東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると今年も明日で『大晦日』と明記され、
今年もあと一日で終わってしまうのか、と過ぎ去り日々が実に早いと思いを深めたりした。
そして何かと単細胞の私は、明日の『大晦日』は何かとベートーヴェンの『第九』、
或いはNHKの恒例番組の『ゆく年くる年』かしら、と瞬時に思い浮かべたりした。
やがて『ゆく年くる年』は、確か各地の寺院が映しだされて、
こうした中で除夜の鐘が撞(つ)くシーンがあった、と思い馳せたりした・・。
私は生家の実家は、仏教の中で多い曹洞宗であるが、
お墓参りは私の母の命日、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸ぐらいあり、
散策とか旅先で寺院にめぐり逢った時は、手を合わせる程度の拙(つたな)い身である。
私は身過ぎ世過ぎの年金生活の中、自宅の周辺の3キロ範囲を散策をすることが多く、
ときおり家内との共通趣味の国内旅行に行ったりしているが、
そして寺院の梵鐘を吊した鐘楼堂(しょうろうどう)に、めぐり逢えたりした。
今年も1月下旬に付近の狛江市を散策していた時、
生家の実家のお墓が通称『泉龍寺』と称されている『曹洞宗 雲松山泉龍禅寺』であるので、
冬の暖かな陽射しの中、立ち寄ったりした・・。
山門から入ると、境内は広く数多くの大木があり、冬枯れの情景で静寂であった。
そして本堂に向かい歩くと、鐘楼堂が観えたりした。
過ぎし8年前の頃の2月の中旬、南海ある八重山諸島を周遊した9泊10日間の旅路の中で、
石垣島の『桃林寺』を訪ねたりした。
この寺院は、石垣市にある臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は南海山、本尊は観音菩薩でり、
1611年鑑翁西堂の開山により創建された寺で、1771年には大津波の被害を受けている、
と解説されていた。
しかしながら私は、寺院を恥ずかしながら鑑賞できる知識もなく、
この日本の南海の果ての地域でも、住民の方たちに信愛されていることに驚き、
本堂などの建物を眺めたり、鐘楼堂を観たりした程度であった。
そして一昨年の6月の初め、私は自宅から45分ばかり歩き、この時節の数々の樹木の情景を観る為に、
都立の神代植物園に訪ねた帰路、隣接している深大寺に立ち寄ったりした。
そして本堂で123円ばかりのお賽銭で多くの願いを託した後、
鐘の音が聴こえて振り返ったりした・・。
境内の山門の近くに鐘楼堂があり、たまたま時を告げる鐘が撞(つ)く時であった・・。
こうした情景を観たりしていると、単細胞の私は何故かしら『除夜の鐘』に思いを重ねてしまった・・。
恥ずかしながら私は『除夜の鐘』に関しても無知な方であった。
過ぎ去り2000年(平成12年)の春、
藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)を購読していた時、
大晦日の夜、日本の各地で除夜の鐘を撞(つ)くが、古来より108回となっていることに関して。
遅ればせながら55歳の時に教示された。
《・・仏教で人間の煩悩(ぼんのう)が、108あるとされる・・
煩悩とは、身体や心の欲望、他人への怒り、ないもののへの執着などとされている。
仏教に於いては、①生まれてくる苦しみ
②年をとる苦しみ
③病気の苦しみ
④死の苦しみ
4大要素を『四苦(しく)』とし、
⑤欲しくても手には入らない苦しみ
⑥愛する人と別れる苦しみ
⑦いやなことをさせられる苦しみ
⑧その他の色々な苦しみ
『八苦(はっく)』があるとされている。
そして、この『四苦八苦』の四苦(4x9=36)と八苦(8x9=72)を加算すれば、108になる。
108回の来歴については、他にも諸説があるが、
一年の様々な思いをかきたてる除夜の鐘は、 旧年中に107まで撞(つ)き、
最後の1回を新年に撞くのが慣例である。
尚、『除夜の鐘』は、中国の宗(960年~1279年)の時代に始まった風習だと云われて折、
『除夜』とは、旧暦で一年の最後の夜のことである・・》
こうしたことを学んだりしたが、私は民間会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、その直後から多々の理由から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。
そしてこうした人生の『四苦八苦』の怜悧を深く思案したりすると、
つたない私は、どうしたらよいの、と迷うばかりが本音となっている。
せめて過ぎ去り今年の日々を愛惜を重ねて、
来たる新年にささやかなことを願い、そして少しは達成できるようにすればよい、
と私は思い、『除夜の鐘』の音色に心を寄せて、聴こうと思ったりしている。