夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

洋画の大人の『恋愛映画』、あえて独断と偏見で3作品を選定すれば・・。

2011-01-08 17:35:47 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
先ほど、ぼんやりと映画のことを思い浮かべたりしていた・・。

私は読書に続いて、映画を居間で観たり、音楽を聴いたりするのが好きである。

私は1964(昭和39)年の東京オリンピックが開催された頃、
大学を中退し、アルバイト・契約社員などをしながら、映画・文学青年の真似事をしたりした時期があった。

映画に関しては、シナリオ・ライターをめざしていたが、
新劇の長老から、映画で生活していくのは、益々大変な世界になる、
と助言を頂き、純文学の小説に転進した。

そして確かな根拠はなく自信ばかりで、純文学の新人コンクールに応募したりしたが、
当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ安定したサラリーマンの身に転向し、
35年ばかり身過ぎ世過ぎのサラリーマンをし、定年退職を迎えた。

このように若き一時期に映画館に通ったりし、数多くの洋画・邦画の作品を観賞した。

そして定年退職を迎えた頃には、洋楽映画に関してだけでも、
少なくとも5000作品前後を鑑賞したかなぁ、と思ったりしていた。

こうした中でも、たとえば恋愛物のジャンルもあるが、
どなたでも人生のひととき、恋心を抱き、
物狂いのように冷静に先が見えなくなる状況を過ごされたと思うので、
こうした人生のある期間を切取った恋愛映画は私は好きである。

そして私は映画の作品からは、人生の教科書のように学んできたので、
大人の恋愛映画はある程度観たりしてきた。

こうした中で私なりに独断と偏見で、あえて3作品を選定すれば、
二十歳の頃は、デビット・リーンの『逢びき』(1948年)、
その後はジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1994年)、
アンソニー・ミンゲラの『イングリュシュ・ペイシェント』(1996年)が代表として瞬時に甦(よみが)る。

もとより、ジェームス・キャメロンの『タイタニック』(1997年)を観て感動した人々は、
あの映画は10代の恋愛であり、女子高校生か、20歳以下の女性が観賞するには最適な作品であり、
大人の本来の恋愛は、上記に掲げた3作品のひとつでも良いから観て頂きたい、
と思ったりしている。


そして、私の歴代の洋画のベストテン作品に関しては、
【 私なりの歴代の洋画のベストテンは・・。】
と題して、2009年11月29日にこのサイトに再掲載をしている。

【・・
映画・テレビ映画専門雑誌の『キネマ旬報』による映画人が選んだオールタイム・ベスト100の
外国映画編に対応し、選定した。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10上旬特別号

①『第三の男』
②『2001年宇宙の旅』
③『ローマの休日』
④『アラビアのロレンス』
⑤『風と共に去りぬ』
⑥『市民ケーン』
⑦『駅馬車』
⑦『禁じられた遊び』
⑦『ゴットファーザー(三部作)』
⑦『道』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
②『ディア・ハンター』
③『イングリュシュ・ペイシェント』
④『ピアノ・レッスン』
⑤『かくも長き不在』
⑥『街の灯』
⑦『ゴットファーザー(三部作)』
⑧『自転車泥棒』
⑨『ジョニーは戦場に行った』
⑩『逢びき』D.リーン

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、
酷な作業でした・・。

【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、【第三の男】、【市民ケーン】、【アラビアのロレンス】、
【許されざる者(’92)】、『カサブランカ』等は最後まで検討した作品です。


《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想を表わす、と改めて思った次第です。
・・】

このように掲載したことがある。


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齢を重ねた年金生活の我が家、私なりの秘かな家内への対応策のひとつは・・。

2011-01-08 12:53:23 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の少し体力の衰えた身である。

私達は子供に恵まれなかったので、家内と2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして、共通の趣味は、国内旅行なので、ときおり日本の各地を旅行したりしている。

私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
遅ればせながら25歳で民間会社に中途入社したので、団塊世代の新卒の方たちと
数年は机を並べることが多かったので、自然と友人となのことが多かった。

