夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『如月』の2月に別れを告げながら、平年より寒かったょ、と微苦笑を重ねながら・・。

2013-02-28 15:19:32 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『如月(きさらぎ)』の2月も月末となってしまったか、
と苦笑したりした。

午前中のひととき、平素の買物の専任者の私は、いつものようにスーパーに向ったりすると、
陽射しは暖かく、3月下旬のような陽気かしら、と微笑んだりした。

帰宅後、付近に流れる野川の遊歩道を散策したが、
平年ならば白梅は満開となり、雑木も木の芽時(このめどき)となっているのに、
と少し溜息しながら歩いたりした。
               

私の住む地域は、昨年の12月頃から平年より寒く、2月を迎えた時は、
我が家の小庭の水仙(スイセン)も莟〈つぼみ〉も見えず、白梅(ハクバイ)、そして紅梅(コウバイ)は莟〈つぼみ〉が固く、
平年より数週間は遅れているのかしら、と苦笑をしたりしてきた。


そして橋を渡りながら、私の好きな景色を眺めても春の訪れはまただよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)いたりした。
              

この後も遊歩道を歩きながら、桜の樹が多い桜並木の中を過ぎても莟〈つぼみ〉は固く、
櫻花の満開は3月下旬の頃かしら、と思ったりした。
                    

私は2月を迎えた時、古来より『如月(きさらぎ)』と称され、
暖かな日中に恵まれたり寒さを増す日々もある三寒四温の中、
私の住む地域は白梅、紅梅が満開となり、齢を重ねるたびに深く早春の美麗の情景を享受してきたので、
この2月は、『梅見月』だ、と秘かに断言したりしてきた。

しかしながら、2月の日々を過ごしてきたが、平年より寒さが続き、
天上の気候の神々の采配に戸惑い、どうしてなのょ、と空を見上げたりしてきた。
そして一週間前の20日に玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら2輪ばかり咲いたりした。


このような思いを馳せたりし、付近の小公園も歩いたりしたが、
やはり雑木のそれぞれは木の芽時(このめどき)には少し早く、改めて今年の冬の寒さを感させられたりした。

澄み切った青空で陽射しは燦燦(さんさん)と、風もなく暖かい3月下旬のような陽気の中、
歩いたりして、花壇のコーナーだけは、春の便(たよ)りの情景となり、
私は思わず苦笑させられたりした。
               

帰宅後、主庭の白梅は数多くの莟〈つぼみ〉か大きく膨らんでいたので、
明日から始まる3月の初旬に咲き始め、遅ればせながら早春の美麗を見られる、と私は微苦笑したりした。

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