夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「実篤チョコ」今年も記念館で発売のニュースに、高齢者2年生の私は思わず微苦笑させられ・・。

2011-01-20 22:04:58 | 時事【社会】
私は年金生活の高齢者の66歳の身であるが、
夕暮れのひととき、ぼんやりと、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
【新おとな総研】の中の【ニュース】のひとつを見て、思わず微苦笑させられた・・。

無断ながら、転載させて頂く。

《・・
             「実篤チョコ」今年も記念館で発売

2月14日のバレンタインデーを前に、
東京都調布市の「武者小路実篤記念館」(若葉町1)は「実篤チョコ」を発売する=写真=。

20日から予約を受け付け、2月1日から同館ミュージアムショップや市役所1階売店などで販売する。
同館では2004年から毎年、味や包装などに趣向を凝らした実篤チョコを販売し、
バレンタイン前後に売り切れる人気という。

今年は実篤直筆の「仲よき事は美しき哉」やカボチャ、だるまなど実篤の書画をあしらった包装紙で、
一口サイズの板チョコをくるんだ。
チョコは縦5センチ、横3・5センチ、厚み7ミリ。

5個入りで、1セット480円。計4000セット製造し、先着1000セットまで予約を受け付ける。
予約・問い合わせは、武者小路実篤記念館(03・3326・0648)へ。

(2011年01月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

http://otona.yomiuri.co.jp/news/news110120_04.htm?from=yolsp
☆【YOMIURI ONLINE】==>【新おとな総研】==>【ニュース】
        ==>「実篤チョコ」今年も記念館で発売 ☆


私は調布市で農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。

この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林などで緑豊かな地域であった。

私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。
田畑の中に1メートルぐらいの川幅のある小川が流れ、長兄、次兄たちに竹に針を付けたりして、
ときおり鰻(ウナギ)を釣り上げたりしていた。

そして田圃(たんぼ)の一帯の脇に蓮(ハス)専用の田圃があり、
その付近に湧き水があった。
湧き水の周囲は、いつも小奇麗に手入れがされており、ミソハギなどが植えられていた。

私は湧き水を観るのが好きだった。
春の季節であっても、冬の時節に於いても
淡々と湧き出る水を不思議そうに眺め、飽きることがなかった。


私は小学校を下校する時、ときおり遠回りして帰宅した。
校門を出て新宿駅方面のひと駅先は仙川駅であり、この間の周辺を歩いた。
校門から少し歩くと畑道があり、その先は田んぼのあぜ道であった。
そして前方に丘のように少し切立った国分寺崖があり、この高台に仙川地域となっていた。
この間の田んぼのあぜ道の近くに流れる小川を眺めたり、
或いは崖下の小道を歩き、湧き水を見つめたりしていた。

1956(昭和31)年の小学5年生の時、下校の途中で廻り道をしている時、
雑木林の斜面を下り立った処に竹林の周囲には池があり、その端に湧き水があった。
この家の主人と思われる老人が池を眺めていた。
私がときたま通る時、よく見かけていた・・。

『池のある処の・・お爺さん・・いつも難しそうな顔しているなぁ・・』
と私は学友に話したりしていた。

そして、私達のクラスの学友の間で、
親から教えられたとひとりが、
芸術家だょ、知らないの、と少しばかり得意になって、私達は教えられた。

私は後日、この雑木林の斜面を下り立った処にいる老人を見たりして、
『あれが芸術家かょ・・難しい顔しているが・・
竹は生え放題・・孟宗竹のこと・・まるで解っていないなぁ・・』
と子供心に私は心の中で呟(つぶや)いた・・。


後年、都心の高校に通った私は、突然に読書に目覚めて、小説を読みはじめた頃、
下校の途中、自宅からの最寄り駅の仙川駅で下車した後、
商店街の外れの本屋に寄った時、店内の壁面に色紙と写真が掲げられていた。

そして、さりげなく武者小路実篤と明示され、
私はあのお爺さんが、と驚きながら見つめたりした。

私はこの当時は、氏の『友情』、『愛と死』などの作品を新潮文庫本で読んだりしていたが、
あのお爺さんのしぐさ、表情などの面影、そして武者小路実篤氏の写真の微笑みの表情、
重ねること中々できず、しばらく微苦笑したりしていた。


今回、この「実篤チョコ」を初めて知り、市民のひとりとしては不謹慎ながら、
あのお爺さん・・「実篤チョコ」に祭り上げられたのか、と板チョコの百円前後に愛惜のある私は、
苦笑したりしている。


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散髪屋(理容店)、この人生の教室の一部屋でもあり、私は多々学びながら・・。

2011-01-20 12:13:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日の昼過ぎに、自宅からの最寄の散髪屋(理容店)に行った・・。

