私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 加齢で誰でもなる可能性のある目の病気 緑内障は失明危機も 】と題された見出しを見た・・。
私は目に関しては、中学生の頃から近眼と気付いたり、これまでのつたない人生航路でも、
何かと眼には苦渋してきたので、精読してしまった・・。
この記事の原文は、『女性セブン』の2013年2月21日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』で2013年2月12日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。
《・・加齢で誰でもなる可能性のある目の病気 緑内障は失明危機も
40代になると誰しも、老眼になる可能性があるが、
目にも老化現象があり、なかには視力を失う病気も。
年を重ねるにつれて、かかりやすくなる目の病気とは?

☆80歳以上で、ほぼ全員がなるのが白内障。
カメラのレンズにあたる水晶体という組織が白く濁り、見づらくなる。
主な要因は老化。
まぶしい、目がかすむなどの初期症状ののち、近視が進んで明るい場所で見えにくくなる。
手術で治すことができるが、日常生活に支障をきたさなければ、そのままでも問題ない。
☆緑内障は自覚しづらく、失明の危険も。
目に栄養を与える房水という液体が、何かの原因で過剰に溜まり、眼圧が高くなったり、
眼圧に対する感受性が強すぎることで、視神経などを圧迫する病気。
治療で進行を遅らせることができるが、自覚症状が表れたときには手遅れのケースも。
眼圧測定など、検査で早期発見を心掛けたい。
☆老化現象から発症することもあるのが網膜剥離。
目の前を蚊が飛んでいるように見える飛蚊症。
その中でも、加齢に伴って硝子体が液状化し、網膜から浮き上がる後部硝子体剥離という症状がある。
病気ではないが、網膜と硝子体のゆ着が強い場合に、まれに網膜剥離を引き起こすことも。
飛蚊症の症状が、急にひどくなったら検査を。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は過ぎし1994年(平成6年)の50歳の頃は、酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、
メガネを掛けても、0.7の視力となっていた。
そして私は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、営業本部の片隅で私なりに奮戦していた。
やがて1998年(平成10年)に業界のCDを中核とした売上げがピークとなり、その後は業界全体が縮小した。
この前後に、それぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。
私たちの同世代は、定年退職時が60歳であり、
暗黙として、お互いに定年退職まで、頑張ろうとする意志は大半であった。
そして、もとより若き入社時代から人生設計の主軸として過ごしてきた・・。
こうした中で、私の知人の多くは50代となり、
組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、そして早期退職優遇制度による退職などの烈風となった・・。
このような形で、同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、業界から去った人も数多くあった。
私自身も1999年(平成11年)の初春、55歳の少し前に出向となってしまった。
私の出向先は、各レコード会社がCD、DVD等の音楽商品を委託した物流情報会社であり、
通勤としては、ほど遠く、この中のひとつの物流センターに配属された。
私の住む自宅からバスに乗った後の最寄り駅は、小田急線の成城学園前であり、
30年近く情報畑、管理畑に勤めた本社で勤務していた時は、
自宅を8時過ぎに出て、都心に向かって一時間で通勤していた。
そして出向先は、自宅を6時過ぎのバスの始発に乗車し、成城学園前からは下り方面の本厚木駅に行った後、
バスに乗り換えて物流倉庫の多い処まで、一時間半ばかりで通った。
職場状況、そして通勤状況も大幅に変貌したので、初めの半年ぐらいは戸惑いながら、
つたない私でも、もとより出向は本社機能の戦力から不必要だと烙印を押されたことであるので、
まぎれなく都落ちで、敗北感が充満し失墜感で気落ちした・・。
こうした心情の中、確か数が月過ぎた頃、私の眼は、何か黒い点が左から右に移動するように視え、
私は眼が悪化して、やがて定年まで勤務できなくなったら・・困苦して、勤務先の最寄駅にある眼科医院に寄った。
そして私は状況を医師に話した後、
『老化すれば、よくあるケースですょ・・』
と医師は私に言ったりした。
『でも・・先生、これ以上酷くなったら・・働くことも不自由になりますし・・』
と私は憂いながら、医師に言ったりした。
『目の前を蚊が飛んでいるように見える飛蚊症の初期の状態ですから、余り気になされず、過ごして下さい・・』
と医師は私を元気づけるように、明るい声で私に言った。
そして私は医師に励まされた為か、この後は気にすることなく、やがて忘れ去ったした。

