私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昨夜、深夜まで本を読んだりしていたので、今朝の目覚めは7時半過ぎで、
家内は洗濯で奮闘している中、ぼんやりと朝食を頂いた後、
いつものように読売新聞をゆったりと読んだりした。
この後、過日の3日の土曜日から毎日NHKのBS1に於いて、
アーカイブスとして『BS1が見つめた9.11.テロ」の特集番組を視聴してきたので、
本日は『暴走する聖戦(ジハード) ~9.11テロはこうして起きた~』と題し放送されていたので、
9時半過ぎから、私たち夫婦は視聴した。
この間、我が家の地域は、曇り空から小雨が降ったり、淡い陽射しになったりして、
めまぐるしい天候となり、私は昼過ぎから買い物に行く予定であったので、
番組終了後、大丈夫かしら、と空を見つめたりしていた。
私は、過ぎし8月26日にこのサイトに、
【 ときには、齢ばかり重ねた私は、家内から『ボケチィン・・』と呼ばれ・・。】
と題して投稿している通り、ときおり『ボケチィン』と家内から、呼ばれることがある。
【・・
私は民間会社を2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活している66歳の身である。
私達夫婦は子供も恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
東京郊外の調布市で古惚けた一軒屋に住んでいる。
私は日常の買物を担当し、ときおり庭の手入れを責務として、
家内は料理、掃除、洗濯などを担当して貰っている。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。
まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に云った。
『本当ぉ・・』
と私は云いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。
『本当だぁ・・買わなかったょ・・
次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に云った。
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云うのである。
私は齢ばかり重ね、少しボケてきたと反省をしながら、
一家の主(あるじ)も失墜したと思ったりした。
そして、現役時代の最後の5年間は年収一千万円台だった私の少しのプライドも、
今としては遠い昔の日々になった、と苦笑したりした。
尚、私は家内を呼んだりする時は、
『XXちゃん・・』
と婚約の少し前から呼び、今日まで35年を超えても、相変わらず一環し呼んだりしている。
・・】
このように私は、ときおり家内から『ボケチィンねぇ・・』と言われることがある。
昨今の私は、日常の買い物も7年生になっているので、
程ほどにベテランの状況となり、スーパーの陳列棚を見ながら、
購入品の品定めができている。
たとえば本日の昼過ぎに、買物の引き車と称される『キャリーカート』を曳〈ひ〉いて、
最寄りのスーパーに向い、
店内で、ブドウ、バナナ、トマト、キュウリ、ナス、キャベツなどの見て、
程ほどの価格で新鮮さを見定めて、
この他の家内から要望された数多くの品を選定して、
レジで支払いが終った後、段ボールを頂き、この中に購入品を入れる。
そして『キャリーカート』に段ボールを載せて曳いて帰宅した。
この後、少しばかり遠い徒歩15分ぐらいスーパーにおいて、
インスタント・コーヒーが、『お一人さま、一点限り』、
そしてティシュ・ペーパーが12ロール入った1ケース『お一人さま、2点限り』、
或いはトイレット・ペーパーが5箱入った1ケース『お一人さま、2点限り』の特売品があるので、
私は散歩を兼ねて、『キャリーカート』を曳〈ひ〉いてスーパーに向かったりした。
このように私は、年金生活の初めの頃は、
果物、野菜などは、鮮度が良いが値段は二の次であり、
家内は溜息〈ためいき〉をすることが多かったが、
いくら鈍〈に〉ぶ児の私でも、家内から優しい言葉で叱咤激励を受けた私は、
少しは成長したのかしら、と微苦笑している。
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昨夜、深夜まで本を読んだりしていたので、今朝の目覚めは7時半過ぎで、
家内は洗濯で奮闘している中、ぼんやりと朝食を頂いた後、
いつものように読売新聞をゆったりと読んだりした。
この後、過日の3日の土曜日から毎日NHKのBS1に於いて、
アーカイブスとして『BS1が見つめた9.11.テロ」の特集番組を視聴してきたので、
本日は『暴走する聖戦(ジハード) ~9.11テロはこうして起きた~』と題し放送されていたので、
9時半過ぎから、私たち夫婦は視聴した。
この間、我が家の地域は、曇り空から小雨が降ったり、淡い陽射しになったりして、
めまぐるしい天候となり、私は昼過ぎから買い物に行く予定であったので、
番組終了後、大丈夫かしら、と空を見つめたりしていた。
私は、過ぎし8月26日にこのサイトに、
【 ときには、齢ばかり重ねた私は、家内から『ボケチィン・・』と呼ばれ・・。】
と題して投稿している通り、ときおり『ボケチィン』と家内から、呼ばれることがある。
【・・
私は民間会社を2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活している66歳の身である。
私達夫婦は子供も恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
東京郊外の調布市で古惚けた一軒屋に住んでいる。
私は日常の買物を担当し、ときおり庭の手入れを責務として、
家内は料理、掃除、洗濯などを担当して貰っている。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。
まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に云った。
『本当ぉ・・』
と私は云いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。
『本当だぁ・・買わなかったょ・・
次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に云った。
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云うのである。
私は齢ばかり重ね、少しボケてきたと反省をしながら、
一家の主(あるじ)も失墜したと思ったりした。
そして、現役時代の最後の5年間は年収一千万円台だった私の少しのプライドも、
今としては遠い昔の日々になった、と苦笑したりした。
尚、私は家内を呼んだりする時は、
『XXちゃん・・』
と婚約の少し前から呼び、今日まで35年を超えても、相変わらず一環し呼んだりしている。
・・】
このように私は、ときおり家内から『ボケチィンねぇ・・』と言われることがある。
昨今の私は、日常の買い物も7年生になっているので、
程ほどにベテランの状況となり、スーパーの陳列棚を見ながら、
購入品の品定めができている。
たとえば本日の昼過ぎに、買物の引き車と称される『キャリーカート』を曳〈ひ〉いて、
最寄りのスーパーに向い、
店内で、ブドウ、バナナ、トマト、キュウリ、ナス、キャベツなどの見て、
程ほどの価格で新鮮さを見定めて、
この他の家内から要望された数多くの品を選定して、
レジで支払いが終った後、段ボールを頂き、この中に購入品を入れる。
そして『キャリーカート』に段ボールを載せて曳いて帰宅した。
この後、少しばかり遠い徒歩15分ぐらいスーパーにおいて、
インスタント・コーヒーが、『お一人さま、一点限り』、
そしてティシュ・ペーパーが12ロール入った1ケース『お一人さま、2点限り』、
或いはトイレット・ペーパーが5箱入った1ケース『お一人さま、2点限り』の特売品があるので、
私は散歩を兼ねて、『キャリーカート』を曳〈ひ〉いてスーパーに向かったりした。
このように私は、年金生活の初めの頃は、
果物、野菜などは、鮮度が良いが値段は二の次であり、
家内は溜息〈ためいき〉をすることが多かったが、
いくら鈍〈に〉ぶ児の私でも、家内から優しい言葉で叱咤激励を受けた私は、
少しは成長したのかしら、と微苦笑している。
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