねた66歳の身であるが、
屈折した半生を歩んだ拙(つたな)い身なので、
ときおり時候に戸惑う時がある。


先ほどから長月の9月の時候をぼんやりと思いながら、
脳裏から言葉が中々舞い降りてこず、やむなく調べたりしていた。


◎秋色は次第に濃くなって

◎一雨ごとに秋気が深まります。

◎木の葉もそよぎにも涼気を覚える頃

◎月の光も色ももうすっかり秋です。

◎秋照りに稲の穂は次第に熟し


●天高く馬肥ゆる秋

●初秋の空もさわやかな季節

●ぶどうの味覚も秋が感じられる昨今

●秋の色がしだいに深さをまして

●そぞろ涼風の立つころ


前記の◎印は、鑓田研一・著の『手紙百科』(大泉書店)で、
私が東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋頃に購入した本であった。
10数が記載されていたが、私なりに魅了された時候のことばである。

後記の●印は、私の定年退職の2004〈平成16〉年の秋を過ぎた頃に、
郵便局に置いてあった栞(しおり)のような小さな紙で印刷され、
7つのことばから、選定させていただいた。

私は40数年の間に、日本の各地は大きく変貌したのであるが、
それぞれの日本人の発露された言葉は、余り変わらないことに、
改めて気付き、安堵したりしたのである。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『敬老の日』を迎え、高齢者は何よりも『生きがい』があれば、身も心も溌剌となり・・。

2011-09-19 15:12:25 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過ぎし 9月16日(金)の夜、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、
《 65歳以上、最多の23.3%=80歳以上は866万人―総務省推計 》
と題された記事を精読した。

無断であるが、この記事の内容を転載させて頂く。

《・・
「敬老の日」(19日)を前に総務省が16日発表した高齢者推計人口(9月15日現在)によると、
65歳以上の人口は前年より24万人増え2980万人、
総人口に占める割合は0.2ポイント増の23.3%と、いずれも過去最高を更新した。

80歳以上の人口は前年比38万人増の866万人、
割合も0.3ポイント増の6.8%と、こちらも過去最高。

2010年の国勢調査速報値などを基に推計した。

65歳以上の男性は1273万人で男性人口に占める割合は20.5%、
女性は1707万人で女性人口に占める割合は26.0%。

家計の状況をみると、世帯主が無職高齢者である世帯の月平均実収入は18万8406円、
実支出は22万6533円で3万8127円の赤字。
世帯主が高齢者である2人以上世帯の平均貯蓄額は2275万円と、
株価下落などの影響を受け3年連続で減少した。

世帯主が高齢者の世帯でインターネットを使って購入した商品やサービスの年間支出は2010年が1万7112円。
2002年の5748円から約3倍に増え、ネット利用の進展がうかがえる。 

時事通信 9月16日(金)17時44分配信
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。


私は高齢者2年生の66歳の身ながら、確かに日本は超高齢化の社会になっている、
実感させられたのである。

もとより『敬老の日』は、
《・・
敬老の日は、長い間社会の為に尽くしてきた高齢者を敬い、長寿を祝う日です。
また、それとともに高齢者の福祉について関心を深め、
高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促すという気持ちが込められています。
・・》
と定義されている。

しかしながら、
《高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促す・・という気持ちが込められています》
と読めば、
高齢者の方たちは、働いて下さる若い世代の諸兄諸姉たちから、
果たして敬愛とまなざしか、或いは老害と感じるか、私は複雑な思いでいる。

少なくとも私より10歳以上齢上の後期高齢者の75歳以上の人たちは、
敗戦後の荒廃した日本を、少なくとも世界の中でも有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
日本に住む私達の多くが、こうして世界の人々の中、稀(まれ)な生活を享受しているので、
私は少なからず尊敬の念を抱(いだ)いている。

そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代と称される世代が60歳以上となり、
社会の第一線を退いた方が多く、まぎれなく超高齢社会となっている。


昨今、政治の昏迷、経済の低迷、社会の劣化の今日、
社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と伝えられている。

もとより高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えているのである。

このような現状の上、高齢者の有権者層が急増している今日、
政治家の諸兄諸姉の議員が、高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
私のように定年退職し年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない、
危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような現状の制度のまま放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、若い働いて下さる諸兄諸姉の方は、
高齢者の人たちは負担させるばかり人たちと思い、
やがて邪魔な存在と感じながら、粗末にする風潮のなる世界が私には想像できる。


このような思いになると、たとえば福祉などは、
高齢者の方たちは、国が何をしてくれるのは甘えであり、
少なくとも、私は自分が払ってきた厚生年金などを支給を受ければ、
これ以の福祉サービスなどは、国、都道府県、区市町村に過剰に頼るな、と思っている。

平素の日常生活は、貧富の差にかかわらず、歩くことである。
もとより季節のうつろいの情景を享受できるし、何よりも健康に良いし、
高齢者の医療費の激減となる。

そして、それぞれの高齢者は、ご自身に合った趣味を深めれば、
すこやかな『生きがい』となり、身も心も溌剌〈はつらつ〉とした日常生活となる。

その上、高齢者は若い方に比べると多少は身体は弱っているが、
何より生きてきた知恵がある。


若い世代の人は、こうした人生の知恵を学べは良い、と思ったりしている。

私は若い人に期待するのは、言葉づかいと動作の粗雑であることにつきる。
そして、死語となったシルバー・シートの復権を期待するぐらいあり、
心に余裕ある働いて下さる諸兄諸姉の方は、
ご年配者に学び取り、わずかに尊敬の念を感じてくれれば、
これ以上は期待もしていない。


私は買物などで狭い歩道を歩いたり、街中で私よりご高齢者とすれ違う時、
たとえ両手に重い荷物を持とうが、道を開ける。
公園などでポッンとベンチに座っている方を見かけると、
最低限として挨拶程度の言葉をかけるのである。