やがて2004年(平成16年)の秋に出向先で、定年を迎えることができ、
多々の理由で、年金生活を始めた。
そして年金生活11年生の70歳になった頃、
数か月前の頃から、朝のひととき小庭にあるテラスに降り立ち遠方を眺めると、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
或いは平素の買物専任老ボーイの私が、家内から依頼された品を求めて、
スーパーに向い前方の状景を眺めたりして歩いている時、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
こうした時、高齢者は白内障になる人も多い、と学んだりしてきたので、
私も白内障になってしまったかしら、と思ったりしてきた。
この6年前に、総合病院で一年に一度の健康診断を受診した後、
白内障の症状が少しみられます、と診断されたりした。
翌年からの健康診断は、我が家から近い内科専門医院で受診してきたが、
眼科に関する検査はなく、いずれ眼科専門医院で検査すればよい、と私は放置してきた。

こうした心情を秘めてきた私は、最寄駅の近くにある眼科専門医院に一昨年の秋に、
精密検査を受けて、白内障と診断された。
そして左眼、一週間後には右眼に、広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂き、
手術を終えた。
やがて多焦点眼内レンズの効力で、左眼は1・0、右眼は0・9前後となり、
メガネが不必要となった。
そして私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
近眼のメガネから解放されて、戸惑いながらも、これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりしている。
余談であるが、家内は結婚当初、視力は2.0と抜群に良かったが、
50代の初めに老眼となり、メガネに馴れていないので、落ち着かないようすが、しばしばである・・。
そして、ときおり老眼鏡を掛け、新聞、旅行雑誌などを読んだりしている。
この後、家内はどこかに置き忘れて探す時もあり、私は微笑みながら、共に探したりする時もある。
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先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 加齢で誰でもなる可能性のある目の病気 緑内障は失明危機も 】と題された見出しを見た・・。
私は目に関しては、中学生の頃から近眼と気付いたり、これまでのつたない人生航路でも、
何かと眼には苦渋してきたので、精読してしまった・・。
この記事の原文は、『女性セブン』の2013年2月21日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』で2013年2月12日に配信されていたが、
無断ながら転載させて頂く。
《・・加齢で誰でもなる可能性のある目の病気 緑内障は失明危機も
40代になると誰しも、老眼になる可能性があるが、
目にも老化現象があり、なかには視力を失う病気も。
年を重ねるにつれて、かかりやすくなる目の病気とは?

☆80歳以上で、ほぼ全員がなるのが白内障。
カメラのレンズにあたる水晶体という組織が白く濁り、見づらくなる。
主な要因は老化。
まぶしい、目がかすむなどの初期症状ののち、近視が進んで明るい場所で見えにくくなる。
手術で治すことができるが、日常生活に支障をきたさなければ、そのままでも問題ない。
☆緑内障は自覚しづらく、失明の危険も。
目に栄養を与える房水という液体が、何かの原因で過剰に溜まり、眼圧が高くなったり、
眼圧に対する感受性が強すぎることで、視神経などを圧迫する病気。
治療で進行を遅らせることができるが、自覚症状が表れたときには手遅れのケースも。
眼圧測定など、検査で早期発見を心掛けたい。
☆老化現象から発症することもあるのが網膜剥離。
目の前を蚊が飛んでいるように見える飛蚊症。
その中でも、加齢に伴って硝子体が液状化し、網膜から浮き上がる後部硝子体剥離という症状がある。
病気ではないが、網膜と硝子体のゆ着が強い場合に、まれに網膜剥離を引き起こすことも。
飛蚊症の症状が、急にひどくなったら検査を。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は過ぎし1994年(平成6年)の50歳の頃は、酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、
メガネを掛けても、0.7の視力となっていた。
そして私は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、営業本部の片隅で私なりに奮戦していた。
やがて1998年(平成10年)に業界のCDを中核とした売上げがピークとなり、その後は業界全体が縮小した。
この前後に、それぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。
私たちの同世代は、定年退職時が60歳であり、
暗黙として、お互いに定年退職まで、頑張ろうとする意志は大半であった。
そして、もとより若き入社時代から人生設計の主軸として過ごしてきた・・。
こうした中で、私の知人の多くは50代となり、
組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、そして早期退職優遇制度による退職などの烈風となった・・。
このような形で、同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、業界から去った人も数多くあった。
私自身も1999年(平成11年)の初春、55歳の少し前に出向となってしまった。

