夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

夏季休暇、私の現役時代の旅行は・・。 ⑭万座温泉『万座亭』

2010-08-05 19:03:07 | 旅のあれこれ
1992(平成4)年の夏季休暇で、『蓼科パークホテル』滞在の旅行を終えた後、
私が勤めている会社で私が人事異動となり、長きに及び情報畑から離れ、
管理畑となり、
その上、兄弟会社が本格的に統合が決まり、事前にシステム対応をしている最中であったので、
多忙な時期を迎えていたので、しばらく旅行の記憶がない。

そして1993(平成5)年の夏季休暇の10日前頃、
温泉とハイキングの旅で、息抜きをしょう、と家内に云ったりして、
万座温泉に滞在して、付近を歩き廻る2泊3日の旅を旅行会社に依頼した。

結果としては、上野駅から万座口駅まで特急で行き、
この後は路線バスで万座温泉前であった。

私達は宿泊する万座温泉『万座亭』に関しては、
旅行のパンフレットに於いて、丸太造りの露天風呂の写真を見ただけで、
今日のようなネットでホームページがなかった時代であった。

そして旅行バックを私は持ち、家内と共に、
あの辺かしら、と少しばかり探したりしていた。


http://www.manzatei.com/
☆ 万座温泉『万座亭』ホームページ ☆

このホームページを見ると、
あの当時の1993(平成5)年の夏より、新館などが新設され、
全般的に一新され増改築をしたと思われる。

この当時の料理は、胃に負担が少なく優しい食べ物が食事のたびに出され、
私達は50代でも60歳以上の方たちでも、良き食材を揃えられている、
と家内は私に云ったりしていた。

露天風呂も重厚な丸太造りで、湯も良し、開放感ある風呂であった。

そして私達は周辺を歩き回ったり、或いは路線バスに乗って、
近場の湖、沼、湿原の小道を散策していた。

近くのプリンス・ホテルの喫茶に入ったり、
この頃に流行っていたZARDの『負けないで』を鼻歌で唄ったりしていた。
そして坂井泉水ちゃんのように透明感ある甘い女性の歌声とは程遠いが、
願う気持ちは一緒だ、と思ったりしていた。


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夏季休暇、私の現役時代の旅行は・・。 ⑬蓼科パークホテル

2010-08-05 16:43:43 | 旅のあれこれ
1991(平成3)年の夏季休暇で、『野沢温泉』滞在の旅行を終えた後、
10月下旬に箱根の関所の近くの観光ホテルに連泊して、
付近の金時山を登る予定で行ったが、出発日は無念ながら雨で、
翌日に金時山を登るハイキングをしたりした。

その後、11月月末に家内の両親を誘い、箱根の小涌谷の宿に1泊だけであったが、
翌日もロープウェイーを頼りに、芦ノ湖周辺を廻りめぐり、
この年の旅は終えた。

そして1992(平成4)年の春、私が腰痛で救急車に乗り、
28泊29日間の入院生活を過ごし、人生観も変貌した。

その後、私達夫婦は家内の父を誘い、会社の保養所のひとつの熱海の伊豆山に、
7月中旬に行ったりした。


そして本題の夏季休暇の旅行であるが、蓼科の外れにある横谷温泉に泊まり、
付近の八ヶ岳のひとつ横岳をピラタス蓼科ロープウェイに力を借りて登り、
その後は下り、双子池を観た後、遠巻きの道を歩き、
ロープウェイの山頂駅に戻るコースを立案していた。

旅行会社より出発日の前日、宿泊先を横谷温泉の宿から、
近くにあるリゾートホテルの『蓼科パークホテル』に変更させて頂きたい、
と連絡があった。

出発日の当日、予定通り新宿から蓼科地域を結ぶ観光定期バスに乗り込んだ。
中央自動車道の小淵沢のインターを下り、
一般道の別荘地、ペンションなどで知られいてる原村などを通り、
蓼科温泉前に着いたのは5時間ばかり要し、午後の過ぎであった。


