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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

10年ひと昔、ぼんやりと75歳の私は思い馳せれば、やがて微苦笑を重ねて・・。

2020-06-07 14:05:16 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
本日の午前中は、いつものように我が家の買物をした後、
自宅の付近にある野川の遊歩道を45分ばかり散策したりりした。

やがて昼食後、10年前の頃・・どのように過ごしていたのかしら、
ぼんやりと思い馳せたりした・・。

しかしながら
私は、恥ずかしながら70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、
物忘れが多くなった、 と改めて気付き、 独り微苦笑する時もあり、
10年前の頃なんて・・と思いながら、やむなく自身のブログの投稿文を検索したりした・・。

          

過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。  
        
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、
そして年金生活の日々の心情を脚色もないありのままの思い、
真情を投稿文に認(したた)めたく、 あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。

やがて70代になると、自身の体力の衰えを実感して、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。  
                                     
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
                     
          

こうした深情もあり、自身が綴った2010年6月7日の投稿文を開いたりした・・。
そして『旅から戻れば、旅先の余情を話し合いながら・・。』と題して投稿していた。


過ぎ去った日々に愛惜を重ねるように、読んでしまった・・。

          


私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
たまたま私達夫婦の結婚して35年目となり、
記念旅行と称して過日の5月24日から6月2日まで、9泊10日間で、
北東北地方の青森県の一部を周遊した。

6月2日の深夜に帰宅し、思いがけない自宅の玄関のドアーが開かない事件もあったが、
翌日の3日からは、いつものように日常生活に戻すようにした。

家内は掃除、洗濯に孤軍奮闘していたが、
私はこのサイトに、【若葉の彩(いろど)る頃の青森紀行・・。】と題して、投稿文を綴ったり、
デジカメで170枚ばかり撮ったのをパソコンのハード・ディスクにコピーしたりした。
そして今回の旅行資料などを整理した。

いつものながら旅行前には、冷蔵庫の野菜など調整していたので、
在庫がなくなり、快晴の中、私の責務としてスーパーに買い求めに行ったりした。

そして、庭の樹木、草も伸びていたので、
私なりに孤軍奮闘して、庭の手入れをしたりした。

このように私達は、旅行から戻り過ごしていたのであるが、
ときおり私達は、今回の旅行先の情景、食べ物、その地の言葉を交わした人のことなど、話したりしている。

私達が住む東京の郊外からすれば、
ほぼ一ヶ月半遅い春の北東北の若葉きらめく中を周遊し、
『よぐきたねし・・』
とこの地のお住まいの高齢の女性から、微笑みながら話しかけられたりした・・。

私達は、こうした方言は、
『ようこそ、いらっしゃいました』という意味合いは判り、
私は風土はもとより、限りない文化のひとつと思い、
私なりに時間が許される限り言葉を交わし、
こうした出会いこそ旅先の魅力と思ったりしていた。

そして家内とは、今回の季節と大きく変貌する北東北の冬の舞い降る時節も、
それなりに深い旅となると思われ、
私達はこれまでの冬の旅を重ねて、思い馳せたりしている。

誰しも旅行は、旅立つ前、旅行中、そして帰宅後に旅先の余情を重ねたりすると思われ、
旅は少なくとも三度は楽しめるのが、
旅の最大の魅力かしら、と私達は微笑んだりしている。

          

この当時は、私は65歳、家内は60歳で、お互いに心身溌剌と過ごしていた。
私はタバコを喫っていたし、日本酒もこよなく呑んでいたし、
今の私からすれば、自由きままに過ごしていた。

そして幾たびか国内旅行を重ねていた60代でもあったりした。

たまたまこの時の旅路は、JR東日本が発行している『びゅう(VIEW)』の『北東北 青森・秋田・岩手』編を見て、
喚起されて、少しばかり変ったプランを私達は決定したのである。

東京駅から秋田新幹線『こまち』で秋田駅に着いた後、
リゾート『しらかみ』に乗り換えて北上し、『ウェスパ椿山』駅で下車した後、
日本海に面した青森県の黄金崎温泉の『黄金崎(こがねざき) 不老ふ死(ふろうふし)温泉』の新館に3泊する。

この後は、リゾート『しらかみ』で北上し青森駅の終点まで、
そして竜飛岬まで津軽腺とバスを利用して、竜飛温泉の『ホテル竜飛』で3泊し、
竜飛岬を散策する。

その後は青森駅に戻った後は、
駅よりバスで70分ぐらい乗った先の山里にある酸ケ湯(すかゆ)温泉の『酸ケ湯温泉旅館』に1泊にして、
少し奥まったブナの多い森があり、この中の一部に遊歩道があり蔦温泉の『蔦温泉旅館』の西館に2泊することにした。

そして青森駅に戻った後、特急スーパー『白鳥』で八戸駅で下車した後は、
近くにある鮫駅に移動して、
蕪(カブ)島でアホウドリを観て、八戸駅に戻り、
八戸駅より東北新幹線『はやて』で東京駅に帰京する9泊10日間の日程となった。

          

こうした中、今回の旅で家内と最初の頃に思案していた時、
『竜飛岬を観て見たいわ・・』
と家内が私に云ったりしたので、
私にとってはまったくの未知の地域であり、
書棚から旅行案内書の『上撰の旅 北東北』(昭文社)を取り出して見たりした。

青森市から竜飛岬までの津軽半島の海辺の街は、
蟹田(かにた)、そして三厩(みんやま)の地域を通るが、
この後でネットで調べても、漠然とした感じであった。

この後、2週間の間、
書庫から秋永芳郎・著作の『青函トンネル』(講談社)を取り出し再読したり、
太宰治・著作の『津軽 妙』を45年ぶりに読んだりした。
この地域の歴史、文化、風土などをつたないなりに学んだりした。

もとより書物よりも実風景から学ぶことが何よりも大切なことであるが、
私の悪い癖として、わずかながらでもその地域を深く感じとれれば、
とこのような思いで旅立つ前の習性となっている。

          

10年ひと昔・・古人より伝えられているが、
私は9月下旬になれば76歳となり、体力も衰えを実感させられている。

このような旅路も私たち夫婦は、体験してきたが、思い馳せれば、
10年ふた昔・・のように感じ、微苦笑を重ねたりしている。

コメント (6)
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