ここ数年、彼らも無事に定年退職を迎えた方もいたりし、
懇親会などがあり、ときおり参加するときもある。

こうした時などで、退職後のまもなくして、戸惑った日常生活を過ごされている方がいたりすると、
私はおしゃべりなタイプであるので、余計なお節介と知りながら、
年金生活で自身の自由な時間が欲しかったならば、
ともかく今までの現役時代と大きく変貌させた態度で、奥様に対処する必要がある、
とさりげなく笑いながら云ったりしている。


具体的な内容については、このサイトで、
【 定年後、この世で最も恐い本・・♪ 】
と題して、2007年1月31日に投稿しているので、再掲載をする。

【・・
今朝の読売新聞の新刊本の広告を見て、私は微笑んでいたが、
よく中味を見てると、定年直後の男性人達にとっては、この世で最も恐い本のひとつと思っている。

小川有里・著の『定年オヤジのしつけ方』(講談社 定価1470円)の広告記事である。

《・・
ああ、うっとうしい! 毎日家にいる夫。

家庭内2007年問題を解決する痛快エッセイ!

「定年迷子」を
      かかえた妻たちよ。
           今立ち上がれ!


【定年オヤジの特徴!】

①テレビがお友達

②お昼は作ってくれるものと思っている

③毎日、ごろごろ居間にいる
・・》

このように綴られて折、私は著作者に関しては無知であるが、
定年後の迷子のような心が定まらない男性を正鵠に把握していると思い、
微笑んだり、苦笑したりしている。

私の多少知っている定年後の先輩の中の一部の方がいた。
『定年退職後・・何をしていいか・・分からなんだょ・・』
その方の歓送会の帰路、私に云われた事があったりした。


私は現役の55歳の時、社内はリストラの第二波が行われ、
早期退職優遇制度と称され書類に捺印し退職された人達、
大幅に社内の人事異動で配置転換になった人達、
私のように出向になった人達・・

こうした激動期の時、私達夫婦は人生設計を改めて話し合った・・。
60歳を過ぎてから、どのような生活をしたいのか、これと同時に我家の資金のことも話し合った。

この結果、私は定年退職後、自分の趣味を生きがいとし、退職後は年金生活を過ごしている。

この本に明示されている「定年迷子」のような男性は、
何よりも、ご自分にふさわしい生きがいを見つけることに限る。


そして、何より長年に寝食を共にした愛妻に対して思いやり、
その上に、ともかく一日にひと言は必ず誉(ほ)める。

『今日・・一段と・・綺麗(きれい)だょ・・』

『えぇ! こうしたことも出来るんだ・・凄(すご)いね・・』

『今日の・・この料理・・特に美味しいよ・・』


或いは、家内がデパート、美容院、友達と会いに出かける時は、

『せっかくだから・・ゆっくり・・昼食は(冷凍の)チャーハンでも食べるから・・
たまにだから・・ゆっくりね・・』


そして帰宅した時、デパートで買物した場合、
『この服・・よく似合うょ・・』


美容院から戻った時、
『その髪型・・お似合いだょ・・』

ともかく私は、女性に対しては誉める。
古今東西の歴史に於いても、特に女性は誉められて嫌だわ、と感じる人でも、
表面は照れながらも、心の中は嬉しいのが圧倒的に多いのである。

サラリーマンの諸兄の多くは、長年にわたり、人間関係で揉(も)まれ、鍛(き)たい上げられたので、
簡単なことと私は思っている。

そして一日、一回は外出し、愛妻の自由な時間を作ることである。
現役時代の時は、多くの方達は多忙な会社人間であって、日中の家庭では妻のペースで長年過ごしてきている。
このペースを出来る限り、乱さないのが何よりの秘訣と思っている。

具体的には、愛妻は日常生活として洗濯、掃除、料理など最低限あるので、
その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは天敵と思っている。

