私は本日の9日は、かの大戦の敗戦の直前時に、
長崎に原子爆弾が投下された『長崎被爆』した日でもあり、
ぼんやりと長崎県のことを思いを馳せたりしていた。
そして本棚から、一冊の本を取りだして、再読したりしていた。
江越弘人・著の『長崎の歴史』(弦書房)の本であるが、
一昨年の2009年2月下旬に、私は家内と家内の母と3人で、長崎・雲仙に8泊9日で訪れた時に、
私なりに独りで長崎の街並みを歩き廻ったりし、買い求めた一冊である。
『長崎歴史文化博物館』の展示品を拝見した時、
私は長崎県に纏(まつ)わる通史を学びたくて、館内の売店に寄った。
私は小説、随筆はもとより、現代史、歴史書が読むのが好きであるが、
長崎県に伴い、断片的な歴史人物、事柄については、
江戸時代から明治初期の頃までは、少しは知っているつもりであったが、
整然とした通史は無知であった。
こうした心情で、売店の入ったのであるが、
やはり『長崎歴史文化博物館』の館内の売店でもあり、
長崎県に関しての多くの本が並んでいた。
私はこの中で、ひとつの本を取り,パラパラと目次を見たのであるが、
『原始・古代』より、終期にはキリスト教の布教が始まる『中世』、
長崎開港、鎖国に伴う日本の随一の窓口となった異国との交流の『近世』、
明治時代から原爆被災時の『近代』、そして敗戦後から今日までの『現代』
と明示されたいたので、
まぎれなく通史の一冊である、と本書を買い求めたのである。
この本は、本の帯の表には、
《 どこから読んでもおもしろい。》
《 古代から現代まで、新しい視点と解釈で
200項目のトピックスが語る長崎の通史。 》
と書かれていたる。
私は江戸時代から、少し読み始めたのであるが、
その人物の息づかい、そして優しいまなざしで綴られていたことに、
行間から感じ始めたりしたので、
未知の著作者の略歴を読んだのである。
《・・
江越弘人(えごし・ひろと)
昭和10年、長崎市(旧・高浜村)生まれ。
昭和34年、長崎大学学芸学部卒業。
長崎県公立学校教員(小学校)を歴任。
平成8年、定年退職(最終勤務校、長崎市立鳴見台小学校)
現代、長崎の歴史と史跡について講演やガイドを精力的に行っている。
・・》
この後は、このお方の著作された2冊の本が明記されていたのである。
私はこのお方の人生の軌跡に、
小学校の教師をしながら、長崎の歴史をくまなく学ばれた長い歳月に思いを馳せると、
感動をさせられたのである。
この本のたったひとつの事柄の記載を読めば、
教科書にあるような専門の大学教授が書かれた内容、
或いはその地方に多くいる郷土史家たちの愛着心よりも、
遙かにその事柄の人物の生き生きとした状況が感じられ、
行間からは当事者の息づかいまで感じさせられ、圧倒的に凌駕している。
このように感銘を受けながら、その当時の事柄を拝読し続けたのである・・。
読了した後、
改めて、この本の『まえがき』、『あとがき』を読んだりしたのである。
この著作者の思いは、
本の帯の裏に集約した言葉が掲載されている。
《・・
長崎の地は、昔も今も決して暮らしやすい土地ではない。
様々なハンディキャップを抱いた地域である。
その中で、先人たちは、必死に努力し、業績を挙げ、
或いは挫折しながらも、郷土長崎を
日本の特色ある地域に育て上げてきた。
私は本書を著すに当たって、
長崎という土地に生きた人間に焦点を当たることにした。
・・(略)・・
「まえがき」より
・・》
私はこの著作者の発露された言葉は、
まぎれなく事柄の当事者までの息づかいを感じることができたのは、
筆力はもとより、この著作者の良き人柄から発露されている、確信したのである。
このように最初に読んだ時、深く感じたりした・・。
今回、再読したが、改めて強く感じられたのは、この本書を精読した後、
長崎の街並みを散策すれば、更に深い思いを重ねることができるのは、
もとより言うまでもないことである。
