私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
洗面した後、主庭のテラスに下り立ったのは、朝の7時過ぎであった。
そして襟を正して、北の岩手県、宮城県、そして福島県の方面に向かい、手を合わせながら黙祷した・・。
もとより一昨年の2011年3月11日のこの日、
観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、
大津波が発生して壊滅的な大惨事となった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方、せめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
このような思いで、無力な私でも、その後の日常は、
テレビでNHKニュースを視聴したり、読売新聞を読んだりして、
この大惨事に関して、本を買い求めて、読んだりしてきた。
2011年6月下旬に、ノンフィクション作家の佐野眞一(さの・しんいち)氏の著作『津波と原発』(講談社)、
武田邦彦(たけだ・くにひこ)氏の著作『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版)
9月中旬に、作家・曽野綾子(その・あやこ)氏の著作『揺れる大地に立って ~東日本大震災の個人的な記録~』〈扶桑社)
この三冊の単行本を精読した。
そして昨年の今頃は、『文藝春秋』の3月臨時増刊号として、
『3.11から一年 100人の作家の言葉』を購読したりしてきた。
この間、月刊総合雑誌の『文藝春秋』は、定期購読していたり、
特集に関心があった時、月刊総合雑誌の『中央公論』、『新潮45』などを買い求めたり、
藤原正彦(ふじわら・まさひこ)氏・著作『管見妄語 始末に困る人』(新潮社)、
佐野眞一〈さの・しんいち〉氏の・著作『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)、
もとより時事批評文も掲載されているので、多々教示されてきた。
東日本震災と福島原発には、無力な私でも身体はもとより心まで震(ふる)え、
心の片隅みに深い痛手が、今でも残ったりしている。
佐野眞一〈さの・しんいち〉氏の『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)の中の一節を引用すれば、
《 津波と放射能洪水は、従来の常識をすべて押し流した 》
こうした明記されたことに、確かにそうですよねぇ、と同意を深め、心の根底に秘めながら、過ごしてきた。
こうした間に私もこのサイトに東日本震災と福島原発に関して、
無学なりに数多く投稿してきたが、重複をさける為に省略する。
このように過ごしてきた間に、昨年の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表されたそ内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
私たち夫婦は東京郊外の調布市に住み、結婚前後の5年間を除き、
調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域に63年ばかり過ごしている。
そして古惚けた築後35年の一軒屋に、家内と2人だけで住んでいるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
過ぎし一昨年の3月11日の東日本大震災の時は、
我が家は大きく揺れ、本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置き、
いざ避難所に行く時に、持って行こう、と互いに決めている。

私が20数年前に買い求めた軽いが廉いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
そして私のメガネの予備、タバコ、
脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パンぐらいは、購入しておかなければ、
と思いながらも、実行していないのが我が家の現状である。
この程度であり、東京大地震研究所のグループの方たちの予測として、
マグニチュドの7級の首都直下地震が、4年以内に70%の確率で発生すると、
公表されても戸惑いながら、苦笑を重ねたりした。
そして、巨大地震が発生しても、その時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
このよう思いを深めたひとつの理由として、
ある著名人の方のひとつの随筆を20数年前に読んだ為か知れない。
この方のご夫婦は、伊豆地方の熱海駅から自動車で15分ばかりの高台の処に住まわれ、
もとより熱海駅は、東京駅まで新幹線で一時間で行ける利便性のある地である。
そして伊豆地方は、何かと地震の多い地でもあると知られているが、
百年に一回ぐらいの大地震を心配するより、
都心の山手線の線内の広尾、青山などの住宅地よりも、遥かに空気も良いし、展望も良いし、東京への利便性ある、
とこのような意味合いの発露されていた。
私はこの方のように富もないが、故郷でもある調布市の片隅に過ごせればよい、
と確信を深めたりしたのである。
もとより東日本大震災で悲惨状況に遭遇された方たちの前では、言葉はないが、
このサイトで東日本大震災に関して、私は数多く投稿文の内容をお読み頂ければ、
私の本心は理解して頂ただけると思っている。
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洗面した後、主庭のテラスに下り立ったのは、朝の7時過ぎであった。
そして襟を正して、北の岩手県、宮城県、そして福島県の方面に向かい、手を合わせながら黙祷した・・。