少し古惚けたリゾートホテルで、ホテルの敷地、その周辺も工事の真っ盛りであり、
外れに豪壮なクア・ハウスがあった。

そして通された私達の部屋は、スイート・ルームと聞いていたが、
スタンドは汚れ、全般的に古惚けた部屋であった。
確かに広いふた間でスイート・ルームには、間違いがないが、
私達は落胆したのであった。
その上、冷房もない部屋で、私は家内に、
夏の旅行・・少しケチッたせいか、3年連続冷房のない部屋だょ、
と暑さの苦手な私はこぼしたりした・・。

レストランの料理は創意工夫されて好感したが、
ホテル内の大浴場は悪く、家内に伝えた後、クア・ハウスにある風呂に行こう、
と提案した。
結果として、クア・ハウスにある風呂は、ぬるめであったが、
家内の方は、ベストょ、と微笑んでいた。


翌日、ホテルを出て蓼科湖までの小道を30分ばかり歩き、
ピラタス蓼科ロープウェイの山麓駅行きのバスを待った。

まもなくバスは来たが、乗客の足はまちまちであった。
本格的な登山靴の方も入れば、私のように軽登山靴、中にはスニーカーの方もいた。

そして山麓駅に下り立つと標高1770メートル前後、
ロープウェイの山頂駅は標高2240メートル前後で、470メートルぐらいを昇るので、
私達としては大いに助かるのである。

http://www.pilatus.jp/
☆ ピラタス蓼科ロープウェイ ホームページ ☆


この後、山頂駅に下り立つと、冷気を感じながら、小公園のような坪庭を廻り、
横岳をめざして登山道を歩いた。

私は大学を中退するまでワンターフォーゲルに所属していたが、
あの当時は毎日坂道を走り上り下りの訓練をしていた時代より、
昨今は高尾山のような低山のハイキング程度であり、
その上に春に腰痛がひどく入院した身なので、私達は慎重に登った。

そして一時間ぐらいだったと思ったりしているが、
山頂に立てたのである。
そして標識の2480メートルを私達は眺め、
今まで僕達が歩いた中、一番高い山、
と私は高揚しながら家内に云ったりしていた。


この後は下り、双子池を通った後、大きく迂回して、縞枯山荘を目指していたが、
迂回道が長いのである。
途中、山岳用のジープが落石した岩で大きく破損したりしていた。

そして最悪の場合は、縞枯山荘を通りロープウェイの山頂駅の最終に、
間に合わないかしら、と心の片隅で思ったりし、
中高年の登山コースに初級者向けを頼りに歩いてきたが、
軽率だったかしら、と私は反省したりした。

家内の方はハイキング程度を私に付き合ったぐらいの全くの初心者で、
困ったなぁ、と思いながら歩いた。


そして前方から先生に引率された中学生10名前後が見え、
私は先生に道のりを教えて頂いた。

この後は一時間ばかり歩くと、めざした縞枯山荘が見えて、
山頂駅の最終の時間を確認し、
この山荘で煙草を喫いながら、コーヒーを飲んだのが、
わが生涯一番美味しく感じ、安堵した。

そしてホテルに戻る時、私は山岳から遠のき体力も衰えた身なので、
たとえ初級者の中高年の山岳コースであっても・・、
と反省をしたのであった。


翌日は付近の横谷渓谷を散策して、私達が止まる予定の旅館も見たりし、
私達が泊まっている古びたといえども、
朝夕冷気が部屋に通り、エアコンなしでも大丈夫、と私が云ったりしたのを思い出し、
良かったかしらと私達は微笑んだりした。

尚、先ほど初めて『蓼科パークホテル』のホームページを見たが、
全てが一新されて、驚いたのである。
私達が泊まった時は、ホテルの敷地、その周辺も工事の真っ盛りであったことを思い出したり、
建物も大きく変貌したと感じたのである。

http://www.tateshina-parkhotel.com/
☆『蓼科パークホテル』のホームページ ☆


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夏季休暇、私の現役時代の旅行は・・。 ⑫野沢温泉。

2010-08-05 13:32:18 | 旅のあれこれ
1990(平成2)年の夏季休暇で、『中山平ラドン温泉』滞在の旅行を終えた後、
9月初旬に私の妹を誘い、私達3人で高尾山を日帰りハイキングをし、
京王高尾山口から近い鶏専門店の食事処で懇親したりした。

その後も私の妹の誕生日祝いを兼ねて、私達3人で高尾山を日帰りハイキングをし、
京王高尾山口の付近のお蕎麦屋で早めの夕食とした。

11月初旬、はとバス主催の『二本松菊祭りと五色沼散策』と称された1泊2日で、
団体観光周遊バスツアーに参加し、
磐梯熱海観光ホテルに宿泊した。

この後は、私達夫婦で11月中旬に高尾山を日帰りハイキングをし、
晩秋に向う情景を享受して、
この年を終えた。


1991(平成3)年の新年の6日に於いては、
私達は冬枯れの高尾山を日帰りハイキングを相変わらず歩き廻ったりしている。

そして2月になると、『寺泊温泉と北前料理』と命名された1泊2日で、
近畿ツーリスト主催の団体観光周遊バスツアーに参加し、
寺泊の温泉宿に宿泊。

5月の大型連休は、『春爛漫弘前の桜 下北半島の周遊』で、
近畿ツーリスト主催の団体観光周遊ツアーを利用した。

上野駅より夜行寝台車で野辺地駅で下車し、バスで北上した後、
むつ市の観光ホテルの別棟の食事処で朝食を頂き、
恐山、そして小船に乗り、仏ケ浦で上陸したりし、薬研温泉に宿泊。

翌日は青森の街中の食事処で昼食を頂き、弘前城の桜を観た後、
十和田湖の湖畔の観光ホテルに宿泊した。

最終日は湖上の遊覧船を楽しんだ後、奥入瀬渓流を観たが、渋滞であり、
前後の観光バスの乗客は下車し歩いていたのに、私達のバスの乗客は下車できず、
私達の乗客とドライバーとガイドに気まずい空気が漂(ただよ)った。

そして、八幡平で雪が降る情景に私達は歓声を上げて、
車内はわだかまりが消え、盛岡駅より新幹線で帰京した。


この後、6月初旬に小田急トラベルが、富山鉄道と共同企画として、
『雪渓の立山と新緑の黒部渓谷』と題した広告を見て、
私達は思案したのであった。

一度は立山のリゾートホテルに泊まってみたい、
トロッコ列車で新緑の黒部渓谷を観てみたい、
このような思いで、団体観光周遊バスツアーであるが、参加した。

新宿より中央自動車道、長野自動車道の高速道路の豊科で下り、
大町の先からトロリーバス、ロープウェーを乗り継ぎ、室堂で宿泊。
その後はケーブルカーなどで下り、観光バスで宇奈月、そしてトロッコ列車で鐘釣まで往復し、
宇奈月温泉に宿泊。

翌日は日本海沿いの北陸自動車道、そして関越自動車道で帰京する。
この旅のことは、このサイトにも投稿してきたので、省略する。


さて本題の夏季休暇であるが、この1991(平成3)年も、
温泉地に滞在して、付近を歩き回る『野沢温泉』に2泊3日とした。
観光バスで直行直帰で、宿泊宿は5つの中が選定しなさい、というプランであった。

関越自動車道を北上した後、一般道の千曲川沿いの道を遡れば、
野沢温泉に到着する。
もとよりスキー場として名高い街であるが、昨今は他のスキー場が賑(にぎわ)い、
対策として街中に幾つかの小さな温泉施設があり湯めぐりなどもでき、
クアハウスも設置される、と聞いたりした。

私達が宿泊した旅館名は忘れてしまったが、
昔は栄えていたが、昨今は衰退し、空室が多く、
私達が滞在していた時、夕食の食事処は、私達を含めて4名であった。

そして、冷房のクーラーなどはなく、
暑さに苦手な私は、宿泊所の選定を間違えた、と思ったりした。

燦燦と夏の陽射しが照らす中、湯めぐりされる方も見かけ、
夕暮れに一箇所だけ入浴したが、この後、汗がひかず困ったりした。

翌日、街中を抜けて、ロープウェーイを乗り継ぐ、
1500メートルの高地で、スキー場の滑走地を眺めながら下界を観ると、
街中が小さく見えたりした。

その後、私達は毛無山の頂上付近で、休息していた時、
山霧と共に微風が吹けば、私は涼しい冷気、家内は寒いくらい、
と互いに言葉を重ねたりしていた。

この後、ロープウェーイで中腹に下り立ち、人気の少ない整備された歩道を下ると、
雑木林となり、この中をしばらく歩くと、突然に視界が開らけて前方に湖があった。
周辺はバンガローが10数棟あり、キャンプ場も兼ねた休息地かしら、
と感じたりした。

