先程、小学館が発刊しているシニア向けの教養雑誌『サライ』の公式サイト【serai.jp】を見たりしていた中、
『 しゃべれば脳が喜ぶ!? 会話が認知症予防に良いとされる3つの理由 』と題された記事を見た。
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活のまもなく73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たった2人だけの家庭である。
私は午前中のひととき、平素の買物を家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
ささやかな願いも叶えられなく困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、
或いは足早に歩くことが多くなっている。
こうした私は認知症、或いは脳梗塞などは回避致したく、記事を読んだりした。
この記事の原文は、阿部和穂さんが『認知症 いま本当に知りたいこと101』(武蔵野大学出版会)上梓された本を
庄司真紀さんが紹介された記事であり、
そして『サライ』の公式サイト【serai.jp】に2017年7月8日に配信されていた。
私はシニア向けの教養雑誌『サライ』に関しては、50代の10年間は購読してきたので、
よしみに甘えて、無断であるが転載させて頂く。
《・・何気ないおしゃべりをしたとき、心が晴れて気分が良くなったと感じたことはありませんか。
このおしゃべりは、脳にとってもよい作用があるようなのです。
■会話が認知症予防に良いとされる3つの理由
(1)会話は脳の多くの部分を使うから
(2)会話がストレス解消になるから
(3)信頼関係が心を安定させるから
■将棋は認知症予防になる?
■記憶障害を予防するにはどうすればいい?
私は今住んでいる近くに生家があり、1944年(昭和19年)の9月に農家の三男坊として生を受けた。
そして私は長兄、次兄に続いて生まれた三男であり、
農家の跡取りは長兄であるが、この当時も幼児に病死することもあるが、
万一の場合は、次兄がいたので万全となり、今度は女の子と祖父、父などは期待していたらしい。
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していた状況を私なりに感じ取り、
私は何かしら期待されていないように幼年心に勝手に感じながら、
いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。
やがて1953年(昭和28年)の3月になると、
前の年から肝臓を悪化させ、寝たり起きたりした父は、42歳の若さで亡くなった。
そして祖父も跡継ぎの父が亡くなり、落胆の度合いも進み、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に亡くなった。
どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、
そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった。
そして私たち子供は母と叔母に支(ささ)えられ、そして親類に見守り中で、貧乏な生活が始まった。
こうした中、兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等生で、
通信簿を学期末に頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、と担任の女の先生が溜息まじりに言われたりしていた。
この当時の私は、クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けられていた。
何かと平素は無口の癖に、ときたま怒り出し、周囲の多くの同級生が困惑し、
伊豆七島のひとつの大島は、幾10数年ごとに爆発する活火山の由来だった。
やがて小学6年生の頃になると、突然に人前でおしゃべりをすることが大好きと変貌して、
見知らぬ小父さん、小母さん対しても、私の方から話すようになり、
母、兄妹、そして父の妹でこの当時未婚だった叔母も驚いていた・・。
これ以来、私はお調子者のひとりとなって、学生時代、社会人のサラリーマンの中、
ときにはトンボのように自由にふるまったり、おだてられると高揚しながら奮闘したりしてきた。