夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ニッポンでなぜ「在宅診療」は普及しないのか、77歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2022-07-01 15:43:37 | 喜寿の頃からの思い
先程、愛読している【日刊ゲンダイDIGITAL 】を見ている中、
『 年間143万人死亡の多死社会ニッポンで
        なぜ「在宅診療」は普及しないのか』、
と題された見出しを見たりした。




こうした中、いつの日にかあの世に旅立つので、



過ぎし16年前の頃、
親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。

このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

結果としては、それぞれ延命治療は断念して、
「延命治療は望みません。痛み止めだけは処置をお願いします」
と明示するために、
私たち夫婦は、それぞれ『日本尊厳死協会』に入会したりしている。



このようなことを私たち夫婦は話し合ってきたが、
『在宅診療』に関しては、具体的に検討してこなかったので、
《・・ニッポンでなぜ「在宅診療」は普及しないのか・・・》、
真摯に学びたく、記事を精読してしまった。

この記事は、【日刊ゲンダイDIGITAL 】に於いて、
7月1日に配信され、無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・ 住み慣れたわが家で、最期を迎えたい。
年間143万人が亡くなる多死社会にあって、そんなささやかな願いが、
日本ではかなわない。



その技術がないからでも、医療機関が儲からないからでもない。
に、日本は高度な医療技術が必要とされる新薬の開発品目数で、
世界第3位を誇る医療先進国。

国は1981年の往診料を皮切りに、「寝たきり老人在宅総合診療料」(92年)、
「24時間連携加算」(98年)などさまざまな管理料や加算点数を新設し、
莫大な費用をかけて在宅医療支援を行っている。

にもかかわらず、なぜ日本人は、自宅で最期を迎えられないのか。 



常時1000人超の在宅患者を診察し、
年間200人の看取りを行う「しろひげ在宅診療所」(東京・江戸川区)の山中光茂院長に聞いた。 

「国は20年近く前から『地域包括ケア』という言葉をつくり、
『病院から地域へ』というフレーズで、
病状が安定している患者さんたちを病院から、在宅へと誘導してきました。

そのために診療報酬を『在宅診療』分野へ厚くすることで、
在宅診療所や訪問看護ステーションも増やしてきました。

それでも、在宅で最期を迎えることのできる方々は、わずか13%。
まったく増えていません。

家で最期を迎えたい人が6割もいるのに、
思いが満たされるのは、わずかしかいないのが現実です」  



なぜ、在宅医療の利用者が増えないのか。
山中院長は「ちゃんとした在宅診療が、あまりにも少ないから」という。 

「在宅診療をうたいながら、看取りはもちろん、急な発熱や体調不良といった軽い症状でも
救急車などを呼ばせて急性期病院に任せる“なんちゃって在宅診療”が実に多い。

本来の在宅診療は、がんの末期や難病、重度精神障害など
高度に専門性の求められる分野において、どれだけ重い病気でも、
安易に救急搬送するのでなく、
患者さんが愛する自宅で人生を完結させる気概が求められます。

ドラマなどで見られるような、大きな病院につなぐまでのスーパードクターによる緊急対応とは
まったく意味が違います」  



在宅診療の基本は、「24時間365日」。
「病院に行けない重症度の高い患者」を在宅において、
「看取りまで」を医療的にケアすることだという。

そのため、在宅医療の現場で働く医師らは、高度な技術と人間性が求められる。 
「在宅診療を真面目に行おうとするほど、緊張感の中で、
患者やその家族の痛みや苦しみ、葛藤と向き合い続けることになります。

病院は、医療従事者のホームタウンなので、多少傲慢なドクターがいても、
『しょうがないわね、お医者さまだから』で済まされがちです。

しかし、在宅診療では、決して許されません。

患者の『ホーム』であるため、患者やその家族は、
病院のような圧迫感や緊張感を感じることなく、
言いたいことや聞きたいことを口にします。

在宅診療する側は、それを受け止め、病状だけでなく生活環境、介護体制、
金銭面での不安、家族の看取りへの思いなど、
いのちの周りにある幸せや痛みに寄り添い続けていくことが求められるのです」



☆患者側の「適切な選択」ができない


「在宅診療」の医師らが求められる医療技術の範囲も広い。

たとえば、がんの末期への対応であれば、
麻薬の管理から褥瘡に対する外科的な処置など、
多様な専門性と医療技術が必要となる。

 「在宅医療は、病院に通院できない状態を前提としています。
ですから病院と同じことが在宅でもサポートできるだけの医療技術を備え、
それを高める努力も必要なのです。

ところが、在宅診療の実態や課題については、
政治、地方行政、メディア、中核医療機関、地域住民の間でも
十分理解はされていません。

その結果、真面目に在宅医療に携わる医療機関と、
安易なフランチャイズのような経営をする医療機関の区別がされずに、
患者側の『適切な選択』もできない状態にある。非常に残念です」 



山中院長がそんな厳しい在宅医療現場を志す原点になったのが、
アフリカでの医療体験だという。 

「20代の頃にアフリカで巡回医療をしていました。
住民全体の40%以上がHIVに感染しており、
エイズで亡くなる大人が多く、大勢の孤児がいました。

当初は、孤児が集団で過ごせる施設を考えましたが、
子供たちは『両親と過ごした思い出のある家で、今後も過ごしたい』という。

ハッとしましたね。
他人から見ればもっとステキな住み心地がいい病院や
施設などの環境があっても、やっぱり住み慣れた『家』で過ごしたい、
それが国や時代を超えた人としての『幸せ』なのだと気づかされたのです」



 ▽山中光茂(やまなか・みつしげ) しろひげ在宅診療所院長。
1976年、三重県松阪市生まれ。
慶応大法学部、群馬大医学部卒業後、アフリカで医療活動に従事。
2009年、松阪市長に当選。全国最年少市長(当時)となる。

現在、末期がんなど重度の在宅患者を1000人以上診察し、
年間200人以上の看取りを行う。
昨年、在宅診療をモデルにした「小説 しろひげ在宅診療所」を出版。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
 



今回、しろひげ在宅診療所院長の山中光茂さんより、
《・・なぜ「在宅診療」は普及しないのか・・》学び、多々教示された・・。


特に《・・在宅診療の実態や課題については、
政治、地方行政、メディア、中核医療機関、地域住民の間でも
十分理解はされていません。

その結果、真面目に在宅医療に携わる医療機関と、
安易なフランチャイズのような経営をする医療機関の区別がされずに、
患者側の『適切な選択』もできない状態にある。非常に残念です・・》

こうした実態を私は学び、動顛したりした・・。



私がいつの日にか死去に迫った時、
やはり自宅だと見守って下さる御方、そして医師に負担がかかることが予測されるので、
やむなく断腸の思いで、病院を指定して亡くなる・・と思われる。

しかしながら、終末期に於いては、数年前に学んだ“緩和ケア”を希望する。

《・・痛みを和らげる“緩和ケア”をうまく取り入れることで、
安らかな最期を迎えやすくなる・・・
「特にがんは、末期になると、体の痛みや倦怠感、息苦しさといった苦痛症状が出ますが、
これらは適切な処置をすることで、弱められる。

さらに死期が近づいて、耐えがたい苦痛がある場合には、
投薬によって意識を低下させる『鎮静』状態にすることも可能です。
ほぼ眠りながら穏やかに最期を待つことができます。
・・》、

このようなことも学び、私は終末期を思い馳せ、光明を感じたりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする