夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『中秋の名月』、私の遠い昔の幼年期、ささやかな想いでのひとつは・・。

2011-09-12 16:53:47 | 幼年・少年時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『十五夜』と明記されていたので、
早くも『中秋の名月』を迎えたのか、と微笑んだりした。

もとより、9月7日から10月8日の間に於いて、月が満月になる日を『十五夜』、
或いは『中秋の名月』と称されている。

先ほど、私の幼年期の頃まで、生家でささやかな月見の祝いをしていたことが、
脳裏の片隅みから思いだされて、微苦笑したりした。


私が地元の小学校に入学したのは、1951〈昭和26〉年の春である。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人の手を借りながらも田畑を耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けたが、祖父、父は、
2人男の子が続いたので、跡継ぎの男子は万全と思ったので、今度は女の子を期待していたらしく、
三男の私としては、幼児心に何となくいじけた可愛らしくない児であった、
と幼年期を振り返り時、想いだしたりしている・・。

この時節の満月を迎える中秋の名月の時は、
母屋の主庭に面した縁側で、月が観える位置に飾りを供(そな)えていた。

三方(さんぽう)と称された檜(ヒノキ)の白木で作った方形の折敷(おしき)に三方に穴が開いた台に、
半紙を敷いて、お米の粉で作った団子を15個ばかり供えられていた。

薄(すすき)が活(い)けられ、その脇には収穫された農作物の里芋(さといも)、
サツマイモ、蓮(の根)などが置かれていた。

私は祖父から不憫に感じられたせいか、ときには可愛いがわられて、
祖父の冷酒を呑む横に座って、満月を眺めたりしていた。

今、こうして想いだすのは、農家であったので、
春から育てられた農作物が何とか夏の日照り、台風などの被害を受けることなく、
無事に秋の収穫を迎えることができ、感謝をささげる意味から、
このように形式がとられたと解釈している。

こうしたささやかな『月見』も数年後、父が死去し、祖父にも死別され、
大黒柱を失った生家は衰退の一途となり、このような儀式には余裕がなく、消滅した。


昨今の私は、この時節になると、
ときおり家内と共に月を眺めたりした時、
『月・・綺麗だね・・』と私は誉(ほ)めたりしている。

そして昨夜も、家内から、
『十五夜の前夜ですけれど・・やはり綺麗ね・・』
と私に教えてくれた。

私は玄関内の窓辺から、夜空にぽっかりと月が煌々と光をおびているのを眺めながら、
『お月様・・微笑んでいるようだねぇ・・』
と私は家内に云ったりした。


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