夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ある御高齢の御夫婦『できる限り、自分たちは自分らしく生きていたい』、私は学び、感銘させられ涙を浮かべて・・。

2020-09-10 13:01:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住むまもなく76歳になる年金生活の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭である。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


私たち夫婦にとって難題は、やはり晩秋期の不安は、いつの日にか、介護・要となり、
介護施設にお世話になる時と思われる。


或いは、いつの日にか、どちらかがあの世に旅立ち、
残された方が『おひとりさま』になり、生活の状況、生活費、生きがいなどを含めて、
ときおり私は思案したり、幾たびも家内と話し合ったりしてきた。



たまたま一昨日の夜、『婦人公論』の公式サイトの【 婦人公論.jp 】を見たりしていた中で、
「長生きなんてしたくなかった・・」貧困、ひきこもりの子ども・・長寿者が直面する現実は 
と見出しを見たりした。


そして副題として『「人さまに迷惑をかけたくない」という呪縛 』、
と明記されていた。

私はそれぞれ御歳を重ねた御方の晩年期を学びたく、
記事を読んだりし、多々教示されたりした。


そしてこの中で、最終章のある御高齢の御夫婦の人生信条に、
圧倒的に感銘を受けて、やがて涙を浮かべたりした・・。




この記事の原文は、フリーランスライターの樋田敦子さんの寄稿文であり、
 『婦人公論』2016年12月13日号 に掲載された記事のひとつで、
公式サイトに2020年9年4日に配信され、
この記事の最終章に記載された部分を無断ながら転載させて頂く。

《・・自分らしく生きていたい


日本のような高齢社会では、高齢者が高齢者をみる「老老介護」が
否応なしに迫ってくる。
中には不幸にも深刻な事件になることもある。

2016年5月、東京・町田市の都営団地で事件は起こった。

92歳の夫の首を絞めて殺した後、
87歳の妻がベランダで首を吊って自殺したのである。

遺書には「じいじ、ごめんなさい」と書かれていた。

数年前から夫には、認知症の症状が表れ、
今年に入って目も不自由になったうえ、車いすなしでは生活できない状態に。

介護に疲れ果てた妻は、夫を介護施設に入れようとしたが、
当初はひどく嫌がった。

それでも説得して、入所を決めた直後の無理心中だった。

夫婦が暮らしていた団地で聞くと、
隣人は一様に「なぜ?」と首をかしげる。

長男長女は、二人をちょくちょく見舞い、気にかけていたという。
妻の献身的な介護ぶりは、近所でも評判だった。

彼らのように仲の良い老夫婦の不安や悩みを、
周囲はどう察知して、解決していくべきなのだろうか。



千葉県在住の東實さん(94歳)と月恵さん(90歳)夫婦は、
互いを補完し合うように、毎日を送っている。

實さんは、加齢による黄斑変性症で、左目がほとんど見えない。
かたや月恵さんは、耳が遠い。
右耳は、補聴器を使用しても聞き取れず、左耳で聞くが、
自分の声も聞こえないという。

「病院へは、いつも一緒に行きます。
『補聴器を連れてきましたよ』と言うと、先生方が笑うんです。

私は、体がふらついて何度も転んだことがありますが、
夫はいまだに自転車に乗って遠出します。

心配になって、携帯電話でどこにいるかを確認するくらい元気です」(月恵さん)



二人は、実によく動く。
實さんは、庭で野菜や花を栽培し、月恵さんは、炊事に洗濯。

この日の朝食は、ご飯に納豆、具だくさんの味噌汁ほか、
つくだ煮やらっきょうなど手作りの常備菜も含め食卓に8品が並んだ。

朝はしっかり食べ、昼夜は軽めが東家流。
夜、實さんは定量の焼酎1合半を飲むが、
月恵さんから「あら、飲みすぎじゃない?」と指摘されることも。

時には、ガスをつけっ放しにして鍋を焦がしたり、
水道を閉め忘れたりすることもあるが、互いに注意しながら暮らす。

「年寄りになると、散歩といっても、そう長くは歩けないので、
家にいて動くことを心がけています。

食器洗いは、私がやるから、お母さんは洗濯ね、という具合。
できることは、自分たちでします」(實さん)


 
結婚68年。
67歳になる息子は、二人を心配して、月に1回は実家に戻ってくる。
息子は「いつでも頼っていいんだよ」と言ってくれるが、
二人は息子に迷惑をかけることのないよう、
今後も公的な介護サービスで乗り切るつもりだ。

戦中、中国に出征していた経験がある實さんは、
凜として、「今後に何も不安はない」と話す。

夫婦互いに「怒らない、責めない、怠けない」をモットーに淡々と暮らしている。

一方の月恵さんには不安も──。
「今はいいですが、この先一人でトイレに行けなくなったらどうしよう、
オムツになったらどうしようと心配です。

それを話すと、ヘルパーさんが
『大丈夫、娘だと思って。私がケアをします』
と言ってくださいます。
それでも申し訳なくて──」

ケアマネジャーを含めて、
どちらかが施設に入所しなければならなくなったときにどうするか、と話し合うこともある。

それでも「できる限り、自分たちは自分らしく生きていたい」
と夫婦は言う。

生きていれば、つらいことも多い。
「歳を取ればいろいろあります。でもそれが人生です」

先達の言葉は重い。‥》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


今回の最終章に記載されているある御高齢の御夫婦、
『できる限り、自分たちは自分らしく生きていたい』、
こうした思いで、お互いに思いやり、感謝のしぐさ・・と私は感銘させられたりした。

特に微笑ましく感じ深めたのは、
耳が不自由な奥さんのかたや月恵さん(90歳)が通院する時、
ご主人の實さん(94歳)が付き添いで病院に共に行った直後、
月恵さんは、『補聴器を連れてきましたよ』と言うと、先生方が笑うんです。

こうしたユーモアのセンス・・私は感動を超えて、感銘を受けたりした。

この御夫婦の日常生活のしぐさ、会話を私は学び、
こうした人生信条に感銘を受け、やがて涙を浮かべていた・・。

そして私たち夫婦の、いつの日にかの御手本に・・と思い深めたりしている。
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