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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

たかが年賀状、されど年賀状、私なりのささやかな思い、やがて微笑み・・・。

2019-12-16 09:03:11 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の75歳の身であるが、
確か小学校に入学して以来、年賀状は友人、知人に書いてきた。

やがて25歳に民間会社に中途入社して、会社の上司、同僚など、そして親戚の御方に出してきた。

この後、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めて、
これまでの人生航路で、色々と御世話になった御方・・相変わらず出している。

たとえは会社時代の上司には、何かと一般常識に欠けていた私を社会人として通用するように、
そして企業戦士になれるように鍛えて下さった感謝の念から、書いている。

或いは会社関係で知り合った知人には、同じ業界で共に時代を過ごし、
この後のお互いのセカンドライフの状況を報告するように、書いたりしてきた。

もとより兄妹、親戚の御方にも、これまでの人生航路に感謝しながら、 毎年書いたりしてきた・・。

              

こうした中、確か平成30年の年賀状を頂いた中、
会社時代の上司の中のある御方より、 新年のあいさつ文の後半に
《・・昨年後期高齢者のお仲間入りをしました    人生の一区切りをつけたいと思います

   大変勝手ですが新年の賀状ご挨拶は    来年から失礼させて頂きたくお許し下さい
   これまでのご厚誼を深く感謝申し上げます・・》

このように賀状を頂き、やはりこれからの御歳を召されることを配慮されて、
このような文面になった、と私は深く考えされられた。

このような深情を秘めてきた私は、昨今は「終活年賀状」が広がっている、と学び、
こればかりのご当人をお考えがありから・・と微苦笑を重ねたりしいる。

そして私は従来通り、これまで人生航路にお世話になったお方に、
せめて年賀状で、平素は御無沙汰の御方を含めて、私の年金生活のささやかな状況の報告を兼ねて、
つたない文面を綴り、そして12月25日まで郵便ポストに投函しょう、と思い重ねたりしている。

しかしながら、いつの日にか介護・要になってしまった時は、
やむなく年賀状は断念して、電話連絡などに変貌するのかな・・と思い馳せたりしている。

コメント
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