夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『人生50年・・』と古来には、表現されていたが・・。 《上》

2009-05-19 10:43:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
先ほど、ぼんやりと一冊の本を少し読み、苦笑させられた・・。

医学評論家の水野 肇の監修に寄る『~365日のヘルスプラン~ 健康歳時記』(三宝出版)であり、
この中のひとつのコーナーとして『健康日誌』が設定されている。

昨日の5月18日に於いては、『人生五十年』と題されて、掲載されていた。
【・・
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、
一度生を受け、滅せぬ者のあるべきか」。
天下統一を目の前にして織田信長は腹心である明智光秀によって滅ぼされた。
その死の直前に舞ったのが、
「人間五十年・・・」とうたわれる『敦盛』である。

現在では、日本の男女とも平均年齢が70歳を越え、
世界に冠たる長寿国を誇っている。
・・】
このように掲載されている。
注)原文をあえて改行を多くした。


私が苦笑したのは、もとより『敦盛』は遥か昔の源平の戦いの時代である。

源平の戦いの一戦である須磨の浦における『一ノ谷の戦い』に於いて、
平家軍の主力は源氏軍に圧倒されて、敗走をはじめた。

【・・
平清盛の甥っ子で平経盛の子である若き笛の名手でもあった武将の平敦盛は、
退却の際に、愛用の漢竹の横笛と称される青葉の笛を持ち出すのを忘れしまい、
これを取りに戻った為に、敗走する退却船に乗り遅れてしまう。

敦盛は出船しはじめた退却船を目指して、渚に馬を飛ばす。
退却船もこれに気付いて、岸へ船を戻そうとするが、
逆風で思うように船体を寄せられない。
敦盛自身も荒れた波しぶきに手こずり、馬を上手く捌けずにいた。

そこに源氏方の武将の熊谷次郎・平直実(熊谷直実)が通りがかり、
格式高い甲冑を身に着けた敦盛を目にすると、
平家の有力武将であろうと踏んで一騎打を挑む。

敦盛はこれに受けあわなかったが、
直実は将同士の一騎打ちに応じなければ、兵に命じて矢を放つと威迫した。
多勢に無勢、一斉に矢を射られるくらいならと、
敦盛は直実との一騎打ちに応じた。

しかし悲しいかな実戦経験の差により、
百戦錬磨の直実に一騎打ちでかなうはずもなく、
敦盛はほどなく捕らえられてしまう。

直実がいざ頸を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、
元服間もない紅顔の若武者。
名を尋ねて初めて、数え年16歳の平敦盛であると知る。

直実の同じく16歳の子である熊谷小次郎・平直家(熊谷直家)は、
この『一ノ谷合戦』で討死したばかり、我が嫡男の面影を重ね合わせ、
また将来ある16歳の若武者を討つのを惜しんでためらった。

これを見て、組み伏せた敵武将の頸を討とうとしない直実の姿を、
同道の源氏諸将が訝しみはじめ、
『次郎(直実)に二心あり・・次郎もろとも討ち取らむ。』
との声が源氏諸将から上がり始めたため、
直実はやむを得ず敦盛の頸を討ち取った。


『一ノ谷合戦』は源氏方の勝利に終わったが、
若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめる。
合戦後の論功行賞も芳しくなく同僚武将との所領争いも不調、
翌年には屋島の戦いの触れが出され、
また同じ苦しみを思う出来事が起こるのか、と悩んだ直実は世の無常を感じるようになり、
出家を決意して世をはかなむようになる。


このような伝説を学んだ織田信長は、
直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節から、

《 思へばこの世は常の住み家にあらず
  草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
  金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
  南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
  人間五十年、化天[1]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
  これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ 》

という詞章があり、
織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。

「人間(じんかん)五十年」は、人間の定命は50年であるとの意。
「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、
一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8000歳とされる。

「下天」は、六欲天の最下位の世で、
一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
人間の命は化天あるいは下天の住人に比べれば儚いものであるとしている。

しかし、実際には直実の嫡男である直家の戦死は脚色であり、
実際には家督を継いで53歳で死去している。
これは当時の平均寿命を全うしたといえる年齢である。
・・】
この原文のほぼ大半は、フリー百科事典と知られている【ウィキペディア(Wikipedia)』より引用した。


私が高校生以来四十数年に幾多の本で学んだりし、
フリー百科事典と知られている【ウィキペディア(Wikipedia)』を読んだりし、
拙(つたな)い雑学の身の上であるが、
古来の平均的な寿命と現代は余りにも違うと苦笑したのである。


                            《つづく》


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