夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人は老いるほど豊かになる・・格言、何かと単細胞の私でも、思い馳せて微笑み・・。

2020-09-21 14:59:46 | ささやかな古稀からの思い
私はまもなく76歳になる年金生活の身であるが、
昨夜、ときおり愛読している【 時事ドットコム 】のニュースを見ている中、
『 65歳以上、過去最高28.7% 就業者は16年連続増―敬老の日・総務省 』、
と見出しを見たりした。

そして私は微苦笑しながら記事を読んだりした・・。




《・・総務省は20日、「敬老の日」に合わせ、65歳以上の高齢者の人口推計を発表した。

15日時点で前年より30万人増の3617万人となり、

総人口に占める割合も0.3ポイント増の28.7%とともに過去最高となった。(略)

100歳以上8万人超え 9000人増、女性9割―厚労省

男女別の人口は、男性が1573万人で全体の25.7%、
女性が2044万人で全体の31.6%だった。

高齢者の割合は、1950年以降一貫して上昇しており、
第2次ベビーブーム世代(71~74年生まれ)が、
65歳以上となる2040年には35.3%になると見込まれる。

世界の比較では、65歳以上の割合は日本が最も高く、
イタリア23.3%、ポルトガル22.8%、フィンランド22.6%が続いた。・・》



改めて私は学びながら、私と同じような後期高齢者の御方が、
多くなった、と私は実感している。

たとえば平日の午前中に、駅前で買物したり、
本屋、ファミリーレストランなどで、私と同世代の御方を見かけたりしている。

               


私は何かと単細胞であるが、ここ数年、私が意識的に深めていることは、
日本は長寿国であり、 介護などの必要がなく、 日常生活を支障なく過ごせる期間を示す「健康寿命」をみると、
男性が72.14歳、女性が74.79歳(厚生労働省、2016年の推計値)で、
平均寿命とは男性で8.84年、女性は12.35年の差が実態となっていることである。

こうした中で、約10年もの間、何らかの介護支援が必要となる、 と改めて教示されて、
動顛をしたり、溜息を重ねたりしてきた・・。

いずれにしても、それぞれ多くの御方が自助努力をされ、
何とか人に頼よる介護・要の期間をできる限りないように願い、
平均寿命=健康寿命を目標に、日々を過ごされている御方が多いと思われる。

その上、高齢者自身の意欲と医療の更なる向上で、平均寿命が数年伸びる中、
多くの御方が心身溌溂とした晩年期を願い、私自身も念願したりしている。 


このようなことをぼんやりと思い深めたりした。



本日の午前中、いつものように我が家の平素の買物専任者の私は、
最寄りのスーパーで家内から依頼された品を求めて、
行ったりした。

やがて帰宅後、独りで遊歩道を散策した後、公園のベンチに座り、
コンビニで買い求めた冷たい煎茶を飲んでいた時、
過ぎし4年前に学んだことが、不意に脳裏から舞い降りてきた・・。

人は老いるほど豊かになる・・格言である。



作家で平成心学塾塾長の一条真也(いちじょう・しんや)さんが、
確か毎日新聞で『人生の四季』と題した連載寄稿文の中で、

人は老いるほど豊かになる、と題された寄稿文を私は読んだりした。

確か2016月9月16日に配信され、 無断であるが転載させて頂く。
《・・9月19日は「敬老の日」である。

「敬老」という考え方は、古代中国に生まれた儒教に由来する。
わたしは古今東西の人物のなかで、孔子を最も尊敬しており、
何かあれば『論語』を読むことにしている。

その『論語』には次の有名な言葉が出てくる。

「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」
            


六十になって、人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても、反発しない。

七十になると、自分の思うままに自由にふるまい、それでも道を踏み外さないようになった。

ここで、孔子は「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえている。

ブッダは「生老病死」を苦悩としたが、孔子は大いに「老い」を肯定したのである。




孔子と並ぶ古代中国の哲人といえば老子だが、
老子の「老」とは、人生経験を豊かに積んだ人という意味である。

また、老酒というように、長い年月をかけて練りに練ったという意味が「老」には含まれている。

世間には、いわゆる「老いの神話」というものがある。
高齢者を肉体的にも精神的にも衰退し、ただ死を待つだけの存在とみなすことである。


すなわち、老人とは「孤独」「無力」「依存的」「外見に魅力がない」「頭の回りが鈍い」などと見る。




しかし、物事というのは、何でも見方を変えるだけで、ポジティブなイメージに読み替えることが可能だ。
たとえば、高齢者は孤独なのではなく、「毅然(きぜん)としている」。

無力なのではなく、「おだやか」。
依存的なのではなく、「親しみやすい」。
外見に魅力がないのではなく、「内面が深い」。
そして、頭の回りが鈍いのではなく、「思慮深い」といったふうにである。

神道では、「老い」を神に近づく状態としてとらえ、その最短距離にいる人間を「翁(おきな)」と呼ぶ。


これこそ真の「老いの神話」ではないだろうか。
人は老いるほど豊かになるのである。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。


            

私は読み終わった後、ここまで高尚的には日頃は思案したりすることはないが、
誰しも60歳を過ぎれば、これまで人生の哀歓を体験され、若い御方と違い豊富な知恵もある。

そして体力の衰えを実感しながらも、社会の人々の動きで、

良きこと悪しきことも視えてくる・・。

私は幼年期には、祖父、父から、お天道様が見ているから、恥ずかしいことはするな、
と言われたりし、定年退職するまでの半生期までは、清き人には遠いが、苦楽を交えながらも、
心の節度だけは・・と思いながら過ごしてきた。




やがて定年後は多々の理由で年金生活を始めて、ささやかに過ごしてきた。


そして裕福な金銭には程遠いが、自由な時を満喫でき、これ以上の安楽なことはない、
と享受してきた。

ときおり、ぼんやりと殆どの65歳以上は高齢者と称される人は、人は老いるほど心は豊かになる、
古来からの格言、私は瞬時に、そうですよねぇ・・と微笑みながら感じたりしている。
 
コメント (2)
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