私がご高齢者で困惑するのは、
公共の場で恥知らずな言動をするグループを見かけると、確かに老害と思っている。
特にご婦人の方に多く、女性にいつまでも憧憬(どうけい)している私としては、
はなはだ残念と思ったりしている。

そして、私はあなた方の持っていた羞恥心という美徳はどうされたのですか、
人前でご迷惑を感じていないのですか、
そして、お孫さんに恥ずかしくないのですか、と私は憂(うれ)い時もある。


とりとめなく綴ってきたが、私たち高齢者は潔き言動こそが敬愛の源泉であり、
粗雑な言動はまぎれなく老害となるので、
ときおり私は自戒を重ねたりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ネットと文学』、3年前の新聞記事を読み返し、ネットで作家として生計をするには・・。

2011-09-18 22:50:55 | 真摯に『文学』を思考する時
私は日中のひととき新聞記事などを切り抜いたA4のケース箱を脇机から取り出して、
古き記事は破棄しょう、と見ていた時、
読売新聞の2008年10月15日に於いて、『文芸』欄で掲載された『ネットと文学』の記事を
読み返し、しばらく考えさせられたのである。

この記事は、金巻有美・記者により記載された記事であり、無断ながら引用させて頂く。

《・・
日中韓の3国の作家や詩人、文芸評論家らが集い、語り合う「第1回 東アジア文学フォーラム」が、
先月29日から10月2日までの4日間にわたって、韓国・ソウルで行われた。
3国の作家らは、ネット社会における文学の役割といった共通の問題意識を持ちながら
活発に議論を交わした。
・・》
という序章であった。

《・・
いずれの国の作家も言及したのが、
1990年代以降のインターネットの普及とネット文学についてだった。

日本では10代の女性を中心携帯電話のサイト上で
小説を発表する「ケータイ小説」が人気を集め、書籍化されたものはミリオンセラーとなっている。

中韓でも、「ケータイ小説」はまだないものの、
インターネット上で小説を発表し、そこからデビューする作家が出ている。

〈略〉

こうした状況の中、「作家が特殊な職業や体験を取材して書いても、
そのリアリティーは当事者がブログに書き込む証言にあっさり乗り越えられてしまう。
何が現代の、未来の小説の肝となるべきか考えなければならない」
とネット時代を生きる作家の悩みを素直に語ったのは、
近著の『決壊』でネット社会への問題意識を題材に作品を執筆したばかり平野氏(啓一郎)。

誰でもが書き手となることができるネット社会で、
「趣味が多様化し、社会が機能的に分化する中で、
どのような社会的な合意、共通性を確保していくのかというところに、
文学がかかわる余地があるのではないか」
と述べた。


これに対し、韓国の(若手作家のリーダー的存在と知られている女性作家)殷氏は、
「ブログは生々しく、特異なことが書かれているが、『観点』が欠けている。
作家は人間と世の中を解釈し、観点を示すのが小説の役割。
その意味で作家の仕事は多くなった」
という考えを示した。

「ネットは文学にとって危機なのか、チャンスなのか」
という問いを立てた中国の許龍錫氏は、
「平等で自由なネット空間の文学を通じて、
逆に文学の大衆化が達成され、文学領域を広げる機会になる」
とネット文学が現在の文学に新風を吹き込むことへの期待を語った。

さらに、ネットでひともうけをたくらむ子供たちを描いた『インストール』で、
高校時代にデビューした綿矢(りさら)氏は、
過去の名作や投稿サイトをネットで読んできた体験から、
「インターネットはその特性にあった独自の形式を見つけ、
ネット文学と従来の文学は、住み分けを図っていくのかもしれない」
と展望。

長編『犬身』をネット上の連載という形で発表していた松浦(理英子)氏も、
「安易な読み物がはんらんする不安がある一方で、
小説の自由度が増したことを喜んでいる作家も少なくない」
と述べ、
各国の作家からは現状を肯定的にとらえる意見も相次いだ。


一方で、
「私はインターネットもメールもやらないし、
紙に書く文学が廃れるとも思わない」
と語ったのは中国の雷抒雁氏のような詩人もおり
・・》

以上、長々と引用させて頂いたが、要旨は上記の通りである。
注)金巻有美・記者の書かれた原文に、あえて改行を多くした。


私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、シナリオや小説の習作をしていた時期もあった。

映画のシナリオライターになりたくて、ある芸能専門養成所の演出科コースに入所し、
講師の計らいで、児童劇の映画に出演したり、
総合月刊雑誌の連載記事の下書きのアルバイトをしている時、
ある新劇の方より、映画の世界で飯を食べて行くのは益々大変なので、
創作の世界だったら、小説を書かれたら、と暖かいアドバイスを頂いた。

その後、私は契約社員で警備員などをし、小説の習作し、
純文学、中間小説の新人賞の応募を重ねたが、結果として最終の当選作には至らなかった。

確固たる根拠もなく、ただ自身の感性と感覚を頼りに創作の習作を重ねたが、
果たして、30代で妻子を養う家庭生活を想像した時、
整然とした人並みの生活を営む自信がなく、やむなく24歳で断念した。

そしてサラリーマンで中途入社する為に、コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、
ある大手企業に何とか中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。
その後、この会社の事業本部のひとつに、音楽事業本部があり、
この中のひとつが外資レコード会社として、新たに設立されて、私も異動させられて、
35年近く勤めて定年退職を迎えた拙(つたな)い身である。

この間、数多くのサラリーマンと同様に多忙な期間に於いて、
純文学、中間小説を読む機会が激減し、勤務分野に係わるビジネス専門書、雑誌が多かったのである。
そして、ときおり小説、随筆、現代史、歴史書を読む程度だったので、
1975〈昭和50〉年以降の小説の数多くのは、殆ど未知である。


私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活に入ったのは、
せめて死ぬまでには何とか随筆形式で、
数百年過ぎたのちの文学の愛好家からも、確かな珠玉の散文を遺(のこ)された人、
と慕われるくらい、たったひとつの散文を綴りたい、と思ったからである。

