夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

40年ぶりに都立『砧公園』を訪ねて、微笑みを重ねて・・。

2023-02-09 15:08:16 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


今朝、ぼんやりと起床した後、洗面所で顔を洗ったりした後、
キッチンに行き、煎茶を淹れて、
お寿司屋さんより頂いた大きめの湯飲み茶わんで一杯飲んだりして、
正気になり微苦笑したりした。

まもなく、大きめの湯飲み茶わんをお盆に入れ、
居間にあるビデオ・ケースの上に置く。

こうした中、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。


そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。




こうした根底の真情には、何かと気弱な癖に、
ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。

この後、本日も元気よく、楽しく過ごそう・・、
と体力の衰えた私は、自身を鼓舞したりしている。



やがて午前中のひととき、本日の散策コースは、
確か40年ぶりに都立『砧公園』を訪ねてみよう、と思ったりした。

私は1964年の東京オリンピックが開催された当時は、
映画の脚本家になりたくて大学を中退して、
養成所に通ったり、成城学園の近くにある東宝撮影所に盛んに出入りしていた。

この周辺に『砧公園』があり、年に数回ぐらいは、
散策コースとして活用していたが、やがて映画青年も敗退して、
東宝撮影所、そして『砧公園』も遠のいてしまった。

この後は、家内と一度だけ『砧公園』に行ったりした。




本日、我が家の最寄り駅のひとつの『成城学園』まで路線バスで行き、
そして『砧公園』まで路線バスを利用した。

やがて下車した後、浦島太郎のように砧公園の園内の変貌に、
驚いたりした・・。

砧公園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 
☆ 都立『砧公園』ホームページ ☆

広々とした芝生の中で、ゆったり樹木が配置されていた・・。










二月の平日の午前中のひととき、散策する御方、ジョキングされている御方、
わずかに見かけたりした・・。

もとより休日になれば、子供を引率している家族には、
のんびりと過ごせる最適な所だ、と私は微笑んだりした。

この後、『世田谷美術館』が見えたりして、
『 それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱 』が展示されていた。

このような分野には、無念ながら素養もないが、
文化と教養も大切ょ・・と天上の神々から叱咤激励され、
やがて鑑賞したりした。


それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM 

このような世界を一時間ばかり鑑賞して、
私は未知の世界だったが、脳裏に少しばかり刺激を受けたりした・・。


このように本日の午前中は、予期もしない園内の情景、
そして美術館での鑑賞体験・・、

少なくとも認知症の防止としたら最適だよなぁ、と微笑んだりしている。
コメント
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