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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

芭蕉に対する労苦の果ての集大成・・♪

2007-02-24 17:36:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、晴れ間の中、昼過ぎから風が強く吹いている。

昼食後、過日購入した嵐山光三郎・著の『悪党芭蕉』(新潮社)を読み始めた。

この作者には、料理本に関した著作を除き、ある程度の作品を読んでいるが、
ここ5年、この方の力量と労作には圧倒され、まず敬服してしまう。

今回の芭蕉に関しても過去に色々と公表されてきて折、
ときには自転車で『奥のほそ道』を季節、道程を辿(たど)り、東北の各地を廻ったと風聞をすると
まぎれなく今回の作品は集大成かしらと思い読みはじめた・・。

読み始めて、その時代を思い浮かべながら1時間ほどで、
少し眠り込んだ・・。

著作者が芭蕉と門弟の2人を相手に話し込んでいる夢を見たりした・・。

目覚めた後、少しぼんやりとした状態で、煎茶を淹れた後、
白梅の満開の花を眺めたりした。

芭蕉に対しては、国文の専門の数多くの学者より、
嵐山光三郎・氏の芭蕉に、少なくとも数10年の労苦の果てに飛躍した発想が案外真理を見極めている、
と少し揺れる花びらを見詰め、思い返している。

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されど、お地蔵(じぞう)さん・・♪

2007-02-24 11:12:00 | 定年後の思い
先程、古い暦(こよみ)を見ていたら、毎月の24日は、『地蔵の縁日』と明記されていた。

私は定年退職後の三年生の身であるが、神社仏閣には心を寄せないが、
ときおり旅の時、散策の折など地蔵さんにめぐりあったりしている。

こうした折は何気なくに手を合わせて、黙礼をしてしまう。

こうした思いでいるので、由来などを調べたりした。

幸いに、知識人の藤野邦夫・氏が明確に述べられている。

無断であるが、転記をさせて頂きます。


・・お地蔵さんとは、正しくは『地蔵菩薩』のことであり、
『地蔵』とは【大地を母胎とするもの】という意味の古代インドのサンスクリット語『クシティ・ガルバ』に由来する。
また『菩薩』とは、最高の悟(さと)りを開いた仏になろうと修行している女性のことで、
地蔵の場合は、仏につぐ高い地位にある存在とされている。

つまり、お地蔵さんは生命を生みだして育てる大地のような菩薩であり、
日本に地蔵信仰が導入されたのは、はるか奈良時代(8世紀)のことだった。
しかし、広く庶民の間に地蔵信仰が広がって、民間信仰となったのは、
平安時代(9~12世紀)から中世(13~15世紀)にかけてのこと。
それに反映して、日本には100種類以上の地蔵がある。

出産と子育てだけでみても『子育て地蔵』『子安地蔵』『夜泣き地蔵』『乳もらい地蔵』があり、
このほか『いぼとり地蔵』『とげぬき地蔵』『雨降り地蔵』や、
農村部にある『田植え地蔵』などが知られている。

道端や橋のたもとに、今も残る石の地蔵をみると、
かっての日本人にとって、いかに苦しみを救ってくれる存在だったかが解かる。

以上、転記させて頂きました。

日本の各地では、昭和30年の初めの頃までは、日々の生活に貧困と飢えあえいでいた多くの人々がいた。
日照りの時は雨乞い、わが乳児が無事に育つような願いなどを託して、
心の救済として、その地なりにお地蔵さんが祭られただろう、
と想ったりしている。

過日、家内と長野県・白馬村を散策した時、
田んぼの外れの道端にひなびた小さな神社があり、
入り口の横に地蔵の三体が置かれていた・・。
人気もない冬の柔らかい陽射しを受けていたが、
私達は思わず手を合わせた。

飢餓がなくなった現在、お地蔵さんは日本人から少しづつ忘れていくのだろうか、
と帰路のあぜ道を歩きながら私は思ったりした。



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快晴、風光る時・・♪

2007-02-24 08:47:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、澄み切った快晴の朝を迎えて、
ときおり吹く風も寒さを感じることもない。

窓辺は陽射しがさんさんと照り、主庭に下り立つと、
白梅、しだれ紅梅、藪椿、白玉椿が満開となり、
日本水仙も咲いている。

早春の花につつまれて、まばゆい陽射しを受けながら、
明るい庭を見詰めながら、煙草などを喫たりしている。

昨夜、10時過ぎに布団にもぐり、一冊の本を読んだりした。
『旅』の月刊誌で『宮脇俊三の旅』(JTB)で、
追悼特別企画として発刊された2003年8月号臨時増刊である。

私は著作者の数多くの紀行文の本を殆ど読んでいたので、
発売後ためらわず購入した本である。

昨夜、久々に読んだりした・・。

発売後は少なくとも数回は精読したが、こうして著作者の紀行文に綴られた行間の思いを、
ときおり吹く風にも白梅の花びらが微かに揺れる程度の強い枝を見詰めながら、
今は亡き宮脇俊三・氏に想いを重ねたりしている。

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