夢ばかり大きく、40年近く創作の感覚から離れていたが、思いばかりつのったのである。

そして、まもなくブログの世界を知り、
私は文章の特訓に幸いとばかり、日記、随筆形式で、殆ど毎日数通は投稿してきた。

石の上にも3年、と古人からの伝えがあるが、
無念ながら特訓期間は、既に丸6年は過ぎ、今日に至っている。


このように努力もなく、才能に乏しい私であるが、
たまたま『ネットと文学』の上記の新聞記事が読み、思考させられたのである。

私は原稿用紙等に書かれても、或いはインターネットでも公表されようが、
結果として書物とされるか、ネット上で掲載され留まるか、重視するタイプである。

私は若き方から見れば、齢ばかり重ねた66歳の身なので、
本屋、古本屋で魅了された書物を選定し、活字で読むひとりである。
3年前頃に偶然に、ネットの『青空文庫』のサイトを見ていた時、
何となく違和感を感じ、途中で止めたりしたのである。

私は綿矢りさら・女史の小説は、読んだことはないが、今後は女史の発言通り、
ネット文学と従来の文学は、住み分けを図っていく、
と感じ深めている。

しかしながら、誌上の世界は有料、ネットの世界は無料が圧倒的に多いのが実情である。

誌上は単行本、新書本、文庫本、文藝雑誌などは、
もとより編集者の怜悧な視線、出版社の意向で、
創作者も鍛えられ、一部の方は成長して作家として生計は成り立つ。

ネットの世界は、安易に発表の可能な世界なので、
ともすれば独りよがりの作品に陥りやすいのである。
ときたま私は精読する限り、この中の一部には心の深淵まで描いた作品も有り、私は動顚させられ、
プロの作家並みとして驚くことがあるが、果たして持続した作品を公表できるかは、疑問である。

このような心情を深めているので、作家として生計を求めない人は、
ネットで寡作の作品を公表する方は、ネットは有力な発表機会となる。


このようなことを3年前に記事を読み返しながら、ぼんやりと考えたりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK Eテレ 『地球ドラマチック』、齢ばかり重ねた私は、地球と月の相関関係を学び・・。

2011-09-18 12:43:24 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
昨夕、家内が『7時から・・NHKのテレビで『地球ドラマチック』放送するの・・
興味津々だわ・・あなたも見ませんか?』
と私は言われたりしていた。

私は新聞のテレビ番組表を見て、
Eテレで『地球ドラマチック』シリーズに於いて、
『月と太陽の神秘(1)地球が月と離れる日』という番組と知った。

私はこの後、ネットでNHKテレビ番組案内表を検索して、
《・・
地球から月が離れてしまったら、一体何が起きるのか?
私たちの生活に様々な影響をもたらしている月は、毎年数センチ、地球から離れている。
その影響をシミュレーション。

月は毎年、数cmずつ地球から離れている。
計算上では、現在の距離の1割を離れると、地球を公転する軌道から外れてしまう。
月は、地球にどんな影響を及ぼしているのか? 
月が離れてしまった地球は、いったいどんな世界となるのか? 
調査研究で明らかになってきた地球と月の関係、そしてシミュレーションCGが描き出す、
月が遠ざかった後の地球の姿。
(2010年アメリカ Earth without Moon)
・・》
このように明記されていた。


私は宇宙とか科学の分野などは、恥ずかしながら無知であり、
中学の『科学』、高校の時の『物理』などの授業の時は興味もなく、劣等生のひとりであり、
高校の時などは新潮文庫、岩波文庫などで小説を読んだ一節を思い浮かべたりしていたので、
月は眺め愛〈め〉でるものである、と深く感じたりしていた。

その後、アメリカが月に探検した時は、とんでもないことをしてくれた、と思い、
心の純潔を汚されたような心境であった。

私は海辺の満潮、干潮の満ち引きは、月の影響でされていることは知っているぐらいで、
大型のタンカーなど荷物を満載した船が、どうして海に浮かび、走行できるのか、
いまだに解らないひとりである。


このような私は家内の誘いで、『月と太陽の神秘(1)地球が月と離れる日』を視聴したのであるが、
地球と月の関係は、限りなく重要な相関関係であり、
たとえば月の影響をなくした地球は、想像もできないほどの甚大な影響をもたらすことも学び、
動顚させられたりした。

そして太陽と地球、そして月、或いは太陽系の火星、金星などとの地球の相関も学び、
このようなことで私たちの住む緑と水の豊かな惑星の地球が、
このように維持されているのか、と齢ばかり重ねた私は、遅ればせながら、
初めて学んだのである。

天文を専攻した学者の人たちから、図説を含めて優しく解説して下さったので、
小学生から誰でも解りやすい初心者向けの良質な番組内容であったが、
私は番組を視聴しながら、一度で理解できなかった場合を心配し、同時録画したのである。

無知だった私は復習のように、先ほど録画した番組を再び視聴しながら、
このように地球は月、そして太陽系の太陽を中核とした惑星に支えられている、
ことが鈍〈にぶ〉い私でも、そうですよねぇ、心の中で呟〈つぶや〉いたりした。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者2年生の私でも、ときには家内のボディ・ガード兼お供で、買物して・・。

2011-09-17 15:18:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

平素の我が家の買い物は、私が定年退職後に年金生活を始め、自主的に専任担当となり、
近くのスーパー、駅前のスーパーなどに出かけて奮闘している。

昨夕、家内から、明日は調布の駅前に買い物に行きませんか、
と私は告げられた。

私の住む地域は調布市の片隅みで、世田谷区と狛江市に隣接した処であり、
自宅から数分歩けばにバス停があり、京王線の『調布』駅前までは、
バスの乗車時間は10分ぐらいである。


家内は日常雑貨品などを買い求める時は、高齢者2年生の私に、
ボディ・ガード兼お供、正確には荷物持ちかしらと思いながら、月に一度ぐらい、
私に声をかけるのが、ここ数年の多くなっている。

