先程、ヤフー・ジャパンより配信された記事を見ている中で、
『 老後の不幸と幸福を決定的に分かつルールがあった!・・・
定年した多くの人が見落としがちな「意外な法則」 と題された見出しを見たりした。
「日本のシニア世代の多くは、70代半ばから、緩やかに“健康自立度”が低下していきます。
この低下のタイミングを遅らせることが重要です」
と言うのは、ニッセイ基礎研究所上席研究員の前田展弘さん。
ジェロントロジー(Gerontology)の研究を約20年間続け、
東京大学高齢社会総合研究機構のメンバーとしても活動されています。
ジェロントロジーは、ギリシャ語で「高齢者」を意味する“Geront”に
「学」を表す“ology”が付いた造語で、
日本では「老年学」、「加齢学」、「高齢社会総合研究学」などと訳されています。
加齢にともなう心身の変化を研究し、
高齢社会における個人と社会のさまざまな課題の解決を目指す、比較的新しい学問です。
日本の高齢者約6000人(同一対象者)を20年間にわたり追跡調査し、
健康状態(特に生活の自立度=健康自立度)の高さを
3点(完全に自立した状態)~0点(死亡)に数値化したうえで、
歳をとると健康状態が、どのように変化するかを分析した研究もあります。
その結果を見ると、男性の約2割、女性の約1割は、
60歳を過ぎて、ガクンと健康状態が低下しています。
多くの場合、生活習慣病に起因しているということです。
70代半ば頃から、緩やかに健康自立度が低下していく人の割合は、
男性が約7割、女性は約9割で、多数派を占めています。
男女とも、健康自立度が落ちるタイミングをできるだけ、後ろにずらすことが肝心ですね。
また、男性には80歳以上になっても、元気溌剌の「スーパーシニア」が約1割いますが、
女性の場合は少ない。
これは女性は、男性に比べて骨筋力が弱く、運動機能(足腰の機能)が下がってしまうからだそうで、
「女性は50歳を過ぎたら足腰を鍛えて、
移動能力をできるだけ低下させないことが非常に重要」(前田さん)とのことです。
健康長寿の延伸には、適正な睡眠・食事・運動などの基本的な生活習慣のほかに、
外出頻度、他者との交流頻度や会話の量、生きがいや自立意欲の強さ、
精神的自立(依存や不安のない状態)、円滑な人間関係、趣味の多さ、自信の強さ、
社会参加の頻度などが影響するという研究結果が、国内外には多数存在します。
☆もうジタバタしない…!
特に、高齢期における社会性の維持は、
フレイル(低栄養や筋力の衰えによる顕著な虚弱状態)や認知症の予防にとって、
きわめて重要だとされています。
また、「令和五年版高齢社会白書」(内閣府)によれば、
健康状態が「良い」と回答した人ほど、生きがいを感じる程度が高くなっており、
健康状態と生きがいには、非常に強い相関関係があることがうかがえます。
とはいえ、70代、80代の方たちは、
「今日は腰の調子はいいが、膝に違和感がある」、
「予想もしなかったところが痛くなった」
といったことが多くなっていると思います。
どんな人でも、老いは避けられないのですから、
加齢にともなうこうした身体の変調は、受け入れるしかありません。
私自身もそうでした。
「老いを受け入れる」とは、「今の自分を肯定する」ということです。
けっしてネガティブにとらえる必要はありません。
「これまでの長い人生、自分は本当によく頑張ってきたな。
この歳になれば、身体のどこかに不調があっても当然だ。
これ以上悪くしないために、どうすればいいだろう」
と考えるほうが、老いに抵抗してジタバタするより、
よほど前向きな気持ちになれるのではないでしょうか。
要するに、「健康状態が維持できれば十分。
今日の調子は、まあまあかなと思えればベスト」ということ。
まさに、今の私そのものです。
丹羽宇一郎・・》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
今回、元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さんの発露されたお言葉、
つたない人生航路を歩んできた私でも、学びながら、微苦笑を重ねたりした・・。
家内から依頼された品を求めて、 独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、
買物メール老ボーイとなっている。
この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを散策して、
季節の移ろいを享受している。
このような午前中の過ごし方を、過ぎし4年前の春に新コロナウィルスの烈風のまでは、
定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、過ごしてきた。
そして散策する時には、殆どデジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩き、
歩いている中で瞬時に魅了された情景を、無念ながら忘れることがあるので、
記憶のかたみの代わりに、撮ったりすることが多くなっている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。
まもなく、知人のひとりの50代の奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは通夜の時に哀悼をしながらも、動顛してしまった・・。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、
この世を去ったり、 ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。
私たち夫婦は、過ぎし年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
やがて2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
こうした中、退院の一日前、40代の男性の担当医師より、
貴方もタバコやめることはできませんか・・』、
と私に言ったりした。
私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
『これを機会に、タバコやめます』
と私は担当医師に向かって言ったりした。
そして自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。
こうした根底には、何かを断念しなければ、この先はないと思い、
断腸の思いで禁煙したのは本音であった。
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。
この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。
やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。
震撼しながら揺れ動いたりした・・。
そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。
やがて手術後、5年が過ぎた今年の5月、
定例の精密検査をし、幸運にも転移がなく、私たち夫婦は安堵をしたりした・・。
しかしながら、こうした病状は、やはりどのような変貌するか、判らない・・。
このように、この当時、私は入院生活を2回も体験し、
そして家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑をしたりした・・。
こうした中、家内の母のお世話は、近くにいる家内の妹に依頼して、
やがて家内の母は『要介護・3』となり、やむなく介護施設に入所し、
月に5日間だけ、家内の母は自宅に帰還し、家内の妹がお世話しているのが、
実態なっている。
このような体験を私たち夫婦をしながら、
一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして人だれしも長所、短所はあるが、
私は短所の方が多いので、家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、
ボタンの掛け違いのように差異が発生し、険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、
私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりする時もある。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、
と私は微苦笑したりしている。
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、
婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
やがて2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ・・』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』と家内は微苦笑しながら、
私に言ったりしている。
これからの晩秋期の日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、
やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、
最悪の場合は死別して、おひとりさまとなったりする。
こうしたことは自助努力も必要であるが、
こればかりは神様か仏様か采配する世界と思ったりしている。
このように思案している私は、
こうして過ごしている昨今こそが、いつまで続くか解らないが、
私たち夫婦にとっては最良の日々、と私は感じ深めている。