そして、下界の街中は、夏の陽射しが燦燦と照りつける中、
私達は宿泊先の旅館に戻った。

最終日、私達はロープウェーイで中腹にある食事処で、
風に吹かれながら、ビールを呑み、バーベキューを頂き、
ときおり下界の街並みを見たりしていた。


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夏季休暇、私の現役時代の旅行は・・。 ⑪中山平ラドン温泉。

2010-08-05 10:02:06 | 旅のあれこれ
1989(平成元)年の夏季休暇で、『山陰、瀬戸大橋、そして栗林公園』の旅行を終えた後、
読売旅行の主催される『道東めぐり』の団体観光ツアーの11月3日からの2泊3日で、
この年の旅は終えた。

1990(平成2)年の3月初旬には、
高尾山~相模湖までの日帰りハイキングを楽しんだり、
5月の初旬には西沢渓谷の日帰りハイキングに行ったりした。

そして6月2日から1泊2日で東武旅行が企画した『会津高原と尾瀬沼 楽々ハイキング』の団体観光で、
東武のリソートホテルに宿泊し、尾瀬沼を5時間ばかり歩いた。


このように何かとハイキングが数年前から多く、ときには団体観光ツアーも行ったりしていた。
そして私自身、勤め先の会社のヨーロッパ遊学旅行の選に漏れて、
失意と屈辱の中で、この年の夏季休暇を迎えた。

確か読売旅行が主催された『中山平・ラドン温泉ゆったり3日間』と称された団体観光バスツアーで、
鳴子温泉に隣接する中山平温泉で3泊4日の滞在旅行であった。
私は失意と屈辱のわだかまりがあったので、
温泉と付近をハイキングすればよい、と家内に語りかけて、申し込んだのである。

8月4日の暑い中、新宿の都庁の地下駐車場に集合し、
観光バスに乗り、東北自動車道の高速道路を北上し、休憩を2回ばかり取りながら、
古川インター・チェンジまで、
渋滞もなく予想以上に順調で私達は微笑んだ。

その後、一般道を走り鳴子温泉の近くから渋滞となり、
あとで判明したのであるが付近の鬼首温泉の広場でロック・コンサート開催、
と聞いて私は苦笑した。
この後、な鳴子峡をまたがる勇壮な大橋を眺め、
宿泊地の『中山平ラドン温泉』に到着した。

この『中山平ラドン温泉』は、あとで判明したのであるが、旅館部と湯治部があり、
私達は旅館部の部屋に案内される時、
館内が暑いので、私は、
『この旅館は、冷房がないのですか』
と若い番頭さんに訊(たず)ねた。

『旦那さん・・この辺は30度を越えるのは夏でも5回ぐらいで・・
冷房はありません・・』
と私は云われ、暑さの苦手な私は、困ったなぁ、と思ったりした。


その後、部屋に通されると6畳に押入れがあるのみで、
部屋の隅に扇風機、そして外景はラドン温泉の屋根が前方に大きく建ちふさぎ、
少しばかり熱気が伝わり、
これからの3日間どうしょうかしら、いくら廉(やす)い旅費でも、
と私は家内と苦笑を重ねて、云ったりした。

この後、私は風呂に行って、帰りにフロントの前を通り過ぎた時、
割増料金で広いお部屋を・・、
と書かれた小さな紙を見て、部屋に戻り、
家内と話し合い、フロントと交渉した後、私達は部屋の引越しを始めたのである。

引っ越した部屋は、川べりの8畳と4畳半のふた間であり、
片隅には扇風機があった。
しかし、部屋が広いと熱さもやわらぎ、朝夕は川風が吹き、涼しげな部屋となり、
私達は微笑んだりし、やれやれねぇ、と云ったりした。