私としても現役時代の緊張感から解放されて、身過ぎ世過ぎの年金生活の身であり、
昨今はご近所の奥様のひとりから、あなたは演歌歌手の吉幾三〈よし・いくぞう〉さんに似てるわ、
と言われたりしたので、
思い出しながら、吉幾三さんの兄貴分のような容姿であるので、
ボディ・ガードとして、迫力あるかしら、と苦笑したりした。


今朝、私たち夫婦は自宅を出てバスに乗り、調布駅前に下り立ったのは、
10時半過ぎであった。
化粧品、薬などを販売しているドラッグ・ストアーの『サン・ドラック』、
そして『調布パルコ』、その後はスーパーの『東急ストアー』、『西友』を廻ったりし、
買い物をしたりした。

この間、家内が自身の下着などを買い求める時に、
私は本屋に寄ったりした。

私は過日に新聞に掲載されていた出版案内広告に於いて、
三浦朱門、曽野綾子の両氏による共著の『夫婦口論 ~二人で「老い」を生きる知恵』〈扶桑社新書)を
見たりし、敬愛しているお二人なので、買い求めたりした。
そして曽野綾子さんの未読の『戦争を知っていてよかった ~夜明けの新聞の匂い~』、
『太郎物語 ~高校編~』、『太郎物語 ~大学編~』の三冊、
いずれも新潮文庫であるが、購入した。

そして待ち合わせ場所のコーヒー・ショップの『ドトール』で、
私はアイス・コーヒーを飲みながら、『夫婦口論 ~二人で「老い」を生きる知恵』を読みはじめた・・。
30分ぐらいすると、家内が来て、
『早かったじゃないの・・』
と私は微笑みながら言ったりし、しぶしぶ本を閉じたのが本音でもあった。


このようなささいな出来事を年金生活の私たち夫婦は、
月に一度ぐらいをしたりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆の世界、誌上の著名人の綴り、そして拙〈つたな〉い私のブログの投稿文・・。

2011-09-16 18:35:20 | 定年後の思い
私は民間会社を2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
偶然にブログの世界を知り、その日に感じたり、思考していることを心の発露として、
国内旅行、或いはパソコンが故障しない限り、毎日投稿し6年半ばかり過ぎている・・。

ときには同じ綴るのであれば、散文で随筆形式と思いながら、
投稿する時もあり、こうした時は拙〈つたな〉い脳裏なりに独創と個性を頼りに綴っている。

しかし、その時の思いを瞬時に綴るので、
余りにも不出来が多く、愕然することがしばしば感じているのである。

こうした時に、テーマが即時に決まることもあれば、
中々決まらなく苦悶することも多いのが本音である。


ここ30年ぐらいの著名人の綴る週刊誌、月刊誌など随筆は、
原稿用紙に於いて、5枚前後の長さが多く、
テーマの発想、構成、綴りの文調、そして校正などある程度は時間あるので、
それなりに魅了ある余韻、余情のある随筆となっていることが多い。

そしてここ10年前の頃の社会風潮として、雑誌の随筆などは、
なるべく短くし、2枚程度の800文字以内が、読者の方たちから評判が良い、
と何かの随筆で読んだりしたことがあった。


ブログの投稿文も著名人の政治、経済、社会などの専門分野を明示するのは例外であるが、
大方の投稿文を見ると、驚くほど短い文章で綴られ、投稿されているのが現実である。

こうしたことは、最近の社会の急激な移ろいに、
何事も短じかな時間で理解しょう、とした現象なのかしら、と思ったりしている。

こうした中で私も1200文字前後で、
私なりの個性で確固たる随筆を目指す時もあるが、
その時の心情などで、つたない投稿文が多く、恥じながら習作の期間かしら、と苦笑している。

そして瞬時にテーマと構成をまとめる文章修行に励む事が前提であるが、
何より心の磨(と)ぎ澄(す)ます心得が不足していると、
齢ばかり重ねた66歳の私は、嘆くことも多いのである。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たかが健康診断、されど健康診断、定年退職後の恥ずかしながら我が身の状況は・・。 【下】

2011-09-15 20:07:48 | 定年後の思い
今年度の『特定検診』と称されている健康診断は、
本日の午前中のひとときに受診の最後の内診の時、
『体重は75キロですので・・身長からして・・71キロ前後が理想ですょ』
と医師から私は言われてしまった。

ここ数が月、暑さに苦手な私は、ウォーキングをさぼり、散策も短めとなっているので、
春先には72キロだったのを思い重ねて、苦笑したりした。

しかしながら、今回受診して病院で、私は3週間毎に定期健診を10か月間受けてきた結果、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、今年の3月の初旬であり、
その後も横ばいの状態であるが、
昨年の今頃とは体の内部は、天と地の差があるので、微苦笑さえ出来たりした。


私は健康診断を受診する時、基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との問診となっている。
そして特定健診として、胃がん、大腸がんの検診もある。

私は何よりも苦手な検診は、『胃がん検診』である。
バリウムの白い検査薬を飲むのは苦手で、私なりに苦痛のひとときを毎年味わっているのである。

その上、前夜の制約もある。
夜の9時過ぎから水を含めて飲食は避けた上、
そして、当日の喫煙、歯磨きはしないて下さい、と明記されていることもある。

こうしたことで苦手のバリウムによる胃の撮影が終ると、ほっとするのである。


しかし、4年前に、ある総合病院で受診した時、
40代の男性技師のもとで、検査したのであるが、終ると何故かしら首をかしげた後、
私の方に近づき、
『本当に申し訳ないのですが・・機械の故障で・・
別棟の検査室で、もう1度撮影させて下さい・・』
と云われ、別棟に歩いた後で、
再び苦手なバリウムを飲んだりした。


3年前の時は、30歳前後の若き女性技師で、私好みの美顔の方が、
『少し仰向けになって下さい・・
位置を変えて・・横向きにうつ伏せ気味になって下さい・・』
と甘い声の指示を聴きながら、私は検査を受けたのである。