私はお調子ものだから、茶坊主に徹し、
朝は家内より早めに起き出して、家内用のコーヒーと牛乳をそれぞれのマグカップに淹れて、
家内の枕元に置いたりしている。

そして、日中は買物の担当を引き受け、その前後、散策などをしている。

こんな他愛ない生活を私は過ごしている。

・・】


このようなことを私は4年前に投稿したりしているが、
昨今でも買物をした後、ときおり、
『貴方・・この品・・いつものメーカーと違うわ・・ボケチンねぇ・・』
と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。

こうした時、私は明るく大きな声で、
『本当・・これから気を付けるょ・・』
と家内に詫びたりしている。


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齢を重ねた私は『天上の神々』よりも、『八百万(やおよろず)の神』に信愛を深めて・・。

2011-01-08 09:16:55 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
今朝、いつものように雨戸を開けたら、庭がしっとりと黒土になり、清々しい冬の情景となっていた。

この後、私は地元の天気情報を見たら、
朝の6時過ぎはマイナス2度、昼下がりは9度前後、夜の6時は6度前後で、
平年より暖かな冬晴れの一日かしらと微笑んだした。

その後、何気なしにカレンダーを見たら、土曜日だったか、と思いながら、
働いて下さる現役の諸兄諸姉には申し訳ないが、私は年金生活を半年ぐらい過ぎると曜日の感覚が薄れて、
たびたび戸惑うことが多いのである。

そして現役の諸兄諸姉は、新春の4日の火曜日に『仕事始め』をされれて、
年末年始の休暇を享受も遠ざけて、4日間奮戦されて、ほっと一息しながら、
これからの3日間の休暇を安息されるのかしら、と民間の中小業に35年ばかり体験した私は感じたりしている。


私の住む地域は、年末年始は平年より冬晴れの暖かい日に恵まれ、
白梅の莟(つぼみ)が大きく膨らみ10数輪となり、濃紅色の藪椿(ヤブ・ツバキ)が3輪ばかり咲き、
家内の母が来宅した年末の28日に歓待するような情景となり、私は驚いたりした。

我が家は、年末年始に独り住まいの家内の母に来宅してもらい、
私達夫婦と生活を共に過ごすのは、ここ7年の恒例となっている。
家内は4日の朝に家内の母が帰宅した後、昨日の7日まで年末年始の後片付けを
孤軍奮闘したりしていた。

そして平常時になった私達夫婦は、《清く貧しく美しく》を信条に今年も過ごす所存であるが、
天上の神々に守られながら、生かされて過ごしているのが確かなことである。

このように私は定年退職後に見いだした言葉のひとつ『天上の神々』という明言を信愛してきたが、
昨今の私はもっと身近で具体的な『八百万(やおよろず)の神』に、
心の中でひれ伏していることが多いのである。

私は幼年期に農家の児として育ち、サラリーマンを35年ばかりして、都会の垢(あか)にまみれて後、
年金生活をして四季折々の情景を眺めて、こよなく愛惜を深めているひとりである。
このような心情なので、抽象的な表現の『天上の神々』よりも、
『八百万(やおよろず)の神』に守られての方が相応しい、と深く思ったりしたのである。



『八百万(やおよろず)の神』については、知識人・飯倉晴武(いいくら・はるたけ)氏が適切な表現をされているので、
氏の言葉の言葉を借りれば、
《・・
日本人はキリスト教やイスラム教のように唯一絶対の神ではなく、
自然万物のあらゆるものに神を見いだしてきました。

俗に八百万(やおよろず)の神というように、
太陽、月、星、風、雷といった神もいれば、土地、田、山、川、石などに、
また、家の台所、かまど、便所などにも神がおり、
さらには馬、犬などの動物、松、竹などの植物にも神が宿るというように、
多くの神々があまねく存在する点に特色があります。
・・
(略)
・・》

このように氏が編著された『日本人のしきたり』(青春出版社)の新書本の中で、
明示されている。

私は遅ればせながら、4年前に買い求めて、ときおり繰り返し読んだり、
思考を重ねてきたひとりである。

このような思いから、齢を重ねてきた今、
『天上の神々』よりも、『八百万(やおよろず)の神』に守られて、確かに日々過ごし、
生かされていると実感を深めたりしている。


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