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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『花の金曜日』は死語になったのかしら、と年金生活の私は、現役時代を思い馳せ・・。

2011-08-26 19:05:07 | 時事【社会】
私は中小業の民間会社を35年ばかり勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職した66歳の身であるが、
最近はとみに曜日の感覚が薄らいでいる。
カレンダーを眺めると、今日は金曜日、と教えられる程度となることもある。

私の現役時代は数多くのサラリーマンの諸兄諸姉と同様に、
月曜日の早朝から業務に精進し、睡眠時間を削り、お互いに奮闘し、
金曜日の夜になると、やっと安息が得られる、といった心情であった。


私は大学を中退し、映画青年、文学青年の真似事をし、挫折した後、
1970〈昭和45)年の春、ある民間企業に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。

その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。

どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、
仲良しグループで呑みに通ったりしていた。

業務が立て込んで夜の9時過ぎに会社にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動のたびに、開催してくれた。

50歳を迎えた頃から、人付き合いと体力も疲れ果てて、ある程度のつきあいとし、
私は自宅の最寄り駅の付近の居酒屋で、
毎週の金曜日の10時過ぎに、定期便のように独りでボケッと呑んだりした。

私は弐合徳利のその時に思いついた地酒を2本呑みながら、
板長の進めの単品を3品を食べたりした。
そして絣(かすり)を召した女将や仲居さん達にからかわれながら、
1時間半ばかり心の憩(いこ)いとしていた。

その後、55歳になるとリストラ旋風の中、私は出向となってしまい、
勤務先が遠方の上、始業も早くなり、心身疲れきったので、
居酒屋に寄れる余裕もなくなった。
帰宅後、風呂に入った後、深夜の11時過ぎに日中の出来事を家内とお互いに話し合いながら、
弐合徳利の純米酒を呑んだりした。


どの時代でもサラリーマンの多くの方たちは、
どなたも多忙な業務な勤務実態で成果を問われているが、
私は花金の夜のひとときは、秘かな息抜きで過ごしてきた。

退職後の今としては、遠い昔の出来事だった、と改めて感じている。


ここ10年前頃から、民間会社は特に成果主義の影響で、
部署間はもとより、仲間うちでも競争が激しくなり、
ノミニケーションが薄らいでいる、と新聞、雑誌などで読んだりしたことがある。

私は料理を頂きながら、お酒を呑み、
最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりするのが、
職場上の交流として、憩(いこ)いのひととき、と長年思ったりしてきたので、
働いて下さる現役の諸兄諸姉は、少し寂しくないかしら、と思ったりしている。

しかし、ここ40年は世界の経済の状況も大幅に変貌し、
こうした中で、少なくとも私たちの現役時代は半期決算の時代を過ごしてきたが、
私の定年退職した7年前の頃から、四半期決算などで短期で成果を厳しく問われ、
大手企業でも安定した長期の勤務実態が望めなっているのが、現実でもある。

せめて金曜日の夜から、休日の時ぐらいは、
愛しき妻、そしてお子様・・何よりも信愛できる家族で、ゆったりとお過ごし下さい、
と無力な私は念願したりしている。


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ときには、齢ばかり重ねた私は、家内から『ボケチィン・・』と呼ばれ・・。

2011-08-26 08:02:19 | 定年後の思い
私は民間会社を2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活している66歳の身である。

私達夫婦は子供も恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
東京郊外の調布市で古惚けた一軒屋に住んでいる。

私は日常の買物を担当し、ときおり庭の手入れを責務として、
家内は料理、掃除、洗濯などを担当して貰っている。

家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。


年金生活を始めてまもない頃、私は買物を終えて帰宅後、
台所にいた家内に手渡したのである。

まもなく、家内は冷蔵庫に収納したりした後、
『あらぁ・・お願いした品がないわ・・』
と家内は呟(つぶや)くように、私に云った。

『本当ぉ・・』
と私は云いながら、スーパーのチラシで、
家内が赤丸の印を付けたりのを、見ながら再確認した。

『本当だぁ・・買わなかったょ・・
次から気をつけるょ』
と私は明るく大きな声で家内に云った。

『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云った。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑いながら、私に云うのである。


私は齢ばかり重ね、少しボケてきたと反省をしながら、
一家の主(あるじ)も失墜したと思ったりした。

そして、現役時代の最後の5年間は年収一千万円台だった私の少しのプライドも、
今としては遠い昔の日々になった、と苦笑したりした。

尚、私は家内を呼んだりする時は、
『XXちゃん・・』
と婚約の少し前から呼び、今日まで35年を超えても、相変わらず一環し呼んだりしている。


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