私はバリウムさえ飲まなければ、
年金生活の自由な身の私としては、何時間かかっても良い、
と余計なことを思ったりしたこともあった。


私は健康診断を受診する時の下着は、
平素と同様に、下半身はパンズ型のブルーフであり、
上半身の方はランニング型であるが、殆ど袖なしのTシャツを着ている。

この袖なしのTシャツは、
ポップス系で若手に人気のあるTOKIOというグループがいるが、
この中のひとり長瀬智也さんが、以前ドラマの中で着ていたので、
私は魅了されて、家内に頼んで購入した貰ったのは、定年退職の3年前頃であった。

この後も、年金生活に入った後は、自在の服装が出来るので、
この袖なしのTシャツを真冬以外は、愛用している。

半袖か長袖のスポーツ・シャツを羽織って、
5月過ぎから秋まで買物、散策に出かけることが多いのである。
私は、胸毛は少し白髪となってきたが、心は若い方の感性と余り変わらないと思っているので、
このような容姿となっている。

5年前の総合病院でレントゲンの健診の時、
30歳前後の稀(ま)れな美麗な女性技師の方で、
私は急いで長袖スポーツ・シャツ、そして袖なしのTシャツを脱いで、上半身は裸となった。

『XXさん・・下着は着ていても・・大丈夫ですから・・』
と笑いながら、忠告されたのである。


この後、身長測定のの時、
『はい・・1メートル69.5ですね・・』
とアシスタントの女医さんから云われた。

『齢を重ねると・・少し縮〈ちじ〉むのですね・・』
と私は明るく云った。
『ご年配の方は・・よくある傾向ですわ・・』
と云われた後、
私は長い間、1メートル70の時代であったが、
0.5センチばかり縮〈ちじ〉んだことに、齢を実感させられた。

体重も70キロ代となり、
家内と結婚した当時は、56キロの細身体が懐かしく、
『俺も・・71かょ・・』
と普段身勝手な日常を振り返ったりしたのである。

そして、多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、
と62歳の自分を慰めていたりした時もあったりした。


このように毎年、私は健康診断を受診をしてきたが、胃がん検診に伴い、
前日の夜からの水分制限、そしてバリウムの白い液体薬は齢を重ねても苦手であるが、
これ以外は楽しい受診のひとときを過ごしたりしている。

そして私は健康診断を欠かさず受診してきたのは、
何よりも自身の身体の弱点を知り、
弱点を指摘されれば、ある程度の治療、或いは自身の努力で克服できればよい、
と至って常識的な思考の身なので、
健康診断を受診せず放棄している人は、自身の命を粗末にしている、と思ったりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たかが健康診断、されど健康診断、定年退職後の恥ずかしながら我が身の状況は・・。 【上】

2011-09-15 15:00:32 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
9月下旬に恥ずかしながら満67歳を迎えることになる。
こうした誕生日の月に対応して、私の住む調布市では国民健康保険に加入している40歳以上は、
年に一度の『特定検診』と称されている健康診断がある。

私は2004(平成16)年の10月に定年退職した身であり、
この後から年金年金に入り、勤めていた企業の保険グループに加入していたが、
翌年度の2005〈平成17〉年4月から国民健康保険に切り替えて、
今回は6回目の健康診断を本日の午前中に受診した。


今回の検診は、私にとっては昨年の検診の結果が、余りにも惨(みじ)めな状態であったので、
敗者復活戦のような決意で、受診した。


思い馳せれば昨年の夏、猛暑の日々が多く、散策もさぼったりし、
エアコンの冷風の中で、簡易ベットに横たわりながら、本を読んだり昼寝をすることが、
平年より多かったので、
体重が増えて困ったなぁ、と苦笑しながら受診したのであった。

この検査が終って、3週間過ぎた頃に、健康診断の結果表が郵送配達されて、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』
と明記されていたので、私は青ざめた・・。
そして、翌日に自宅から徒歩10分の内科の専門の病院に行った。


私は定年退職した時は、身長は170センチ、体重は70キロ弱であったが、
採血、心電、尿検査、血圧測定、そして胃がん、大腸がんの検診も含めて、
至って健康のマークを頂いていた。

私は退職後、直ちに年金生活に入り、
純米酒の辛口好きの私は、晩酌の時は、現役時代と同様に2合、ときには3合を呑んだり、
或いはビールの時は500mlの缶ビールを数本を呑んできたので、
この結果、毎年少しずつ体重が増えたのである。

そして2008(平成20)年の秋になると、健康診断の結果、
78キロとなり、私としても何とか対策をしなければならないと自覚し、
この後、市の斡旋する『メタボの研修』を翌年の2009(平成21)年2月より、
6か月ばかり受講した。

この時は、うら若き保健師の女医さんの優しい指導で、
ビールでしたら350mlの缶ビールを2本までにして下さいね、
と言われりしたのである。
そして、軽い室内体操を毎日10分ばかりした。

そして『メタボの研修』以降は、
国内旅行、冠婚葬祭、或いは懇親会などに限り、地酒をある程度は呑んだりしたが、
缶ビールの350mlを2本までを殆ど守ってきた。

もう少し呑もうかしら、と思うと、
何故かしら優しい保健師の女医さんの笑顔が蘇(よみがえ)り、
缶ビールの350mlを2本まで夜が圧倒的に多かったのである。


そして一昨年の2009(平成21)年秋に健康診断を受診した時は、
体重は3キロばかり減少て、75キロとなり、
優しい保健師の女医さんのおかげかしら、と私は微笑んだりした。

そして私は悦びながら、家内に伝えたら、
『あなたの健康にも良いし・・家計費のアルコール代も減りますから・・』
と家内は私に微笑みながら、云われたりしたのである。


この後、私は相変わらず缶ビールの350mlを2本までを守り、
幾たびか旅行を重ねた時は、昼はビール、夕食の時は地酒も呑み、
日常生活は散策と買物ぐらいの運動不足、その後の猛暑でエアコンの冷風に頼ったりしたので、
昨年の健康診断の結果、ふたたび78キロに戻ってしまったのである・・。


