夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

BSプレミアム『中島みゆき名曲集~豪華トリビュートライブ&貴重映像~』、視聴した後、過ぎし年の旅に思いを馳せて・・。

2020-09-06 12:46:15 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の住む年金生活のまもなく76歳になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。


昨夜、いつものように居間で、私は家内と談笑しながら夕食を頂いた後、

私は大皿、小皿、小鉢、などをキッチンにお運びをしている時、
『あらぁ・・BSで・・中島みゆきさんの歌番組があるわょ・・』
と家内は私に教えてくれたりした・・。



この後、私は新聞でテレビ番組表を見ると、
BSプレミアムで夜の10時半より12時まで、
『中島みゆき名曲集~豪華トリビュートライブ&貴重映像~』と明記されていた・・。

私は遅ればせながら昭和64年の少し前に、中島みゆきさんの歌を偶然に聴き、
これ以来6年ぐらい物狂いのような熱愛者となった後、発売されているカセット、CDを買い求めて、
やがて敬愛している平熱のファンとなって今日に至っている。



何かしら今回は、2015年11月に開催された中島みゆきさんの楽曲を
女性アーティストがカバーするライブ『中島みゆき RESPECT LIVE 歌縁(うたえにし)』の模様を
2016年1月17日に BSプレミアム放送したのを再放送であった。

やがて家内も視聴して、共に視聴したりした・・。

そして大竹しのぶさんを始めとする多彩な華原朋美さん,クミコさん,研ナオコさん,
坂本冬美さん,中島美嘉さん,中村中さん,満島ひかりさん、それぞれの御方が、
選定された『化粧』、『あばよ』、『黄砂に吹かれて』、『怜子』、『世情』などを唄われていた。



この間、中島みゆきさん御自身の貴重な映像とともに、
『糸』、『わかれうた』、『ファイト!』、『空と君のあいだに』、

 『地上の星』、『麦の唄』、『時代』を唄われて、
恒例の舞台劇の『夜会』の一部の映像も公開されたりしていた。


この後、私は番組の中で、
それぞれのアーティストの方たちが極寒の坑道の薄暗い中、それぞれの楽器を触り演奏され、
メロディーが流れ、やがて坑道から高価なドレスを召した中島みゆきさんが、
少しつづ歩みながら『地上の星』を唄われた・・。

この当時も社会状況はリストラ烈風を体験している方たちが多い背景もあり、
 私は中島みゆきさんが唄われる容姿が、人生の女神ように方と感じ受け止めたりした・・。


この『地上の星』を放送されたのを旅先で偶然に、私たち夫婦は視聴した体験があり、、
私は家内に話しかけたりした・・。



過ぎし2002(平成14)年の12月、
私は家内と年末年始の旅行のことで話し合ったりした。

私は前年は4泊5日で能登の輪島温泉滞在で、
程ほど高価な費用を払ったのに、と苦い思いでがあり、
ためらったりしていた・・。

この当時の私は、定年退職時は2004(平成16)年の秋であったので、
現役は残すところ1年10カ月前であった。




こうした時、通販の旅行会社のクラブツーリズムから送付されてくる小冊誌に於いて、
『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』と題した、団体観光ツアーがあった。

何かしら大晦日の31日の早朝、羽田空港に集合して、午前10時過ぎに釧路空港に着陸した後、
バスで釧路湿原を通り過ぎ、屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、オーホック海沿いの紋別に宿泊する。

そして翌日の2003(平成15)年の元旦の朝、稚内を目指して、
オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着した後、
日本の最北端の駅である稚内駅を観たりし、高台にある神社に初詣し、市内のシティホテルに宿泊。

そして翌日の2日、札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下し、千歳空港から帰京するプランであった。

こうした風変わりな周遊観光コースであり、格安なプランであるので、
二度と企画されないかもしれない、と私は家内に言ったりし、参加したのであった。


       

大晦日の31日、羽田空港に早朝に集合時間であったので、
私はタクシーを予約して、暗い中、自宅を4時に出て羽田空港まで利用した。

そして、厳冬の屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞したが、私たちはそれなりの防寒服を着たりしているので、
マイナス10度ぐらいは心も身も順応できていたので、微笑んだりしていた。

少し驚いたのは、紋別の観光ホテルに宿泊する前、

街中で蟹(カニ)食べ放題の夕食となったりした。

私は地酒を呑みながら、慌ただしくそれなりに頂いたが、
やはり蟹は毛蟹を一杯だけ頂き、ゆっくりと熱燗の地酒を呑むのが良い、と感じたりした。

そして、宿泊のホテルの部屋に戻ると、
テレビで紅白歌合戦の番組の中で、中島みゆきさんが『地上の星』を唄っていた・・。
後年、伝説となった黒部の極寒の坑道の中で、唄いあげたシーンであった。

私はファンのひとりであったので、この夜の夢は何故かしら、
みゆきさんが女神のように、私の方を見ながら微笑んでいた。
            


翌日の元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
私は冬の海の景観を眺めたりした。

そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着し、付近の海岸沿いを散策した。

この後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりした後は、
高台にある神社に初詣をしたりした。

この後、付近の大きなクアハウスで湯船に入ったり休憩をした後、
市内の全日空ホテルに宿泊した後、
札幌を目指して、粉雪舞い降る中。日本海を眺めながらバスは南下した。





旅の終わりの寸前、札幌の郊外の厚く根雪となった羊が丘で散策している時、
札幌の市内の灯りが満天の星のように観える中、
お正月の旅行も終ったね、と私は家内と笑いあったりしていた。

この後、私はまもなく中島みゆきさんが創られた『根雪』の歌が心の中で流れたりした・・。

私は音楽業界のあるレコード会社に勤めていたが、
1998年(平成10年)に業界全体の売上げピークとなり、デパート業界と同様にかげりが見えたりした。

この前後に各レコード会社は社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
早期退職優遇制度により退職が行われた。

私が勤めていた会社でも、先輩、同僚、後輩の一部の人が、
第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出され、
やがて私も出向となり、各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めた。

やがて私が定年を迎える頃まで、いくたびかリストラが実施され、
長年苦楽を共にした先輩、同僚、後輩たちと別れを告げたりした。

そして、出向先の物流会社も何度かリストラで、お世話になった方たちの送別会に出たりした。

私は出向先でも、リストラ烈風の中、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていた・・。


この当時の私は、やむなく業界から立ち去った先輩、同僚、後輩の一部の人たちが浮かび、
愛惜感でいっぱいで、胸が熱くなった日々であった。


こうした深情を秘めていた私は、札幌の街並みの灯りが満天の星のように観える中、

中島みゆきさんの『根雪』の歌の一節、
   ♪いつか時が経てば 忘れられる あんたなんか・・、
思いだされ心の中で重なり合ったりした。


            
人は誰しも、自身の心の琴線に触れる出来事は、

いつまでも心の片隅に記憶している、と改めて私は思いながら微苦笑をしたりしている。
コメント (4)
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