夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

改めて、我が家のテラスの前にあるモミジの樹木は・・。

2009-05-01 17:44:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
古惚けた我家の居間の前は落葉樹の多い主庭であり、
この中の一角にテラスがあり、付近にモミジの樹木もある。

30年数年頃、一戸建てを建てた時、
若気の勢いで家の中に茶室などを設置しまい、
庭の造成の予算が乏しくなり、実家の長兄宅から幼い雑木を貰い受けたりした。

この中の1本がこのモミジであり、
かぼそかった主幹であったが、数年過ぎれば、
それなりに成長した。


早春の芽吹き、萌黄色の幼い葉、そして緑色と色合いを深め、
夏は強い陽差しの木陰となり、
晩秋には朱色に染められ、錦繍の世界を褒(ほ)め、
やがては葉を落とし、樹木の周囲は朱色の絨毯のようになり、
風が吹けばテラスの付近も吹き寄せのようになる。
そして冬になれば、主幹と枝の裸樹となり、柔らかな陽差しを受けたりしている。


5年過ぎた春、次兄が突然に自裁した後、
私は会社から帰宅するたびに、深夜になると、
居間の外れに腰かけて、茶碗酒を呑みながら、
どうしてそこまで踏み切ったの、と戸惑いながら、ため息をしたりし、
モミジの樹木に問いかけは、涙ぐんだりした・・。

そして10日ばかり過ぎた頃、私なりに次兄の追い詰められた心情を
遅ればせながら私になりに了解したのである。


平成の初めの年、台風による強風で、
2階の上の屋根にあるテレビのアンテナが落ちてきて、
テラスに散乱し、付近の茶室の雨戸、洋間のガラス戸などを壊れるところ、
たくましく大きく育ったモミジの枝葉が受けた留めてくれたりした。


私は定年退職後、煙草を室内厳禁と自ら宣言した後は、
主庭にたたずんだり、このテラスなど煙草を喫ったりすることが多い。
そして5月頃からは陽差しが強くなるので、
私はモミジの木陰に身を寄せたりしている。


3年前の夏に、私はこの樹木を手入れしていた時、
枝葉の中にスズメ蜂の巣があったのを知らず、私は蜂に刺されて、
病院で簡単な治療を受けたりした。
翌日、市の専門家により、スズメ蜂の巣を駆除して貰ったりした。


このようなモミジであるが、
私が居間にある食卓で新聞を読んだり、食事をしたり、
家内と他愛ない話をする日常生活を、
30数年間見つめられている・・。

先程、昼寝から目覚めた後、私はぼんやりとテラスに下り立ち、
微風を受けながら、モミジの枝葉が揺らぐ中、
煙草を喫ったりしていた。



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『皐月(さつき)』を迎えて、私は微笑みながら・・。

2009-05-01 08:51:03 | 定年後の思い
昨夜、卯月の4月のカレンダーに別れを告げ、
新たな皐月の5月のカレンダーを見ながら、若葉の風薫る時節にそうこ~そ、
と心の中で呟(つぶや)いたりしていてた。

この後、私は玄関庭に下り立ち、煙草を喫いながら、夜空を眺め、
三日月が余りにも美麗だったので、少しばかり見惚(みと)れていた。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
家内は実家で大掃除などを終えて昨夕帰宅し、
私は独り身の日々は少しばかり緊張していたので、
いつものように2人の生活に戻ったせいか、
今朝は大いに寝坊し、朝の七時過ぎに主庭でまぶしい陽射しを受けていた。

そして、樹木を眺めたりしたが、若葉の彩りを深めてきた、
と感じたりしたのである・・。

地元の天気情報をぼんやりと視聴していたら、
朝の6時は13度、昼下がりは24度前後、夕暮れの6時は20度前後で、
明日までは5月の下旬のような快晴に恵まれます、
と報じていた。

私は天上の気候の神々は、大型連休を多くの人々が迎えられている最中の折、
日頃は多忙な生活を過ごされているので、
せめて皐月晴れの中で、ご家族でゆったりとお過ごし下さい、
とささやかな贈り物をしたと思ったりした。

そして私はこの時節の情景を褒(ほ)めながら、

♪ゆく春の惜しまれるこの頃ですが

♪目に青葉 山ほととぎす初鰹と申しておりますが

♪皐月晴れの空には鯉幟のひるがえる時節を迎え

♪紺碧の空の色合いは、心身は爽快なの一言に感じ

♪吹く風もいちだんと心地よく感じられ、薫風と申された古人に

♪昼下がりは汗ばむほどに暑さとなりまして

といったような心情となる思いながら、
この時節は、たぶんここ百年の人々からも、このように感じられたと
ぼんやりと感じたりした。


そしてこの後、齢ばかり重ね恥ずかしい身であるが、
こっそりと、『皐月』の由来などを調べたりした。

国語に詳しい詩作家の道行めぐ・女史に寄れば、
【・・
『さ』は、耕作を意味する古語。
稲作の繁忙期である為、この月は『さ月』と呼ばれるように、
漢字の『皐』には、神に捧げる稲という意味がある為に
この字が当てられたそうです。

『早苗(稲の若苗)月』といっていたのが、
詰まって『さつき』になった説もあります。
・・】

このように優しく明示されていたので、
私は微笑んだりし、少しボケた身ながら、道行めぐ女史に感謝、
と心の中で呟(つぶや)いたりした。



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