goo blog サービス終了のお知らせ 

夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

10年ひと昔の自身の投稿文を読みながら、過ぎ去る日々に愛惜を秘め、独り微苦笑を重ねて・・。

2020-09-05 14:27:12 | ささやかな古稀からの思い
先程、私は10年前の頃・・どのように過ごしていたのかしら、
ぼんやりと思い馳せたりした・・。

しかしながら
私は、恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、 と改めて気付き、 独り微苦笑する時もあり、
やむなく自身のブログの投稿文を読み返したりした・・。

          

過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。  
        
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、
真情を投稿文に認(したた)めたく、 あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。




やがて70代になると、自身の体力の衰えを実感して、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。  
                                     

従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
                     
          

こうした深情もあり、自身が綴った2010年9月の投稿文を開いたりした中で、

9月20日に『女性専門誌、齢を重ねた男性の私が購入する・・。』
と題して投稿していた。

どのような内容で、どうした深情で綴っていたか、忘れてしまったが、
過ぎ去った日々に愛惜を重ねるように、読んでしまった・・。

再掲載すれば下記の通りである。

《・・女性専門誌、齢を重ねた男性の私が購入する時・・。

 



私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昼前、いつものように私は最寄のスーパーに買物に行ったが、
店内の2階の外れる一角に、女性専用誌、総合のコーナーの書棚がある。

私はこっそりと女性専用誌の『婦人公論』(9月22日)を引き出して、
その後はレジに並んだ。

そしてレジの女性に、
『この雑誌・・特集が良くて・・《誰にも迷惑かけずに・・ポックリ死ねる》特集が載っていまして・・』
と私は言い訳しながら云った。

『あらぁ・・私だって・・いずれは誰にも迷惑かけずに、ポックリと死ねたいわ』
とレジの女性は、私に明るい声で云った。

帰宅後、家内に、
『この雑誌・・先日、ネットで紹介されていて・・
《誰にも、迷惑かけずに、死ぬために》の特集を見たのであるが、
序文と本文の少しは掲載されていたのであるが・・
この後は本誌でお読み下さい・・明記されていたので・・
買ってしまったよ・・』
と私は明るく大きな声で家内に云ったりし、家内は微笑んだりした。



このことは、一昨日の18日に於いて、
『婦人公論、高齢者の男性の私でも、精読したくなり・・。』
と題して、私は投稿している。

☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
     『婦人公論、高齢者の男性の私でも、精読したくなり・・。』☆

そして私は、昼下がりのひととき、
『婦人公論』の特集のひとつの《誰にも、迷惑かけずに、死ぬために》を読んだりした。



私は高校生になって、遅ればせながら読書にめざめて、
小説、随筆、現代史などを乱読し、ときには私も男の子のひとりであるので、
官能美を秘めた好色な本も読んだりした。

しかし、女性専門誌を購入するには、小心者の私は勇気がいる。

従って、これまで私が女性専門誌を買い求めたのは、
鮮明に記憶が残っている。

2007年1月下旬、読売新聞の朝刊を読んでいたら、
雑誌の『婦人公論』の広告が掲載されて折、

《・・  《国家の前にまず家庭》
          品格香る夫婦関係
    藤原正彦 X 藤原美子  ・・》
このように明示されていた。

私は昨年の2006年の初め頃から、藤原正彦氏の愛読者のひとりとなり、
氏の数多くの随筆に、奥様のこともたびたび綴られて、
ユーモアを交(まじ)えて書かれているので、真意のことは・・と興味を持っていた。

このような思いで読んで見たい記事のひとつとなった。

ただ、ご婦人を対象とした雑誌でもあるし、
今月の特集記事は、
【 結婚しても、ときめきたい 】
という香(かぐわ)しいタイトルであったので、購入する時に腰が引けると思ったりした。




そして11時過ぎに買い物に行った時、スーパーの雑誌コーナで見当たらず、
店員さんが本の入れ替えをしている所だった。

『今日・・発売の【婦人公論】・・有りますか・・』
と私は店員さんが言った。

店員さんが入荷分の段ボールを開けて、手渡してくれた。

帰宅後、居間で読みはじめた・・。

正直に綴ると、婦人の雑誌で有ったので、
『俺・・【国家の品格】を書かれた藤原正彦さんの対談が載っているので・・』
と家内に言ったりした。

ご夫婦の対談に関しては、
著作権上に於いて明記出来ないのは残念であるが、
ご夫婦の秘訣を教示されたりした。



これ以前に、私は女性雑誌を購入したことがあった。

確か平成元(1989)年の頃、シンガーソング・ライターの中島みゆき女史が、
『with』という若き女性向けの雑誌に、
新たなアルバムを発売される前にインタビュー記事が掲載され、
この当時の私は、中島みゆき女史に無我夢中の時期であり、こっそりと購入した。

熱愛者となれば、このように少しでも知り得たい心理となる、
と私は確信している。

このように数少ない女性専門誌の購入を綴ってきたが、
買い求める時は、幾つになっても、何かしら恥ずかしいのである。‥》

このように私は投稿していたが、やはり10年ひと昔は、
我ながら若かったなぁ・・、独り微苦笑を重ねたりしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする