夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

遠い昔、1951(昭和26)年5月6日、『ラジオ体操』が4年ぶりに再開された日、と私は学び・・。

2011-05-07 21:43:45 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
先ほど、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
【新おとな総研】というコーナーがあるが、この中に【あの日あの時】と題された連載を読んだりした。

ときおり私は、この【あの日あの時】を読みながら、齢を重ねたせいか、
この記事を読みながら、過ぎ去り日々に思いを重ねて愛読している。

先ほど、5月6日の【あの日あの時】を見ていたら、

《 【GHQに中止されたラジオ体操が4年ぶりに再開された。‐1951年(昭和26年) 】 》

と題された記事であった。

私は小学生の時に夏休みになると、『ラジオ体操』をしていたが、
GHQに中止されていたことは無知でありながらも、私は思わず読み込んでしまったのである・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
   1951年(昭和26年)5月6日 GHQに中止されたラジオ体操が4年ぶりに再開された

夏休みの朝や運動会で行われるNHKのラジオ体操が始まったのは、1928年(昭和3年)。
アメリカを訪れていた逓信省の役人が、
生命保険会社のラジオ体操を知り、「これは日本人の健康増進に役に立つ」と確信、
「いつでも、どこでも、誰でも」を重視した日本版ラジオ体操の実現に奔走した。

当時の日本人の平均寿命は男女とも40歳代。
このラジオ体操の放送が、その後の日本の長寿世界一に大きく貢献したとされる。

そのラジオ体操も、第2次世界大戦後、
号令付きの集団行動が、GHQ(連合国軍総司令部)ににらまれ、1947年に中止に追い込まる。

だが、慣れ親しんだラジオ体操だけに復活を求める声が多く、
当時の郵政省や厚生省などが、振り付けと伴奏曲を明るくした「リニューアル版」を作成し、
1951年5月6日から放送を再開した。

これが現在の第一体操で、翌年には職場で働く人のために、やや運動量の多い第二体操も登場した。
どちらも13種類の運動で構成され、筋肉や関節を十分動かすことで柔軟性が向上し、健康増進が期待できる。

年配の人にとってラジオ体操は、夏の思い出のひとつだ。
小学生のころ、夏休みは毎日、眠い目をこすりながら校庭に行き、出席のスタンプをもらったものだ。

その夏の風物詩も徐々に消えつつある。
毎日、ラジオ体操を行っている人の高齢化が進み、一方で若者のラジオ体操離れも進んでいる。

健康志向という追い風はあれど、
ジャズダンス、スロトレ、ヨガ、気功など手ごわいライバルが次々に現れ、
「時代遅れ」「かっこ悪い」と思われているようだ。(津)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


このような記事を読みながら、私の小学生の時、
秋の運動会の開始直後に、ラジオ体操の第一体操をしていたことが思いだされたりした。

何よりも夏休みの期間、早朝にラジオ体操をしていたことが、
鮮明に思いだされて微苦笑させられたのである・・。


私は今住んでいる近くに生家があり、地元の小学校に入学したのは、
1951(昭和26)年の春だった・・。

夏休みになると、近くのお寺の境内でラジオ体操が行われていた。
集合時間は、確か朝の7時頃だったかしら、と思っている。

お寺のお賽銭箱の横の階段の横に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、小学生達はそれに習って続く・・。

小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は優等生であったので、6年生になると班長に選出されていた。

3男坊の私は、いじけた劣等性であったので、
学期末に通信簿を頂くたびに、担当の先生から、
『お兄さんのふたりは・・優秀なのに・・』
とため息まじりに私に云われたりしていたので、
私が6年なると、夏の『ラジオ体操』の班長に選ばれる確率は少なかった。

結果として、班長は私となり、
この年から何故かしら副班長が設けられて、お寺の娘の同級生が選ばれた。

この夏、私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)いて、
小学生達に出席マークを押したりした。


後年になると、私は小学生の夏休みの『ラジオ体操』を夢をみたりするが、
悪夢のようなことが多く、
私は目覚めるたびに苦笑したりしている。


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菅首相は、原発、地震を権力闘争のひとつとして、水戸黄門の印籠のように悪用している、と私は感じて・・。

2011-05-07 11:10:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
昨夜の9時過ぎのNHKのニュースを視聴していたら、

《 菅首相、浜岡原発全原子炉の運転停止を要請 》

このことに関して、報じていた。

私は菅首相の言動は、
原発、地震を権力闘争のひとつとして、水戸黄門の印籠のように悪用している、
と瞬時に感じてしまったのである・・。

そして政治にも疎(うと)く無力な私がたとえ投稿文を投稿しても、
銀河の彼方の屑(くず)に消え去ってしまうことを私はたびたび経験しているので、
プロの政治評論家などの一部の方たちが感じ取り、言明されれば良い、
と思い断念した・・。

しかし、一時間過ぎても、苦手な政治関連でも、私の心の片隅に残り、
いたたまれず、深夜の11時半前後に一文を認(したた)め、投稿した。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/cd22aa51b0ed1ee60c259d98eb62e5e4
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
      5月6日【 菅首相、浜岡原発の運転停止を要請は、権力闘争のひとつの言動、と私は感じ険悪し・・。】☆


今朝、いつものように読売新聞の記事を読んだりしたが、
菅首相の浜岡原発全原子炉の運転停止を要請に関しての記事は、
私のように思っている記者、論客は見当たらず、
私の推測は、ひとりよがりの思いでボケてきたのかしら、と思ったりした。

或いは大手メディアの読売新聞であり、多くの読者に悪影響をもたらすことを編集局が配慮したのか、
と思いながら、少しばかり落胆した。


この後、私は読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、

《 政府内で十分な検討の形跡なし…浜岡原発停止 》

と題された記事を読んだりした。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・
菅首相が6日、中部電力浜岡原子力発電所の全面停止要請という異例の措置に踏み切ったのは、
国民の原発に対する不安感を軽減し、
東日本大震災対応の不備で失墜した政権の信頼回復につなげる狙いがある。

ただ、政府内で十分に検討された形跡はなく、
支持率低迷に苦しむ政権が反転攻勢のために、繰り出した苦肉の策との見方も出ている。

首相の指示で原発事故対応にあたっている細野豪志首相補佐官は6日夜、
首相官邸で記者団に
「首相は4月の初めあたりから浜岡原発を非常に意識していた。
難しい判断だったが、国民の安全をないがしろにできない。相当、悩んだ上での判断だった」
と述べ、停止要請が首相自身の強い意思だったことを明らかにした。

首相は数週間前から、政府関係者を通じ、
浜岡原発を止めた場合に世論がどう反応するかを含め、具体的な影響をひそかに探ってきた。

(2011年5月7日08時07分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行をした。


私はこの中の一部として、
《・・支持率低迷に苦しむ政権が反転攻勢のために、繰り出した苦肉の策との見方も出ている・・》
と読んで、私はボケていなかった、と安堵したのである。


私が政権与党の最高権力者の管首相に期待するのは、
もとより東日本震災の復興、福島原発の難題対処の具体的な概要と実行である。

そして現在の原発の根源の問題は、現行の『原子力行政の組織』であるので、
内閣府としての『原子力安全委員会』、経済産業省関連の『原子力安全・保安院』を解体させる。
そして欧米諸国の原子力行政を謙虚に学び、
利害のない第三者による原発を含めた原子力に関する完全独立した機関を新設であり、
強い権限により、国民に信頼できる原発体制の構築が急務である、

こうした時にこそ、管首相は水戸黄門の印籠のように使用すべきであり、
今回の管首相の言動は、権力闘争の中の一部として、悪用していると感じ、
私は険悪しているのである。


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