この結果の上、『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記され、
私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、
そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

私は定年の5年前の頃から、60代は五体満足で生かしてくれ、その後は余生である、
と公言してきたが、家内との共通趣味は国内旅行であり、
糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内は旅行先の美味しい夕食を頂いていた場合、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりしたからである。

医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、
軽い運動を毎日して下さい、と私は云われた・・。


この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
朝夕頂いている。
そして私は晩酌の缶ビールの350mlを2本さえも取りやめて、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、煎茶を飲んだりしている。

昼食は婦女子のようなフルティ・ランチで、リンゴを一個、そして柿一個としていた。

その上、散策は時速3キロぐらいの歩みから、時速6キロぐらいのウォーキングとなり、
汗をかきながら最低30分は歩き廻り、ほぼ毎日していた。


この結果、体重は74キロとなり、4キロばか減少し、
ズボンの腰回りも楽になり、ベルトについている穴も2つばかり減り、
何かしら身体が軽快に成ったと微笑んだりしていた。

しかし、以前ゆっくり歩いた散策の時は、
この時節の晩秋の朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景に、深い心を寄せられることができたが、
ウォーキングとなれば、風景が通り過ぎるように心を寄せる瞬時の思いが、
なくなってしまうのである。

やむなく私は、公園を目指して、ウォーキングに専念した後、
公園内で汗をふきながら、ゆっりと散策して過ぎ行く美麗な錦繍の情景に心を寄せ、
そして帰路は、ウォーキングして、日中のひとときの定例事項としてきた。


この間、私は最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となったのは、今年の3月の初旬であった。

そして私としては何よりも不思議と感じたのは、
冷蔵庫の中にビールがあること、
台所の片隅の収納所に日本酒の一升瓶、四合瓶も忘れてしまっていることである。
かって呑兵衛と自任してきた私は、平素の夕食に煎茶でもまったく違和感が感じることなく、
10ヶ月ばかり過ぎている・・。

                               《つづく》

下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なでしこジャパンの川澄(かわすみ〉選手、サッカーに無知な私でも、瞬時に魅了されて・・。

2011-09-14 22:32:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
平素からサッカーにも関心がなかったが、過ぎし日に初めて『なでしこジャパン』の存在を知ったのは、
何かしら「FIFA女子ワールドカップ ドイツ 2011」がドイツで行われ、
大会3連覇を狙う開催国ドイツに、延長戦の末1-0で勝利した、
とNHKのテレビ・ニュースで知ってからである。

そして準決勝は背の高い選手が揃っているスウェーデンと対戦することになり、
できたら日本は奮戦して勝って欲しいけれど、無理だろうと、と私は思っていた。
しかし、NHKのテレビ・ニュースで、
何か得意のパスサッカーで3-1で快勝して、決勝進出を果たす、と知り、驚いたりした。

その後、決勝は世界ランキング1位のアメリカで、日本はこれまで1度も勝利できなかったことを知り、
これまで『なでしこジャパン』は、良く奮戦してくれた、
とサッカーに無知な私でも、秘かに感謝をした。

そして『なでしこジャパン』は、終始アメリカの猛攻にさらされながらも、
延長戦に持ち込み、先行された延長も残り4分、澤選手の同点弾で2-2となり、
PK戦の末、無敵のアメリカに対し初勝利の偉業を達成した、
とNHKのテレビ・ニュースのダイジェトで私は知った・・。

何かしら日本のサッカーの世界で、男子チームを含めて、
日本代表としては初のFIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げた、
とニュースは伝えていた。

私はサッカーに無知であったが、こうした熱戦の末、『なでしこジャパン』の各選手の奮闘に、
圧倒的な感銘を受けた・・。


このように今回の女子のサッカーの世界大会を感じたりし、
そして一昨年の初秋に民主党の政権発足して、益々政治は混迷を深める中、
今年の3月11日に発生した東日本大震災、そして福島原発・・
息苦しい閉塞感を私は感じながら過ぎしてきたが、
今回の『なでしこジャパン』の偉業に、圧倒的に感動を頂き、
何よりも日本の数多くの人々に、日本の復興への道に希望をもたらした、
と私は感じたりした。

こうした『なでしこジャパン』が奮戦している試合の中で、
不謹慎ながら、ひとりの選手に見惚〈みと〉れた・・。
しぐさ、笑顔、或いは真摯な表情に瞬時に魅了され、
川澄奈穂美(かわすみ・ なほみ〉さん、と初めて選手の氏名を知った。


最近、ロンドン五輪アジア最終予選の試合をテレビのスポーツニュースを視聴し、
たまたま家内と共に見ていたが、
『右側に映〈うつ〉っている選手・・可愛い笑顔で・・真面目な表情の時も・・魅了されるょ・・
この前の世界大会の時から・・ファンになったょ・・』
と私は家内に言ったりした。

『そうですか・・でも、誰からも好かれる若き女性だわ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に応〈こた〉えた。


私は若き時期に、映画青年の真似事をして、女優さんに数多くお逢いしていたし、
その後は、あるレコード会社に音楽を直接に制作する部門ではない管理畑などで、
35年ばかり勤め、ときおり女性歌手にお逢いしたりした。

しかし独断と偏見の多い私は、魅了される方は少なかったが、
たまたま『なでしこジャパン』が奮戦しているテレビ中継で、
偶然に見た試合の中で、川澄奈穂美さんに瞬時に魅了されたのである。

しぐさ、笑顔、或いは真摯な表情も良いし、秘かにファンのひとりとなったが、
先ほど、ネットで『川澄争奪戦!大手芸能事務所から“オファー”殺到』と題されたニュース記事を読んだりすると、
やはり数多くの方から好感される川澄奈穂美さんである、
と私は知り、微苦笑をしたりした。

やはり魅力ある女性は、多くの方を圧倒的に魅了させる力を秘めている、
と高齢者2年生の私でも、微笑んでいる。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者の私でも、何かと読書、テレビの特集番組の視聴、そして月を眺め・・。