私の出向先は、各レコード会社がCD、DVD等の音楽商品を委託した物流情報会社であり、
通勤としては、ほど遠く、この中のひとつの物流センターに配属された。
私の住む自宅からバスに乗った後の最寄り駅は、小田急線の成城学園前であり、
30年近く情報畑、管理畑に勤めた本社で勤務していた時は、
自宅を8時過ぎに出て、都心に向かって一時間で通勤していた。
そして出向先は、自宅を6時過ぎのバスの始発に乗車し、成城学園前からは下り方面の本厚木駅に行った後、
バスに乗り換えて物流倉庫の多い処まで、一時間半ばかりで通った。
職場状況、そして通勤状況も大幅に変貌したので、初めの半年ぐらいは戸惑いながら、
つたない私でも、もとより出向は本社機能の戦力から不必要だと烙印を押されたことであるので、
まぎれなく都落ちで、敗北感が充満し失墜感で気落ちした・・。
こうした心情の中、確か数が月過ぎた頃、私の眼は、何か黒い点が左から右に移動するように視え、
私は眼が悪化して、やがて定年まで勤務できなくなったら・・困苦して、勤務先の最寄駅にある眼科医院に寄った。
そして私は状況を医師に話した後、
『老化すれば、よくあるケースですょ・・』
と医師は私に言ったりした。
『でも・・先生、これ以上酷くなったら・・働くことも不自由になりますし・・』
と私は憂いながら、医師に言ったりした。
『目の前を蚊が飛んでいるように見える飛蚊症の初期の状態ですから、余り気になされず、過ごして下さい・・』
と医師は私を元気づけるように、明るい声で私に言った。
そして私は医師に励まされた為か、この後は気にすることなく、やがて忘れ去ったした。

やがて2004年(平成16年)の秋に出向先で、定年を迎えることができ、
多々の理由で、年金生活を始めた。
そして年金生活11年生の70歳になった頃、
数か月前の頃から、朝のひととき小庭にあるテラスに降り立ち遠方を眺めると、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
或いは平素の買物専任老ボーイの私が、家内から依頼された品を求めて、
スーパーに向い前方の状景を眺めたりして歩いている時、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
こうした時、高齢者は白内障になる人も多い、と学んだりしてきたので、
私も白内障になってしまったかしら、と思ったりしてきた。
この6年前に、総合病院で一年に一度の健康診断を受診した後、
白内障の症状が少しみられます、と診断されたりした。
翌年からの健康診断は、我が家から近い内科専門医院で受診してきたが、
眼科に関する検査はなく、いずれ眼科専門医院で検査すればよい、と私は放置してきた。

こうした心情を秘めてきた私は、最寄駅の近くにある眼科専門医院に一昨年の秋に、
精密検査を受けて、白内障と診断された。
そして左眼、一週間後には右眼に、広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入して頂き、
手術を終えた。
やがて多焦点眼内レンズの効力で、左眼は1・0、右眼は0・9前後となり、
メガネが不必要となった。
そして私は高校生より何かと酷い近眼で、劣等感のひとつであったが、
近眼のメガネから解放されて、戸惑いながらも、これ以上の吉報はないかしら、と悦んだりしている。
余談であるが、家内は結婚当初、視力は2.0と抜群に良かったが、
50代の初めに老眼となり、メガネに馴れていないので、落ち着かないようすが、しばしばである・・。
そして、ときおり老眼鏡を掛け、新聞、旅行雑誌などを読んだりしている。
この後、家内はどこかに置き忘れて探す時もあり、私は微笑みながら、共に探したりする時もある。
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