夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、ブロクの投稿文、そして著名人の随筆は・・。

2010-02-22 12:01:15 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとブログの投稿文を何を綴ろうか、と苦悶したりした。

長崎知事選に於いて、政治とカネの問題で、民主党が支援した立候補者の敗退のことか、
或いは新聞に掲載されている週刊誌の広告に於いて、見出し記事に微苦笑させられたことか、
または過ぎ去るこの一週間の私自身の心情の発露か、
たまたま平成22年2月22日なので、この不思議な数並びをユーモワをまじえながら年金生活の苦楽のこと、
このようなことを思い浮かべ思案したりしていた。

私はせっかく投稿した文は、なるべく多くの方に最後まで読んで頂きたく、
それなりの構成を配慮して投稿文を綴るので、ひとつテーマさえ決まらなくこともある。

そして、少しばかり悩みながら、秘かに【gooブログ】で投稿してきた自身の文を読み返したりしている。

このような時、私が一昨年の2008年7月8日に投稿していた、
【 ブロク投稿文、そして著名人の随筆は・・。 】
と題した投稿文を読み返し、微苦笑させられたのである。

【・・
私は民間会社を定年退職した後、偶然にブログの世界を知り、
その日に感じたり、思考していることを心の発露として、毎日数通投稿し、3年半ばかり過ぎている・・。

同じ綴るのであれば、散文で随筆形式と思いながら、
投稿しているが、つたない脳裏なりに独創と個性を頼りに綴っている。

しかし、その時の思いを瞬時に綴るので、
余りにも不出来が多く、愕然することがしばしば感じているのである。

私は日に数通は自身に課しているので、テーマが即時に決まることもあれば、
中々決まらなく苦悶することも多いのが本音である。


ここ数10年の著名人の綴る週刊誌、月刊誌など随筆は、
原稿用紙に於いて、5枚前後の長さが多く、
テーマの発想、構成、綴りの文調、そして校正などある程度は時間あるので、
それなりに魅了ある余韻、余情のある随筆となっていることが多いのである。

そしてこの数年の社会風潮として、雑誌の随筆などは、
なるべく短くし、2枚程度の800文字以内が、読者の方たちから評判が良い、
と何かの随筆で読んだりしたことがあった。


ブログの投稿文も著名人の政治、経済、社会などの専門分野を明示するのは例外であるが、
大方の投稿文を見ると、驚くほど短い文章で綴られ、投稿されているのが現実である。

こうしたことは、最近の社会の急激な移ろいに、
何事も短じかな時間で理解しょう、とした現象なのかしら、と思ったりしている。

こうした中で私も1200文字前後で、
私なりの個性で確固たる随筆を目指しているが、
その時の心情などで、つたない投稿文が多く、恥じながら、習作の期間かしら、と苦笑している。

そして瞬時にテーマと構成をまとめる文章修行に励む事が前提であるが、
何より心の磨(と)ぎ澄(す)ます心得が不足していると、
齢を重ねた63歳の私は、嘆くことも多いのである。
・・】

このように少し気負いながら投稿していたのであるが、
先程、パソコンの前に座っている私に家内が近づいてきて、
テレビが故障したのかしら、画面が映らないわ、
と私に云ったりしている。

私はテレビかょと思いながらテレビの置いてある部屋に行きながら、
何とかテーマの構成も定まり、あとは投稿文に関しては、
つたないなりに脳裏からの言霊に導かれながら綴ればよかったのにと思い、
テレビのスイッチなどを点検をしたりしている。

そして、脳裏からの浮かび上がった綴りも忘れ去り、映像回路が駄目になったのかしら、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。



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