私は年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
夕暮れのひととき、ぼんやりと、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
【新おとな総研】の中の【ニュース】のひとつを見て、思わず微苦笑させられた・・。
無断ながら、転載させて頂く。
《・・
「実篤チョコ」今年も記念館で発売
2月14日のバレンタインデーを前に、
東京都調布市の「武者小路実篤記念館」(若葉町1)は「実篤チョコ」を発売する=写真=。
20日から予約を受け付け、2月1日から同館ミュージアムショップや市役所1階売店などで販売する。
同館では2004年から毎年、味や包装などに趣向を凝らした実篤チョコを販売し、
バレンタイン前後に売り切れる人気という。
今年は実篤直筆の「仲よき事は美しき哉」やカボチャ、だるまなど実篤の書画をあしらった包装紙で、
一口サイズの板チョコをくるんだ。
チョコは縦5センチ、横3・5センチ、厚み7ミリ。
5個入りで、1セット480円。計4000セット製造し、先着1000セットまで予約を受け付ける。
予約・問い合わせは、武者小路実篤記念館(03・3326・0648)へ。
(2011年01月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
http://otona.yomiuri.co.jp/news/news110120_04.htm?from=yolsp
☆【YOMIURI ONLINE】==>【新おとな総研】==>【ニュース】
==>「実篤チョコ」今年も記念館で発売 ☆
私は調布市で農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。
この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林などで緑豊かな地域であった。
私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。
田畑の中に1メートルぐらいの川幅のある小川が流れ、長兄、次兄たちに竹に針を付けたりして、
ときおり鰻(ウナギ)を釣り上げたりしていた。
そして田圃(たんぼ)の一帯の脇に蓮(ハス)専用の田圃があり、
その付近に湧き水があった。
湧き水の周囲は、いつも小奇麗に手入れがされており、ミソハギなどが植えられていた。
私は湧き水を観るのが好きだった。
春の季節であっても、冬の時節に於いても
淡々と湧き出る水を不思議そうに眺め、飽きることがなかった。
私は小学校を下校する時、ときおり遠回りして帰宅した。
校門を出て新宿駅方面のひと駅先は仙川駅であり、この間の周辺を歩いた。
校門から少し歩くと畑道があり、その先は田んぼのあぜ道であった。
そして前方に丘のように少し切立った国分寺崖があり、この高台に仙川地域となっていた。
この間の田んぼのあぜ道の近くに流れる小川を眺めたり、
或いは崖下の小道を歩き、湧き水を見つめたりしていた。
1956(昭和31)年の小学5年生の時、下校の途中で廻り道をしている時、
雑木林の斜面を下り立った処に竹林の周囲には池があり、その端に湧き水があった。
この家の主人と思われる老人が池を眺めていた。
私がときたま通る時、よく見かけていた・・。
『池のある処の・・お爺さん・・いつも難しそうな顔しているなぁ・・』
と私は学友に話したりしていた。
そして、私達のクラスの学友の間で、
親から教えられたとひとりが、
芸術家だょ、知らないの、と少しばかり得意になって、私達は教えられた。
私は後日、この雑木林の斜面を下り立った処にいる老人を見たりして、
『あれが芸術家かょ・・難しい顔しているが・・
竹は生え放題・・孟宗竹のこと・・まるで解っていないなぁ・・』
と子供心に私は心の中で呟(つぶや)いた・・。
後年、都心の高校に通った私は、突然に読書に目覚めて、小説を読みはじめた頃、
下校の途中、自宅からの最寄り駅の仙川駅で下車した後、
商店街の外れの本屋に寄った時、店内の壁面に色紙と写真が掲げられていた。
そして、さりげなく武者小路実篤と明示され、
私はあのお爺さんが、と驚きながら見つめたりした。
私はこの当時は、氏の『友情』、『愛と死』などの作品を新潮文庫本で読んだりしていたが、
あのお爺さんのしぐさ、表情などの面影、そして武者小路実篤氏の写真の微笑みの表情、
重ねること中々できず、しばらく微苦笑したりしていた。
今回、この「実篤チョコ」を初めて知り、市民のひとりとしては不謹慎ながら、
あのお爺さん・・「実篤チョコ」に祭り上げられたのか、と板チョコの百円前後に愛惜のある私は、