私は定年退職をしたのは2004(平成16)年の秋であり、
これ以来は土曜日、日曜日は避けて、平日に月に一度ぐらいで、散髪している。
現役の働いて下さる諸兄の休日の多くの日は除外するのは、
せめての年金生活の身のひとつの役割かしら、と思ったりしてきている。


ご主人から散髪して頂く時、誰しも同じと思われるが、世間話しをすることが多く、
私も近くに流れる野川の四季折々の情景を話すことが多い。

今の時節であると、あの辺に咲いていた白梅(ハクバイ)が綺麗だった、
あの辺の藪椿(ヤブ・ツバキ)の群生は良かった、
或いは日本水仙(ニホン・スイセン)が咲いていて、思わず見惚(みと)れた、
このように他愛のない話しを私はご主人に話しかけたりしている。

隣席のお客さんも政治、社会の出来事をされたり、野球選手の話題をされたり、
ときには私は、まったく未知の世界の話を聴いたり、学んだりすることがある。


私は平日の昼前後に行くので、隣席の方、待合場で待機されている方は、
殆ど第一線を退かれ、第二の人生で過ごされている60、70代の男性である。

こうした男性の方は、もとより第一線の現役時代は少なくとも30年以上、
それぞれの業界で苦楽を共にしながら奮闘されてきた人々なので、
その分野のさりげない話題には深みがあり、思わず私は聴いたりしている。

教育業界、建設業界、旅行業界、写真業界、デパート業界などのこぼ話しの多々あり、
多くの花が一斉に開き、さまざまなものがその本領を発揮すると称せられている『百花斉放(ひゃっかせいほう)』の世界であり、
新聞、テレビのニュースなどに話題されることのない深淵のある内容である。

そして、音楽業界のあるレコード会社の片隅で35年ばかり勤めた私は、
この人生、いまだに未知なことに多すぎる、と思いながら、
散髪屋(理容店)は、この人生の教室の一部屋でもあり、と私は多々学んだりしている。


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『大寒(だいかん)』の時節、東京郊外に住む私は、戸惑いながら微苦笑を重ね・・。

2011-01-20 09:03:56 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
朝のひとときカレンダーを眺めていたら、1月20日は『大寒』と明示されて、
私は微苦笑したりした。

古人より『大寒』の頃になれば、一年で最も寒い時期、と伝えられているが、
東京の郊外は、昨年の12月中旬に私達夫婦は青森の旅を終えて帰宅後から、
確か雨が降った記憶がなく、
冬晴れの日が圧倒的に多く、乾ききった日々となっている。

私は年金生活の高齢者2年生の身であり、日頃は買物、散策をしたりしているが、
マフラーは殆どしていないことに気付いたりした・・。。

私は散策などの場合は、冬の厚手のスポーツ・シャツ、
そしてスリー・シーズンのフィールド・ジャケット、冬用のズボン、
ウォーキング・シューズとなったりしているが、いずれもマフラーはしなかったのである。

私は付近の遊歩道を歩いたりしていると、乾ききった状景を眺めたりしていると、
雨が深夜に降って欲しい。
或いは、初雪が舞い降りてこないかしら、と待ち焦(こ)がれているひとりである。
そして公共交通機関の支障がない5センチ前後がベストよ、
と心の中で身勝手に天上の気候の神々に祈願したりしている。


今朝方、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎはマイナス1度、日中は9度前後の冬晴れの暖かい陽射しとなり、
夜の6時には5度前後が予測されている。
この先の一週間も殆どこのような状況が予測されているのである。
そして、どうして小雨か初雪が降らないの、と冬晴れの澄みきった青空を見つめたりしている。

この後、私はぼんやりと、この時節は、古来より大寒の時節なると、
厳冬、酷寒などと称せられ折、一年で最も寒い日々を迎える、と伝えられていることを
思い馳せたりした・・。

そして、この時節の時候、挨拶としては、

例年になく寒い毎日

いよいよ本格的な冬将軍の到来

ちらちらと白いものが舞う今日この頃

寒気身にしむこの頃

大寒に入ってから寒さがいっそうつのり

などと手紙の前文の時候挨拶に使われるが、
1952(昭和27)年頃の雑誌を読んでいた時、

忍従の冬はいつ果てるとも知れず

いよいよ大寒に入り、寒威逐日相募(あいつの)り

と綴られて折、私は微苦笑させられたりした。

あの頃の時代とは寒さは、昨今の地球温暖化で多少寒さが柔らだいたと思われるが、
何より暖房の設備が大きく変貌しているので、
あの頃の人々は、それぞれのお方が耐えた、と云うのが実感だったのかしら、
と私なりに想いを馳(は)せたりしている。


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