私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子どもに恵まれなかったので、たった2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住んでいる。
日常の私は、定年後から自発的に買物の専任者となり、
殆ど毎日スーパー、専門店に行き、責務を終えた後は散策をしたりし、
季節のうつろいを享受し、心を寄せたりしている。
こうした中で、大半の時間は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
日頃、家内より、
年寄りのみすぼらしさは、やめて下さいね、と私は言われている。
こうした関係もあり、私はせめて身なりは程ほどのメーカー品の容姿となり、
溌剌とした表情で、颯爽と歩くことが多いので、
昨今でも、ご近所の奥様たちからも、
12歳若いと称されるひと廻り若い、と言われたりしている。
私はもとよりリップ・サービス(お世辞)と承知しているが、
しかし長年の交際している叔父さんからも、7歳ぐらい若く見えるよ、
と言われたりしているので、
私は人生の苦労は、まだ足りないのかしら、微苦笑している。
午前11時過ぎに、いつものようにスーパーに買物に行った後、
昼食後に私は駅前の本屋に向かい、独りで歩いた。
梅雨の合間の晴れ間、20度ぐらいの穏やかな陽気で、
ときおり微風が吹き、心地良く、樹木のたわわな葉は緑の色合いを深め、
揺らいだ情景を眺めながら、季節のうつろいを感じたりした。
駅前の本屋で、目的とした『暮らしの年表/流行語 100年』を見つけた後、
雑誌コーナーで、定年後から購読している季刊誌の最新号に気付き、
買い求めたりした。
この季刊誌は、『文藝春秋SPECIAL』であり、たまたま今回は季刊夏号となり、
《老後の核心》の特集となっている。
私は総合月刊誌の『文藝春秋』と共に、何かしら心身に波長の合う雑誌となり、
こよなく愛読している。
この後、私は『暮らしの年表/流行語 100年』、
そして『文藝春秋SPECIAL 季刊夏号』を本屋から頂いたお洒落なビニール袋を提げて、
商店街を歩いていたのであるが、数多くの高校生の方たちにすれ違ったりした。
この付近は、音楽専門大学の付属高校、都立高校があり、
今頃に下校時間だったのか、
と私は年金生活をしているので、ときおり社会の動きに不明となっている。
私の定年前の5年間は、リストラ旋風の中で出向となった。
都心の本社勤務を30年した後で、少し遠方の勤務先となったりした上、
更に多忙な勤務時間となったので、50代の体力テストは勘弁して欲しい、
と心の片隅で思い、身体は疲れ果てながらも奮闘していた。
そして待ち焦がれた定年退職後、この直後から年金生活を始めた時、
このようなのんびりとした日中を過ごして良いのかしら、
と戸惑ったのは事実であった。
そして数ヶ月過ぎれば、年金生活に順応して、甘受した。
都立高校の近くの歩道を歩くと、数人のグループの高校生が圧倒的に多く、
談笑しながら携帯電話を触りながら歩いてきたりし、
私は昨今の高校生の言動に微苦笑したりした。
この後、独りだけで小柄な容姿で、黒髪でセミロングした女子高校生が、
本か教科書か解からないが小脇に抱えて歩いてきた。
幅の狭い歩道であったので、私は脇に寄り、道を譲ろうとした。
そして、この女子高校生は私の動作に気付いて、
恐縮するように、道の脇に寄った・・。
私はこの女子高校生に黙礼をしながら、すれ違がおうとした時、
女子高校生は私に黙礼をした。
この後、私は坂道を下りながら、
先ほどの女子高校生のご家庭の親御さんのしつけも良いが、
もとより自身の身につけた何気ないしぐさに、私は魅了されたのである。
そして、遥か遠い昔の50年前頃、私が高校生だった時、
ときおり文学少女を見かけたが、あのような容貌としぐさだったかしら、
と私は思わず微笑んだりした。
昨今は政治は昏迷、経済は低迷、そして社会は劣化する中で、
私はのんびりと昼下りに、何よりも好きな本を購入でき、
その上、偶然の賜物として、文学少女のような女子高校生に30秒ばかりめぐり逢え、
幸(しあわ)せな甘味のひとときを過ごせたのである・・。
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私たち夫婦は子どもに恵まれなかったので、たった2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住んでいる。
日常の私は、定年後から自発的に買物の専任者となり、
殆ど毎日スーパー、専門店に行き、責務を終えた後は散策をしたりし、
季節のうつろいを享受し、心を寄せたりしている。
こうした中で、大半の時間は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
日頃、家内より、
年寄りのみすぼらしさは、やめて下さいね、と私は言われている。
こうした関係もあり、私はせめて身なりは程ほどのメーカー品の容姿となり、
溌剌とした表情で、颯爽と歩くことが多いので、
昨今でも、ご近所の奥様たちからも、
12歳若いと称されるひと廻り若い、と言われたりしている。
私はもとよりリップ・サービス(お世辞)と承知しているが、
しかし長年の交際している叔父さんからも、7歳ぐらい若く見えるよ、
と言われたりしているので、
私は人生の苦労は、まだ足りないのかしら、微苦笑している。
午前11時過ぎに、いつものようにスーパーに買物に行った後、
昼食後に私は駅前の本屋に向かい、独りで歩いた。
梅雨の合間の晴れ間、20度ぐらいの穏やかな陽気で、
ときおり微風が吹き、心地良く、樹木のたわわな葉は緑の色合いを深め、
揺らいだ情景を眺めながら、季節のうつろいを感じたりした。
駅前の本屋で、目的とした『暮らしの年表/流行語 100年』を見つけた後、
雑誌コーナーで、定年後から購読している季刊誌の最新号に気付き、
買い求めたりした。
この季刊誌は、『文藝春秋SPECIAL』であり、たまたま今回は季刊夏号となり、
《老後の核心》の特集となっている。
私は総合月刊誌の『文藝春秋』と共に、何かしら心身に波長の合う雑誌となり、
こよなく愛読している。
この後、私は『暮らしの年表/流行語 100年』、
そして『文藝春秋SPECIAL 季刊夏号』を本屋から頂いたお洒落なビニール袋を提げて、
商店街を歩いていたのであるが、数多くの高校生の方たちにすれ違ったりした。
この付近は、音楽専門大学の付属高校、都立高校があり、
今頃に下校時間だったのか、
と私は年金生活をしているので、ときおり社会の動きに不明となっている。
私の定年前の5年間は、リストラ旋風の中で出向となった。
都心の本社勤務を30年した後で、少し遠方の勤務先となったりした上、
更に多忙な勤務時間となったので、50代の体力テストは勘弁して欲しい、
と心の片隅で思い、身体は疲れ果てながらも奮闘していた。
そして待ち焦がれた定年退職後、この直後から年金生活を始めた時、
このようなのんびりとした日中を過ごして良いのかしら、
と戸惑ったのは事実であった。
そして数ヶ月過ぎれば、年金生活に順応して、甘受した。
都立高校の近くの歩道を歩くと、数人のグループの高校生が圧倒的に多く、
談笑しながら携帯電話を触りながら歩いてきたりし、
私は昨今の高校生の言動に微苦笑したりした。
この後、独りだけで小柄な容姿で、黒髪でセミロングした女子高校生が、
本か教科書か解からないが小脇に抱えて歩いてきた。
幅の狭い歩道であったので、私は脇に寄り、道を譲ろうとした。
そして、この女子高校生は私の動作に気付いて、
恐縮するように、道の脇に寄った・・。
私はこの女子高校生に黙礼をしながら、すれ違がおうとした時、
女子高校生は私に黙礼をした。
この後、私は坂道を下りながら、
先ほどの女子高校生のご家庭の親御さんのしつけも良いが、
もとより自身の身につけた何気ないしぐさに、私は魅了されたのである。
そして、遥か遠い昔の50年前頃、私が高校生だった時、
ときおり文学少女を見かけたが、あのような容貌としぐさだったかしら、
と私は思わず微笑んだりした。
昨今は政治は昏迷、経済は低迷、そして社会は劣化する中で、
私はのんびりと昼下りに、何よりも好きな本を購入でき、
その上、偶然の賜物として、文学少女のような女子高校生に30秒ばかりめぐり逢え、
幸(しあわ)せな甘味のひとときを過ごせたのである・・。
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