苦笑したりしている。
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【新おとな総研】の中の【ニュース】のひとつを見て、思わず微苦笑させられた・・。
無断ながら、転載させて頂く。
《・・
「実篤チョコ」今年も記念館で発売
2月14日のバレンタインデーを前に、
東京都調布市の「武者小路実篤記念館」(若葉町1)は「実篤チョコ」を発売する=写真=。
20日から予約を受け付け、2月1日から同館ミュージアムショップや市役所1階売店などで販売する。
同館では2004年から毎年、味や包装などに趣向を凝らした実篤チョコを販売し、
バレンタイン前後に売り切れる人気という。
今年は実篤直筆の「仲よき事は美しき哉」やカボチャ、だるまなど実篤の書画をあしらった包装紙で、
一口サイズの板チョコをくるんだ。
チョコは縦5センチ、横3・5センチ、厚み7ミリ。
5個入りで、1セット480円。計4000セット製造し、先着1000セットまで予約を受け付ける。
予約・問い合わせは、武者小路実篤記念館(03・3326・0648)へ。
(2011年01月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
http://otona.yomiuri.co.jp/news/news110120_04.htm?from=yolsp
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私は調布市で農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。
この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林などで緑豊かな地域であった。
私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。
田畑の中に1メートルぐらいの川幅のある小川が流れ、長兄、次兄たちに竹に針を付けたりして、
ときおり鰻(ウナギ)を釣り上げたりしていた。
そして田圃(たんぼ)の一帯の脇に蓮(ハス)専用の田圃があり、
その付近に湧き水があった。
湧き水の周囲は、いつも小奇麗に手入れがされており、ミソハギなどが植えられていた。
私は湧き水を観るのが好きだった。
春の季節であっても、冬の時節に於いても
淡々と湧き出る水を不思議そうに眺め、飽きることがなかった。
私は小学校を下校する時、ときおり遠回りして帰宅した。
校門を出て新宿駅方面のひと駅先は仙川駅であり、この間の周辺を歩いた。
校門から少し歩くと畑道があり、その先は田んぼのあぜ道であった。
そして前方に丘のように少し切立った国分寺崖があり、この高台に仙川地域となっていた。
この間の田んぼのあぜ道の近くに流れる小川を眺めたり、
或いは崖下の小道を歩き、湧き水を見つめたりしていた。
1956(昭和31)年の小学5年生の時、下校の途中で廻り道をしている時、
雑木林の斜面を下り立った処に竹林の周囲には池があり、その端に湧き水があった。
この家の主人と思われる老人が池を眺めていた。
私がときたま通る時、よく見かけていた・・。
『池のある処の・・お爺さん・・いつも難しそうな顔しているなぁ・・』
と私は学友に話したりしていた。
そして、私達のクラスの学友の間で、
親から教えられたとひとりが、
芸術家だょ、知らないの、と少しばかり得意になって、私達は教えられた。
私は後日、この雑木林の斜面を下り立った処にいる老人を見たりして、
『あれが芸術家かょ・・難しい顔しているが・・
竹は生え放題・・孟宗竹のこと・・まるで解っていないなぁ・・』
と子供心に私は心の中で呟(つぶや)いた・・。
後年、都心の高校に通った私は、突然に読書に目覚めて、小説を読みはじめた頃、
下校の途中、自宅からの最寄り駅の仙川駅で下車した後、
商店街の外れの本屋に寄った時、店内の壁面に色紙と写真が掲げられていた。
そして、さりげなく武者小路実篤と明示され、
私はあのお爺さんが、と驚きながら見つめたりした。
私はこの当時は、氏の『友情』、『愛と死』などの作品を新潮文庫本で読んだりしていたが、
あのお爺さんのしぐさ、表情などの面影、そして武者小路実篤氏の写真の微笑みの表情、
重ねること中々できず、しばらく微苦笑したりしていた。
今回、この「実篤チョコ」を初めて知り、市民のひとりとしては不謹慎ながら、
あのお爺さん・・「実篤チョコ」に祭り上げられたのか、と板チョコの百円前後に愛惜のある私は、
苦笑したりしている。
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