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長崎に原子爆弾が投下された『長崎被爆』した日でもあり、
ぼんやりと長崎県のことを思いを馳せたりしていた。
そして本棚から、一冊の本を取りだして、再読したりしていた。
江越弘人・著の『長崎の歴史』(弦書房)の本であるが、
一昨年の2009年2月下旬に、私は家内と家内の母と3人で、長崎・雲仙に8泊9日で訪れた時に、
私なりに独りで長崎の街並みを歩き廻ったりし、買い求めた一冊である。
『長崎歴史文化博物館』の展示品を拝見した時、
私は長崎県に纏(まつ)わる通史を学びたくて、館内の売店に寄った。
私は小説、随筆はもとより、現代史、歴史書が読むのが好きであるが、
長崎県に伴い、断片的な歴史人物、事柄については、
江戸時代から明治初期の頃までは、少しは知っているつもりであったが、
整然とした通史は無知であった。
こうした心情で、売店の入ったのであるが、
やはり『長崎歴史文化博物館』の館内の売店でもあり、
長崎県に関しての多くの本が並んでいた。
私はこの中で、ひとつの本を取り,パラパラと目次を見たのであるが、
『原始・古代』より、終期にはキリスト教の布教が始まる『中世』、
長崎開港、鎖国に伴う日本の随一の窓口となった異国との交流の『近世』、
明治時代から原爆被災時の『近代』、そして敗戦後から今日までの『現代』
と明示されたいたので、
まぎれなく通史の一冊である、と本書を買い求めたのである。
この本は、本の帯の表には、
《 どこから読んでもおもしろい。》
《 古代から現代まで、新しい視点と解釈で
200項目のトピックスが語る長崎の通史。 》
と書かれていたる。
私は江戸時代から、少し読み始めたのであるが、
その人物の息づかい、そして優しいまなざしで綴られていたことに、
行間から感じ始めたりしたので、
未知の著作者の略歴を読んだのである。
《・・
江越弘人(えごし・ひろと)
昭和10年、長崎市(旧・高浜村)生まれ。
昭和34年、長崎大学学芸学部卒業。
長崎県公立学校教員(小学校)を歴任。
平成8年、定年退職(最終勤務校、長崎市立鳴見台小学校)
現代、長崎の歴史と史跡について講演やガイドを精力的に行っている。
・・》
この後は、このお方の著作された2冊の本が明記されていたのである。
私はこのお方の人生の軌跡に、
小学校の教師をしながら、長崎の歴史をくまなく学ばれた長い歳月に思いを馳せると、
感動をさせられたのである。
この本のたったひとつの事柄の記載を読めば、
教科書にあるような専門の大学教授が書かれた内容、
或いはその地方に多くいる郷土史家たちの愛着心よりも、
遙かにその事柄の人物の生き生きとした状況が感じられ、
行間からは当事者の息づかいまで感じさせられ、圧倒的に凌駕している。
このように感銘を受けながら、その当時の事柄を拝読し続けたのである・・。
読了した後、
改めて、この本の『まえがき』、『あとがき』を読んだりしたのである。
この著作者の思いは、
本の帯の裏に集約した言葉が掲載されている。
《・・
長崎の地は、昔も今も決して暮らしやすい土地ではない。
様々なハンディキャップを抱いた地域である。
その中で、先人たちは、必死に努力し、業績を挙げ、
或いは挫折しながらも、郷土長崎を
日本の特色ある地域に育て上げてきた。
私は本書を著すに当たって、
長崎という土地に生きた人間に焦点を当たることにした。
・・(略)・・
「まえがき」より
・・》
私はこの著作者の発露された言葉は、
まぎれなく事柄の当事者までの息づかいを感じることができたのは、
筆力はもとより、この著作者の良き人柄から発露されている、確信したのである。
このように最初に読んだ時、深く感じたりした・・。
今回、再読したが、改めて強く感じられたのは、この本書を精読した後、
長崎の街並みを散策すれば、更に深い思いを重ねることができるのは、
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