2011-09-14 15:13:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
日中のひとときは買い物、散策をしたりして季節のうつろいを享受しているが、
ここ一週間ぐらいは、私の住む地域は昼前後は30数度の暑い日が続いている。

過ぎし8日は『白露〈はくろ〉』を迎え、
秋が本格的に到来し草花に朝露がつくようになる時節と称されているので、
暑さに苦手な私は、何とか今年も暑さをのりきったと実感するのが、
私の平年の習わしのように過ごしてきた。

そして確かに今年も朝夕の秋めいて、風も初秋の匂いとなっているが、
日中のひとときは30数度となり、
どうしてなのょ、と空を見上げたりし、天上の気候の神々に問い続けたりしている。

私は高齢者2年生の身であるので、油断して熱中症かるのは勘弁して欲しいので、
買い物、散策し帰宅後は、こっそりとエアコンの冷気にすがったりしている。


そして居間のテーブルには、ここ10日過ぎに買い求めてきた4冊ばかりの本を積み上げ、
読んだりしている。

優先的に読んでいるのは、総合月刊誌である。
ひとつは45年ばかり愛読している『文藝春秋』の10月特別号』であり、
あとは特集記事に興味がもった時の購入している『中央公論』の10月号である。

そして、ここ7年ばかり愛読している季刊誌の『文藝春秋 SPECIAL』であり、
今回の秋号は『がんを生きる』と特集なので、いつの日にか我が身にも思いながら、
真摯に精読したりしている。

更に敬愛している曽野綾子さんの新著『揺れる大地に立って  ~東日本大震災の個人的記録~』(扶桑社)を
読み始めたりしている。


この間、テレビの特集番組で、『同時テロ9.11』、『東日本大震災から半年』なども視聴したりし、
私としては稀〈まれ〉にテレビを視聴する時間が多くなった。


夜のひとときになれば、玄関の軒下に下り立って、月を眺めたりして、
『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を
見惚〈みと〉れたり、
待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。

このように9月中旬を迎えても、日中のひとときは残暑は厳しく、
引き籠〈こも〉りのような内向性に変貌して、我ながら微苦笑をしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家議員の諸兄諸姉、『ヤジ』を飛ばす悪しき風潮は、お止めになったら・・。

2011-09-13 19:14:23 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、NHKのニュースを視聴していたら、
野田首相は午後の衆参両院本会議で、就任後初の所信表明演説を行った状景が放送されていた。

東日本大震災からの復旧・復興、東京電力福島第一原子力発電所事故の収束への決意を示し、
野党にも協力を呼び掛けた。
そして同時に、経済成長と財政再建の両立を政権の最優先課題に位置づけ、日本再生戦略の年内策定や、
来年の通常国会に社会保障・税一体改革の関連法案を提出する方針を表明した主旨であった。

私はぼんやりと首相は演説を聴いたりしていたが、
野党の国家議員の一部の諸兄諸姉が、『ヤジ』を飛ばしていたので、
真摯な政権与党の所信表明演説の最中なのに、どうして園児のような言動をされるのか、
不思議に感じたりした・・。


私は政治にも疎〈うと〉い身であるが、自民党の政権時代に於いても、
何かの審議のテレビ中継で、野党の国家議員の一部の諸兄諸姉が、
盛んに『ヤジ』を飛ばしていた実態を視聴し、こうした悪しき風潮はいつごろから始まったのか、
困惑したひとりであった。

たとえば予算審議中、選定された代表者が発言していると、
着席している国家議員の一部のお方達が、ヤジを飛ばしたりしている・・。

私は園児のような程度の低いお方達と感じたりして、
昨今の児童の中で言葉を知らない粗暴なふるまいと同じ、感じたりしていた。

与党、野党であれ、少なくとも国民の有権者からの選出され、
国民からの税金で養われている国家議員の言動にしては、余りにも幼稚である。

もとより反論があれば、その後に正々堂々と選定した方に発言されれば良いでないか、
と深く思ったりしている。

今回はたまたまテレビ中継となったらしく、
国民の人達のご家庭内で、児童が見ていたら、どのように感じただろうか。


国家議員の諸兄諸姉、
どのようにご自身のお子様、お孫さんの教育されているのか、
私は不思議な気持ちを私は感じた。

もとより、お子様、お孫さんのしつけは、
学校で学ぶことでなく、家庭から学び育て上げるのは、いうまでもないことである。

ヤジなどの悪しき風潮は一刻もやめて、肝要な政策の専門の深く学ばれたら、
と無力な年金生活の私は、憂いながら思っている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『十六夜(いざよい)』、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了され・・。

2011-09-13 10:49:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
特にこの時節になると、夜のひととき主庭のテラス、玄関の軒下に下り立ち、
ぼんやりと月を眺めることが多い。

『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、昨夜も中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を
見惚〈みと〉れたりしていた。
この後は、待ちわびた『十六夜(いざよい)』かしら、と微笑んだりしている。

私は幼年期の頃から月を眺めたりしてきたが、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。

もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。


私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
十六夜の月は格別である。

古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
つたない私の人生の軌跡と同様に、心持ちをためらいながら歩んできたので、
何かしら共感を深めている。


私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39)年の秋に大学を中退し、
アルバイトなどをしながら映画・文学青年の真似事をして、奮闘したが、やがて敗退し、
やむなくコンピュータの専門学校で一年学んだ後、
遅ればせながら1970(昭和45)年の春に、ある大手民間会社に何とか中途入社ができた。
そして、遅ればせながら社会人のひとりとなった。

この民間会社は映像・音響メーカーであり、この中の一部に音楽事業本部があり、
数多くの大手のレーベルを傘下に収め、
まもなく、この中の大手レーベルが外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられた。

そして、このレコード専門会社の情報畑、管理畑など35年近く奮戦して、
2004〈平成16〉年の秋に、定年退職となった。


私は農家の三男坊として生を受けたが、何かと多くの方よりも人生の歩みが遅い、
と感じることが多かった。
たとえば、小・中学校は劣等生で、高校になってから初めて授業が楽しくなったり、
読書に魅了されて、物狂いのように乱読したりした。
そして、5年早く目覚めれば、私の人生は大幅に変貌した、
と苦笑する時もある。