翌日は、JRkの中山平駅まで10分ぐらい歩き、
この駅からひと駅の鳴子駅まで乗車した後、
駅前より『鳴子・鬼首 半日コース』の定期観光周遊バスを利用した。

そして、松尾芭蕉が宿泊されたとする付近の『尿前の関跡』、鬼首の間欠泉を観たりした。

余日は、付近を歩こうと、軽めのザックを私は背負い、
家内と共に川べりの遊歩道、
少し離れたコバルトブルーに染められた潟沼の湖畔を歩いたり、
鳴子温泉の街中を歩いたりしたので、汗まみれとなった。

日本こけし館の食事処で昼食を食べようと、入った所、
周囲の観光客から、私の汗まみれに、少しばかり驚いていた。


このような思いでが浮かぶのであるが、
先ほど、この宿泊地のホームページを検索し、懐かしく見ていたが、
新館も建ち、全面的に増改築され、一新され小奇麗な観光ホテルに変貌した、
と20年前と重ねながら、確かな時の流れを実感させられた。

http://www.narukoradon.com/index.html
☆ 中山平らどん温泉 ホームページ ☆


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夏季休暇、私の現役時代の旅行は・・。 ⑩山陰、瀬戸大橋、そして栗林公園。

2010-08-05 05:57:34 | 旅のあれこれ
1989(平成元)年の夏季休暇を迎える一ヶ月前の頃、
阪急交通社が新聞の広告の団体観光バスツアーのひとつに、
確か《羽田空港~福岡空港~関門トンネル~秋吉台~秋芳洞~萩(泊)
~津和野~出雲大社~松江~玉造温泉(泊)
~蒜山高原~岡山・市内(泊)~
瀬戸大橋~栗林公園~金刀比羅宮~徳島空港~羽田空港》このようなコースが明示され、
私達は思わず、観光バスで福岡空港~徳島空港まで、よく観光周遊されるけど、
3泊4日では強行軍だよねぇ、と笑いあったりしていた。

私は山陰地方は天の橋立から江津までで、これ以外は未知の世界で、
家内は全くの未知であり、
その上、一度は瀬戸大橋を・・
と思ったりしていたので、初めて利用する阪急交通社に申し込んだのである。


私は20数年前の旅行を思い浮かべているが、
秋吉台、秋芳洞に興味はなかったが、萩の焼き物には家内が茶事をしていた影響で、
その上、日本酒の純米酒を愛飲していた私は、ぐい呑むを長らく見つめたりしていた。

そして住宅ローンを返済していた私としては、魅了されたぐい呑みにするか、
或いは妥協してワンランク落とした品を購入すべきか、思案はていたのである。
結果としては、家内がお気に入りになったら、後悔しないで済みます、
とアドバイスに基づき、私の収入からして高価なぐい呑みを購入した。

この翌日、私は風邪気味となり、バスの中で少し咳込み、元気がなくなったが、
出雲大社で参拝する時、大きく手を上下させて、祈願したら、
翌日から回復した。

あとは、宿泊した観光ホテルで、
萩の宿はくじ引きで悪い方になり、大浴場に近い部屋で、外景が悪く落胆していたが、
玉造温泉の時は、広い部屋となった上、たまたま宍道湖で花火が盛大打ち上げら、
私達は畳に寝転んで、遠い花火であったが観えたのである。

そして金刀比羅宮の長い階段を真夏の陽射しを受けながら上がった時、
私は麻のブレザーを脱いで、長ズボンも汗ばみ、汗を拭きながら、
家内と苦笑したりした。
私は何気なしに前方を見上げると、前方のガイドさんの見習いの若き女性が、
白いブラウスは汗ばみ、薄っすらとブラジャーが見えて、少しばかり悩ましかった。

この後、集合場所に近いところで、
私達のグループの男性たちと、お互いの健闘をたたえて、ビールを呑んだりした。

この後、徳島空港で待合場で、このメンバーと共に、
ささやかなお別れ解散式と称して、ビールを呑んだりした。

こうしたことは、私の心に鮮明に残っている。


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