もとより一昨年の2011年3月11日のこの日、
観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、
大津波が発生して壊滅的な大惨事となった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方、せめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
このような思いで、無力な私でも、その後の日常は、
テレビでNHKニュースを視聴したり、読売新聞を読んだりして、
この大惨事に関して、本を買い求めて、読んだりしてきた。
2011年6月下旬に、ノンフィクション作家の佐野眞一(さの・しんいち)氏の著作『津波と原発』(講談社)、
武田邦彦(たけだ・くにひこ)氏の著作『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』(産経新聞出版)
9月中旬に、作家・曽野綾子(その・あやこ)氏の著作『揺れる大地に立って ~東日本大震災の個人的な記録~』〈扶桑社)
この三冊の単行本を精読した。
そして昨年の今頃は、『文藝春秋』の3月臨時増刊号として、
『3.11から一年 100人の作家の言葉』を購読したりしてきた。
この間、月刊総合雑誌の『文藝春秋』は、定期購読していたり、
特集に関心があった時、月刊総合雑誌の『中央公論』、『新潮45』などを買い求めたり、
藤原正彦(ふじわら・まさひこ)氏・著作『管見妄語 始末に困る人』(新潮社)、
佐野眞一〈さの・しんいち〉氏の・著作『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)、
もとより時事批評文も掲載されているので、多々教示されてきた。
東日本震災と福島原発には、無力な私でも身体はもとより心まで震(ふる)え、
心の片隅みに深い痛手が、今でも残ったりしている。
佐野眞一〈さの・しんいち〉氏の『劇薬時評 ~テレビで読み解くニッポンの了見~』(筑摩書房)の中の一節を引用すれば、
《 津波と放射能洪水は、従来の常識をすべて押し流した 》
こうした明記されたことに、確かにそうですよねぇ、と同意を深め、心の根底に秘めながら、過ごしてきた。
こうした間に私もこのサイトに東日本震災と福島原発に関して、
無学なりに数多く投稿してきたが、重複をさける為に省略する。

このように過ごしてきた間に、昨年の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表されたそ内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
私たち夫婦は東京郊外の調布市に住み、結婚前後の5年間を除き、
調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域に63年ばかり過ごしている。
そして古惚けた築後35年の一軒屋に、家内と2人だけで住んでいるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
過ぎし一昨年の3月11日の東日本大震災の時は、
我が家は大きく揺れ、本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置き、
いざ避難所に行く時に、持って行こう、と互いに決めている。

私が20数年前に買い求めた軽いが廉いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
そして私のメガネの予備、タバコ、
脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パンぐらいは、購入しておかなければ、
と思いながらも、実行していないのが我が家の現状である。
この程度であり、東京大地震研究所のグループの方たちの予測として、
マグニチュドの7級の首都直下地震が、4年以内に70%の確率で発生すると、
公表されても戸惑いながら、苦笑を重ねたりした。
そして、巨大地震が発生しても、その時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
このよう思いを深めたひとつの理由として、
ある著名人の方のひとつの随筆を20数年前に読んだ為か知れない。
この方のご夫婦は、伊豆地方の熱海駅から自動車で15分ばかりの高台の処に住まわれ、
もとより熱海駅は、東京駅まで新幹線で一時間で行ける利便性のある地である。
そして伊豆地方は、何かと地震の多い地でもあると知られているが、
百年に一回ぐらいの大地震を心配するより、
都心の山手線の線内の広尾、青山などの住宅地よりも、遥かに空気も良いし、展望も良いし、東京への利便性ある、
とこのような意味合いの発露されていた。
私はこの方のように富もないが、故郷でもある調布市の片隅に過ごせればよい、
と確信を深めたりしたのである。
もとより東日本大震災で悲惨状況に遭遇された方たちの前では、言葉はないが、
このサイトで東日本大震災に関して、私は数多く投稿文の内容をお読み頂ければ、
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