50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を眺めたりすると、
ためらうように月が昇る情景を観ると、
この人生のはかなさの中で、余情を感じたりし、圧倒的に魅了されている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『中秋の名月』、私の遠い昔の幼年期、ささやかな想いでのひとつは・・。

2011-09-12 16:53:47 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『十五夜』と明記されていたので、
早くも『中秋の名月』を迎えたのか、と微笑んだりした。

もとより、9月7日から10月8日の間に於いて、月が満月になる日を『十五夜』、
或いは『中秋の名月』と称されている。

先ほど、私の幼年期の頃まで、生家でささやかな月見の祝いをしていたことが、
脳裏の片隅みから思いだされて、微苦笑したりした。


私が地元の小学校に入学したのは、1951〈昭和26〉年の春である。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人の手を借りながらも田畑を耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けたが、祖父、父は、
2人男の子が続いたので、跡継ぎの男子は万全と思ったので、今度は女の子を期待していたらしく、
三男の私としては、幼児心に何となくいじけた可愛らしくない児であった、
と幼年期を振り返り時、想いだしたりしている・・。

この時節の満月を迎える中秋の名月の時は、
母屋の主庭に面した縁側で、月が観える位置に飾りを供(そな)えていた。

三方(さんぽう)と称された檜(ヒノキ)の白木で作った方形の折敷(おしき)に三方に穴が開いた台に、
半紙を敷いて、お米の粉で作った団子を15個ばかり供えられていた。

薄(すすき)が活(い)けられ、その脇には収穫された農作物の里芋(さといも)、
サツマイモ、蓮(の根)などが置かれていた。

私は祖父から不憫に感じられたせいか、ときには可愛いがわられて、
祖父の冷酒を呑む横に座って、満月を眺めたりしていた。

今、こうして想いだすのは、農家であったので、
春から育てられた農作物が何とか夏の日照り、台風などの被害を受けることなく、
無事に秋の収穫を迎えることができ、感謝をささげる意味から、
このように形式がとられたと解釈している。

こうしたささやかな『月見』も数年後、父が死去し、祖父にも死別され、
大黒柱を失った生家は衰退の一途となり、このような儀式には余裕がなく、消滅した。


昨今の私は、この時節になると、
ときおり家内と共に月を眺めたりした時、
『月・・綺麗だね・・』と私は誉(ほ)めたりしている。

そして昨夜も、家内から、
『十五夜の前夜ですけれど・・やはり綺麗ね・・』
と私に教えてくれた。

私は玄関内の窓辺から、夜空にぽっかりと月が煌々と光をおびているのを眺めながら、
『お月様・・微笑んでいるようだねぇ・・』
と私は家内に云ったりした。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『和暦の昭和、平成』と『西暦の19XX、20XX』、齢ばかり重ねた私は、ときおり戸惑い感じ・・。

2011-09-12 09:19:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昭和19年に生を受けたためか、日常の年度名称は何かと和暦を使うことが多い。

例えば、亡くなった私の母は大正9年生まれ、
大正15年の生まれの人は、多くの方達が戦争に行かれた苦闘された人達、
昭和一桁の人達は、昭和20年の敗戦を境に教育方針が大変換された戸惑われた人達・・
と何気なし言葉に出たりすることが出来る。


日常生活でも、昭和26年に地元の小学校に入学した、と平然に言ったり、
或いは私が大手企業に何とか中途入社できたのは、昭和45年の春だった、
と公言したりすると、なぜかしら私の心に、時代の空気が響くのである。

こうした中で、昭和天皇が逝去された時、昭和は終わってしまった、
というのが実感でもあり、平成と云われても中々馴染めなかった。


ここ10数年、世の中の風潮として、西暦で表示される風潮が高まったのかしら、
と思ったりしている。

たとえば、『2000問題』に於いては、西暦表示を下二桁のみで行っている場合、
確かに2000年が内部で00年となり、これを1900年とみなしてしまい、
私も現役時代は情報畑で20数年勤務した体験から、年月日順に並び替える処理をすると、順序が狂う、
或いは誤作動につながる可能性があるかしら、と危惧したりした。

その後は、『2007問題』がメディアに頻繁に表示され、
私より少し若い団塊の世代の一斉退職に伴い、発生が予想された問題を総称されたりしていた。

或いは、アメリカの『黄金の60年代』、
音楽の世界では『70年代』、『80年代』などと多用されたりしている。


私はこうした時、昭和だと、平成にすれば、と脳裏の片隅みで数えたりしている。

しかし、退職後の生活を過ごしたりしているが、
銀行、郵便局で年月日を記入する時、
確か2011年、或いは平成23年の記入欄に戸惑ってしまうこともある。

月日は間違いなく記入できるが、今年は何年だったかしら、と思ってしまうことが多い。
少しボケてきたか、と恥らいながらも銀行の行員、郵便局の局員のお方に、
『今年・・平成23年ですよね・・』と訊ねたりして、確認を求めている時もある。

身過ぎ世過ぎの年金生活を過ごしている私は、
1日の朝、昼下がり、夜のひとときを大切にし、
季節の移ろいを享受できれば、私の心は何年でもよい、
と昨今思ったりしているのが本音である。

されど高齢者2年生の私は、ボケてしまうのが怖いので、
机の引き出しにある日記帳の最後部に付いていた『年齢早見表』を、
こっそりと見ることがある。

『和暦』と『西暦』そして『満年齢』が並記されて、
過ぎし100年の毎年が表示されている一覧表である。
そして家内から、『同時テロ9.11』のテレビ番組を視聴していた時、
『2001年って・・平成だと何年かしら』、と訊〈たず〉ねられ、
この秘伝を見たりして、『全国的に・・平成13年ょ・・』と平然と家内に応えたりしている。


下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする