夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

明日より、初めて訪れる伊豆七島の『新島』に思いを馳せれば・・。

2009-05-09 20:20:43 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
家内との共通趣味は国内旅行であり、
ときたま日本の各地を訪ねたりしている。

4月の初めの頃、読売新聞の朝刊で、
旅行会社の広告が掲載され、この中のひとつに微笑んでしまったのである。
これとほぼ同様なのが、下記のサイトである。


http://www3.ocn.ne.jp/~tkk/pdf_tokai/120shuunen.pdf

伊豆七島は大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島と東京都の地域に所属し、
太平洋に浮かぶ諸島であるが、
私は高校一年の時に大島、50代のなかばに家内を伴い訪れただけであり、
これ以外は私達夫婦は未知の世界であった。

この東海汽船の謝恩企画としては、新島、そして付近の式根島、神津島が企画プランであり、
高速ジエット船の『セブンアイランド』も乗船したことがなく、
ネットでこの三島を検索したのである。

この中の新島が、
【 白い砂浜に降り立てば、
        そこはまさに異国の楽園。】
と大きく明示されていたのである。

宿が民宿なので少しためらいがあるが、
《 大人 お一人様 25500円  二名様以上 》
と明記されていたので、
東京の竹芝桟橋から新島までの往復の船旅が楽しめた上、
新鮮な魚介類の食べ物を頂き、新島近辺のショート・クリージングも乗船でき、
破格な料金に驚いたのである。

そして、こうした機会でなければ中々行けない、
と私達は決意して、申し込んだのである・・。

5月10日より1泊2日の短かな旅行であるが、
初めて訪れる『新島』に於いて、島の情景はもとより、
エビネ、ハマユウの草花を見たり、
夜のひとときに夜空を眺め、満天の星にめぐり逢えたならば、
これ以上の贅沢なことはない、と私は思ったりしている。



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『母の日』には、私なりに『ハナミズキ』の歌を心の中で唄い・・♪

2009-05-09 13:02:00 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
過日の6日の夜10時からNHK総合で【SONGS】を視聴した。
この番組の今回は『SONGSスペシャル 女性ヴォーカリストBEST』と題して、
番組のナビゲイターとして永英明さんが進行を進め、唄い、
こうした中で麗(うるわ)しき七人の女性が、その人となりの魅力ある歌を唄っていた。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-05-06&ch=21&eid=31989

私は最も魅了を受け、感動したのは、
一青窈さんが『ハナミズキ』の歌を唄う前に、
『・・私が10歳を過ぎてまもない時・・母が亡くなわれ・・
この歌の三番は母を偲んで書き上げました・・』
このようなメッセージを発露したあとで、この『ハナミズキ』を唄われ、
私は胸が熱くなったのである・・。


私は小学2年の昭和28(1953)年に父に病死され、
母の下で兄ふたり、妹ふたりの中で育った。
私が25歳を過ぎ、遅ればせながら民間会社に中途入社できた後、
『母の日』の前日には、何か洋服の買う時に足しにして頂戴、
といくばくかの現金を包み、母に手渡したりし、送金をしたりしていた。

私の50代のなかば、平成10(1998)年に入退院を繰り返していた母に死去れた。
古来より男は父親に対してはともすれば忘れがちであり、
母親はいつまでも心に残る、と云われているが、
私もときおり母の言葉やしぐさを思い出されている。
そして、母の生前の時にもう少し私は優しくしてあければよかった、
と後悔をする時もあるが、
家内が何より母を信頼した言動をしてきたので、家内は母に可愛がれたりしたのが、
せめての私の救いとなっている。


私達夫婦は家内の両親と私の40代のなかばの頃から、
ときおり国内旅行をしてきた。

私の定年退職の直前に家内の父が亡くなり、
独り住まいとなった家内の母と私達夫婦は、年に数回は国内旅行に行っている。
そして、家内の母の『母の日』には、やはり温泉ね、と要望され温泉滞在旅行が多い。

今年の春先、鹿児島の知覧の特攻平和会館を観たいわ、
と家内に行ったりしたので、
私達夫婦は、少し『母の日』には早いが、鹿児島市内・霧島温泉に4泊5日で行き、
この間のひとときに家内たちは知覧の特攻平和会館を訪れたのである。


このような思いが私なりにあり、一青窈さんのメッセージを聴いたので、
今年の『母の日』には、私は『ハナミズキ』の歌を心の中で唄おうと決意したのである。

今朝、あるサイトで【SONGS】の番組を視聴され、
私と同様に一青窈さんのメッセージに感銘を受けた女性が『ハナミズキ』と題された投稿文を拝読し、
私は思わず微笑んだりした・・。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/masamikeita/diary


♪ひらり蝶々を
 追いかけて 白い帆を揚げて
 母の日になれば
 ミズキの葉 贈って下さい
 待たなくもいいよ
 知らなくてもいいよ

【 『ハナミズキ』 作詞・一青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・一青窈 】

私はかって永英明さんがこの『ハナミズキ』をシルキー・ヴォイスの魅力あふれる声で唄っていたけれど、
無念ながら彼のように唄えないが、私なりに心を込めて精一杯唄うつもりである。


♪薄紅色の可愛い君のね
 果てしない夢がちゃんと 終りますように
 君と好きな人が 百年続きますように

【 『ハナミズキ』 作詞・一青窈、作曲・マシコタツロウ、唄・一青窈 】

ここまで唄うと、たぶん私は涙ぐんでしまうかしら、と思ったりしている。


尚、私は齢を重ねるたびに、『ハナミズキ』の歌に愛惜感が深まって折、
いままで聴いた10数人の歌い手の中、最も心酔できたのは、
このおふたりが共に唄われた曲である。


http://www.youtube.com/watch?v=Fk7ldepb3Zw




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東京の郊外は、5日ぶりの快晴の朝を迎えて・・。

2009-05-09 06:48:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
今朝、朝陽をまぶしげに見つめ、5日ぶりかしら、と微笑んだ・・。

東京の郊外は4日の『みどりの日』までは、
大型連休期間にふさわしく皐月晴れが一週間程に恵まれ、
初夏のような陽気の日もあったが、
5日の『こどもの日』の朝の9時過ぎからは、小雨が降り続けて、
きまぐれのように時折やんだりしたのである。
そして、気温も4月の中旬のようになり、私は少し驚いたりしていた。

このような一変した天気の変貌に、一昨日の私は、
平年は5月中旬から下旬なのに、 本格的な梅雨の前ぶれの序曲として、
早くも『走り梅雨』かしら、
天上の気候の神々も、せっかちね、と私は感じたのである。


その上、昨日の朝は大粒の雨脚が屋根にあたる音が聴こえ、
雷鳴が響きわたる音で目覚めたりしたのである。
そして、朝のひとときは土砂降りの雨の中、
付近で落雷が数度響きわたり、大地を震(ふる)わした・・。

この後、雷鳴も消えうせて、主庭の激しい雨から幾分衰えた雨を眺め、
やがて雨は止み、空は明るくなり、しばらくすると陽射しが射しこんできた。
新緑の枝葉は雨粒をたたえて、雨粒は陽射しを受けると煌(きらめ)いていた。

私は初夏にときおり見られる夕立である白雨(はくう)のようだった、
と思いを馳せながら、しばらく見惚(みとれ)れたりしていた。

そして、この後はどんよりとした曇り空におおわれて、
小雨が降りだし、そして止んだりし、不安定な気候の午前中であった。


先ほど、地元の天気情報を視聴していたら、
朝の6時は16度、昼下がりは25度前後、そして夜の6時には21度前後が予測され、
日中は初夏のような快晴に恵まれ、夜のひとときは月を眺める最適な日となります。
このような快適な状況は、明日、明後日も同じような予測されますので、
せめてお休みの日ぐらいは、ご家族でゆっくり過ごしましょう、
と少しボケた私はこのように聴こえたのである。



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